--- 実際にその人と同じ経験をしないとその人の気持ちはわからない。---
確かにそうかもしれない。
でも、同じ経験をしても僕はその人じゃないから、感性や感受性の違った人間だから、結局完全にはその人の気持ちはわからないだろう。
ていうか、僕はあまりこの言葉が好きじゃない。
なぜか?
気持ちが完全にわからないからといって
、その人の気持ちを "わかろうとする気持ち" まで否定されているような感覚を受けるからだろう。
たしかに、相手に「あなたはこうだ。」と決めつけられれば反発心も生まれる。
僕も僕を決めつけられることほど嫌いなことはない。
ただ、真摯に僕のことをわかろうとして向き合ってくれいる人に対して、「僕の気持ちなんてわからないくせに!」なんて、意固地に拒絶することもいけないとも思う。
人の気持ちは完全にはわからない。
けど、わかろうと向き合ってくれている尊い気持ちもあるわけです。
それは忘れちゃいけない。
また
この言葉を論点のズレた方向に使う人がいてやっかいなこともある。
たとえば
よく道で転ぶ人がいたとする。
僕はその人に「足下をよく見て歩けば道の微妙な凹凸に気づくし、その危険を感じれるようになれば道で転ぶことも減っていくはずだよ。」とアドバイスをしたとする。
しかし相手が
「道でしょっちゅう転ぶこともないくせに
自分の気持ちなんて実際に経験しないとわからないよ!」
なんて言ってきたら筋違いでしょう。
ここでは、"道で転ばないようにするにはどうしたらいいか?"という論点があるはずなのに、相手は"転んだときの気持ち"を訴えてきているわけだから会話はカオス状態。
結局、論点の違いが会話のズレを生じさせているわけです。
上記のようにたとえるとわかりやすいですが、心の問題となると感情が複雑に絡み合うので、何が論点なのかわからなくなることが多々あります。
たしかに実際に経験しないと、相手の気持ちをわかろうとすることは難しいことです。
だけど
わからないからといって、わかろうとする気持ちをやめてしまうとその人との繋がりもそこで切れてしまうでしょう。