人と接していて、誰かと話をしていて、その人の思想を観察してみると、その人自身の核を作っている思想を垣間見みてしまうときがある。
人は大きく分けて二つの思想を持っている。
---建設的思想、創造的思想---
を持った人と
---破壊的思想、被害者思想---
を持った人。
つまり、"造る思想"と"壊す思想"
壊す思想を持った人は怖い。そんな危険なやつが多い。
人間関係でのトラブルや環境への不満が多い人は普段から破壊的に物事を見ている人。
不平不満、愚痴、嫌悪、憎しみ。。
それらは、被害者思想の典型的感情。
そんな思想を核に持った人はいつか自身を破壊しかねない。
。。
濁った水がコップに入っていたとする。
その水はバイ菌もいるだろうし、飲んでしまうと明らかに身体に悪影響を及ぼすことはわかっているほどの濁り様。
その水を建設的思想の人と破壊的思想の人に飲んでくださいと渡したとする。
建設的思想の人はその水をどう飲むか?
きっと、水をろ過し、沸騰させ、水を透明にし、殺菌して飲める状態までにして始めて飲水するでしょう。
それはつまり、飲めない汚水から飲める水を作って飲んだってこと。
創造したってこと。
では、破壊的思想を持った人はどうでしょう?
きっとそのままその汚水を飲み、身体を壊し、そしてその水をくれた人を恨むでしょう。
身体も壊し、人間関係も壊す。
破壊的被害者思想。
世の中、汚水にまみれたルールや複雑な人間関係関係のプールみたいなもの。
それをどうろ過し、どう殺菌し、どう良い影響を自分に与えるか?
それを思考し続けることが僕は大切に思うわけです。
そのまま汚水を飲んで身体を壊す人が多すぎる。
そして、誰かを愚痴って、軽蔑し、皮肉り、嫉妬し、憎んで、受け入れてもらえなかったと被害者アピールの弾丸を放ち、環境のせいにしてコロコロとまた違う隣りの芝へと逃げようとする。
そんな人が多すぎる。
僕は怖いわけです。
破壊的思想は何かを壊すわけです。
そして被害者の和を作ろうとするわけです。愚痴り合いの懇親会を開き、誰かを攻撃して盛り上がろうとするわけです。
建設的、創造的によくなるように頑張っている人さえも壊そうとするわけです。
僕はそんな危険思想を懸念するし、凄く悲しくなる。
