それぞれの神1~デカルトの場合 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

デカルトは数学の方式で
「論理的に神の存在証明をした」
人物です。

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カントよりも128年前に生まれたデカルトは
「近代哲学の父」
と呼ばれています。
ではデカルトはどうやって
「神は存在する」
と証明したのでしょうか?
それが
「方法的懐疑(ほうほうてきかいぎ)」です。

「世界一強引な方法的懐疑の解釈」

1 世の中疑おうと思えば何でも疑える。

2 世の中は正しいことと、正しくないことが混ざりあっている。

3 誰だって何かの質問に対して、所々イエスであり、ノーでもある。

4 世の中に完全は無い。

ここまでの1~4を週刊誌のイエス・ノークイズか、シュミレ―ションゲームに当てはめて下さい。

5 完全と言えるのは(疑えないのは)、問いかけてる私だ(疑っている私だ)

つまり、ゲームをしていると言う事実は絶対にイエス。
ゲーム中のイエス、ノーの設問を飛び込えて、「ゲーム機の電源が入ってるか?」は永遠にイエスなのです。

6 全てのクイズに対して完全にイエス、ノーと答えることなど出来ない。
「かもしれない」と思いながらどちらかを選択するのが人間だ。
即ち、人間でない神は完璧な選択ができる。

7 自分が完全でなくとも、完全を「知っている」から「不完全な選択」をする

8 完全の概念がある、即ち、神は居る。

これがデカルトの方法的懐疑による神の存在証明と解釈しました。

「心のどこかで完全を意識する。
それが貴方の疑えない神様ですよ。」
と解釈しました。

そして私はここに独自の
9を加えたい

「本を開き、ゲーム機のスイッチを入れた貴方は、絶対的なスタートである。
そして完全無欠のゴールが神である。」

自分とは永遠のスタート地点。
神様とは永遠のゴール
by SPA-k

明日はパスカルです。