どうやら、なんでもかんでも「GHQ=悪」と決めつけてしまうのは良くないようです。

 

少し動画をまとめてみます。↓

 

 

【日本人のために闘ったGHQサムス】

 

「このままではこの国が持ちません。本気で日本人を救う政策を打ちましょう」

 

そのようにマッカーサーに進言したのが、当時まだ40代でGHQの公衆衛生福祉局長に異例の若さで抜擢されたクロスフォード・サムス大佐である。

 

 

 

「日本国内の治安悪化はマッカーサーの威厳に傷をつける。何より、医者として目の前で苦しむ人々を救いたい…」

 

その日から、サムスの日本人を救う戦いが始まった…

 

  • 猛威をふるった伝染病・天然痘に対して全国規模で種痘を実施。
  • 明治時代から日本人の死因ランキング1位であった結核をほぼ日本からなくす。
  • 保健所のシステム全体を1から作り上げる。
  • 伝染病予防のために、衛生的な新しい生活方式を教育。
  • 日本に大量の食糧を輸入、全国的な学校給食を始めるきっかけを作る。
 
このような政策を行ったサムスは一説に数百万人の日本人の命を救い、「日本人の生命を救った男」とまで呼ばれた。
 
 
 
【武見太郎の暗躍】
 
しかし、このようなサムスの尽力は教科書には載っておらず、現代の日本では忘れられてしまっている。
 
それどころか、日本医師会の資料でサムスは「戦争の余威に乗じて権力を振りかざし、好き放題に振る舞った」と書かれている。
 
一体なぜこのような事態になったのだろうか?
 
そこには「白衣のフィクサー」と呼ばれた医師・武見太郎の暗躍が影を落としていた。
 
サムスが日本人を救うために精力的に活動していたその頃、武見太郎の医院ではなんと、次の総理大臣を決めるための秘密会合が行われていた。
 
この会合の結果、次の総理大臣は吉田茂に決まった。

 

 

 

吉田茂は武見太郎の義理の叔父にあたる。

 

首相の姻戚、かつ主治医としてますます発言権を増した武見太郎はこの後、歴代総理と繋がって内閣の人事などに口出ししていく。

 

 

 

【武見太郎とサムスの激突】

 

そしてサムスと武見の両者は、ある巨大利権を原因として激突する事件が起こる。

 

今の日本そして当時の欧米では、医者が薬を処方し薬剤師が薬を調合して売るというのが当たり前だった。

 

しかし戦前の日本では医者が薬を仕入れ値より高く売り、その差額で儲けていた。

 

これでは医師が経済的な利益追求に走ってしまう上に、薬について専門的な知識を持った人が育たず、医療の進歩の妨げとなっていた。

 

「医者は薬で儲けるのをやめて、医療に専念するべきだ」「医師が薬の販売や病床を埋めて儲けることばかり考えている。医者の本分である医療技術を磨くことが疎かになっているのではないか」「薬の調合は専門家である薬剤師に任せることにしよう」

 

そう主張するサムスの前に立ちはだかったのが武見太郎だった。

 

「薬を取られては医者は生きていけない」「薬剤師は大学を出ていない」「医師が医療の腕を磨く間、薬剤師は商売のことばかり考える」

 

と、真っ向から反対。

 

医師会副会長となっていた武見は薬の利権を守るために必死だった。

 

しかし結局、サムスが武見を医師会副会長から解任。薬の調合、販売は薬剤師に任される合意がなされた。

 

これにより患者の薬代が減る上に、薬の専門家である薬剤師が薬の調合や開発の主導権を握ることになる……はずだった。

 

 

 

【巨大利権の行方・武見太郎の逆転劇】

 

しかしその後、サムスに指示を出し後ろ盾となっていたマッカーサーがGHQ司令を解任され、マッカーサーにこれまで付き従って日本の医療改革に取り組んできたサムスも帰国を決意、日本から離れることとなった。

 

これを機に息を吹き返したのが武見太郎だった。

 

サムスの帰国後に「薬を薬剤師が売る」という合意を有名無実なものにし、医師の薬の利権を守った。

 

武見太郎はその後、医師会会長の座に20年間居座り、その間薬剤師による薬の調合・販売はサムスの提案から進むことは一度もなかった。

 

その後も医師の利権を守るために闘争を続けた武見は、医師会の会費数十億円を1人で自由に使える能力を持っており、理事にお茶くみをさせるほどの絶大な権力を誇った。

 

命懸けでサムスから奪い取った薬の利権は武見が会長の間は健在し、医者が薬を仕入れる時の値段の1.5倍から2倍の値段で薬を売ることができた。

 

そのため、薬を売れば売るほど医者が儲かる構図は戦前から変わらず、医者は必要以上に多くの薬を処方するようになった。

 

これが原因で日本が「一億総薬漬け社会」になった、という見方もあるほどである。

 

「薬を医者の手から離して医療を進歩させたい」というサムスの願いは、武見が会長から退くまで叶うことはなかった。

 

 

 

【武見太郎と負の遺産】

 

 

 

武見太郎

 

吉田茂とは姻戚であり、その他の歴代首相とのつながりを買われて医師会のトップに20年君臨した。

 

そして、医師の利権を守るために生涯争った武見の「負の遺産」は、現代にも暗い影を落とし続けている。

 

武見がサムスと争って死守した薬の利権は形を変えながら今も残り続け、その影響で国が定める薬の販売価格基準は市場よりも遥かに高く設定され、同じ薬が外国の1.5倍から、ひどい時は4倍もの高値で売られる事態にまでなっている。

 

このような構造から日本の薬や医療機器の価格は世界一高くなり、この「美味しい日本の製薬市場」で外資系製薬会社は巨額の利益を上げ続けてきた。

 

私たち日本人は、今もこのシステムから搾取され続けていると言っても過言ではない。

 

日本臨床外科学会名誉会長の出月康夫氏は「薬代や医療機器を外国と同じくらいの水準に数兆円の医療費が削減できる。しかし、製薬業界最大の組織である東京医薬品工業協会、大阪医薬品協会の理事長といったポストが厚労省にとって美味しい天下り先である」と指摘している。

 

そして医師は薬を処方すればするほど、製薬会社から「コンサルタント料」「講演の謝礼」などの名目で見返りを受け取ることができる。

 

薬について何も知らない国民に必要以上の薬を処方して薬漬けにする一方、医者が製薬業界と共に潤い、厚労省の役員がそこへ天下る。

 

戦前から続いてきた薬を巡る利権は今も残っている。

 

戦後、サムスが願った医療改革は武見太郎が医師会会長の間は進まなかった。

 

そしてそれが今、「日本人の薬漬け」、あるいは国家財政からの医療費負担として私たちを苦しめている。

 

戦後に起こった歴史の歪が、今になって現れ始めているのかもしれません。

 

だからこそGHQサムスの歴史について知らなければ、現代日本に蔓延る様々な医療関係の問題の根本原因がわからないのかもしれません。

 

 

多くの日本人はサムスの偉大な功績どころか、彼の名前すら知らないのではないだろうか?

 

一体なぜこのようなことが起きるのだろうか?

 

それは、武見のような権力者たちにとって都合の悪いことは常に隠蔽され、私たち国民が知る機会を奪われているからである。

 

しかし、それだけではない。

 

もっと根本的な原因は「私たち国民自身の真実を追求する態度にある」と、西教授は語ります。

 

 

 

 

ーーー以上、少しまとめるつもりが、長々とほぼまるまる文字起こしとなってしまいましたが、次の動画を見れば、武見太郎という人がどういった人間なのかがよくわかります。↓

 

 

 

 

そして、この武見太郎の息子である武見敬三が現在の厚生労働大臣であり、その厚生労働大臣が最近こんなことを言っています。↓

 

 

 

こんな人に「国民の命を守るために強制措置」と言われても、きな臭いにおいしかせず、全然信用できません。

 

武見太郎の義理の叔父が吉田茂で、武見太郎の息子が武見敬三で、武見敬三の親族には麻生太郎がいます。

 

日本医師会、厚労省、自民党の癒着トライアングルです。

 

 

 

 

 

 

そして日本医師会のロゴ、ついでにWHOのロゴは蛇(サタン)です。

 

 

 

 

 

 

 

リブログさせて頂きました。

 

 

 

 

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