言われてカチンときたなら
それが図星だからかもしれない。
一番自分でわかってて、一番言われたくないことを直球で心の真芯に当たったから、事実を受け入れることに抵抗し心の葛藤が働いている状態かもしれない。
反発して喧嘩になるときもある。
だけど、ここで感情あらわにぶつかり合ったならそれはセンスがない。
とくに心の勉強をしているなら、それじゃあいけないでしょう。
感情に流されて目の前が見えなくなったなら本末転倒。
感情を押し殺せと言っているわけじゃない。
感情と向き合って判断していけってこと。
僕たちはロボットでもなければ無機質な物体でもない。
僕たちには感情がある。
感情は人間としての大切なものである。
だけど、感情を暴走させちゃいけない。
赤ちゃんは理性がきかない分、感情100㌫で生きている。
僕たちはもう赤ちゃんではない。
歳を重ねる毎に僕たちは理性が構築されていく。
感情も人間として大切なものである一方、理性もまた人間として大切なものである。
とくに怒りや妬み、悲しみの感情から負の蟻地獄へ堕ちていったならまずい。
僕は普段心掛けていることがある。
まだまだ不十分なところもあるけど
いつもそれを頭に置いている。
それは
----自分が一番曲げたくない信念を信じること。そして、それを疑うこと。-----
信念を信じながら疑う。
それって、中途半端やん。
きっとそう思うかな?
"自分の信念を信じることが大切。"
それはわかる。
だけど、その信念はたかが20年そこそこに生きている僕が翳した信念。
「自分を驕るなよ。」
僕は自分にそう言いたい。
「お前なんかまだまだ信念を語れるほど偉大でもなければ、強くもない。」
信念なんてこれから生きていくための道具に過ぎない。
もっと先に進めばもっと大きな信念が必要になってくる。
誰かが指摘した図星にカチンとくるまえに自分の愚かさを知るべきだ。
カチンとくることを言われたことこそ、それによって乱れた心があることこそまだまだ未熟な信念だと言いたい。
かといって信念は無意味ではない。
その時の自分の進むべきコンパスなる。
自分を信じ、そして自分を疑え。
僕らは天才でもなければ、偉人でもない。
だから凡人な僕らは、泥まみれになりながら試行錯誤に四苦八苦自分の答えを意味を探していくしかないんだ。