お部屋のお片づけと今の自分をつくってきたものたち | ☆オーストラリア&カナダでワーホリライフ→再びオーストラリア☆

☆オーストラリア&カナダでワーホリライフ→再びオーストラリア☆

オーストラリアにて2年ワーキングホリデー→アジア旅行を挟んで再び観光ビザでオーストラリア入国、パートナーとの出逢い♡
2017年は彼と共にカナダでワーホリ&アメリカ横断♪
再びオーストラリアに戻りパートナービザ申請&チャイルドケアの道を歩み始める。

最近、私の母はようやくskypeとFacebookなるものを手にしました。
うちも本格的にskypeを使うのは初やけど。笑

オーストラリアへ行く前に連絡手段を確保しようということで。
家には私が昔買ってあげたiPadがあるので、それを使ってもらうことに。

ここ最近は夜中にskypeをフェイスブックのメッセンジャーの使い方を復習しながら遊ぶのが日課になっております。笑

あ、早速フェイスブックでうちのお母さんを発見して友達申請してくれた
たまっち、山崎さん、ありがとう☆笑
恥ずかしがってたけど喜んでました。笑





昨日は、豚キムチ炒めに引き続き、
オムライス作りましたー。

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たまごが固くなってしまったけど、まぁフツーのオムライスでした。
これも別にレシピなくてもみんな作れる??(・∀・)笑





あと、オーストラリアへ発つ前に部屋の掃除をすることになりまして、
(お母さんに言われる。笑)
とりあえずダンボールを3箱用意してスタート。

いろいろおもしろいもの、懐かしいものが出てきました♪(*´▽`*)


まず、これ。
世界地図の逆さま版↓

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これは、高校2年の時に学校の語学研修に参加して
オーストラリアのパースへ3週間行ったんですけど、
その帰国の途中でシドニーに1日寄ってうろうろする時間があり、
そこで発見して買ったと思われる。

ちなみにこれが人生初の海外&ホームステイでした☆


そういえば・・・
シドニーで友達とお土産屋さんで買い物してる時に
見知らぬ外国人となぜか「ついこの前誕生日やってん!」という会話をして(笑)、
そしたらいきなり
"HAPPY BIRTHDAY~~~!!!"
と言いながらものすごい力でハグされたことを今思い出した。笑





次はこれ。

いろいろ高校の思い出もいっぱい出てきたけど、この写真。
ALTだったLisaがうちらが高2の時に帰国してしまったんやけど、
うちらの卒業式のためにわざわざカリフォルニアからこっちに帰ってきてくれた時☆★
そしてうちに泊まってくれた♪(*´▽`*)

ESS部だったうちらは特に仲良かったからな♪

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そしてこれは錆びたメトロノーム。
一番最初、ピアノのレッスンから始まって中学入るくらいまで続いたんかな。

昔はお母さんが、狭いマンションの部屋なのに
グランドピアノを買ってくれるくらい力を入れていたお稽古。
小さい頃は将来はピアニストが夢とかなんとか言ったり、
ピアノの先生の弟子になるとか言ってたり。

今じゃ多分何も弾けないと思われる。笑

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ピアノ以外に、実は習字もやっていた私。
この字の汚さで。笑

会社の人に言っても絶対信じてもらえなかったやろうな。
特に○本主任とか。笑

お互いに「字汚いな」って言い合いしてたら、
横から別の人が
「どっちもどっちや。」
ていうくらい。笑

ちなみに目もどっちも細くて、
そこもけなし合いしても結局
「どっちもどっちや。」
と終わらされる。笑

あーそういう日常がようやくちょっと懐かしくなってきました。。。(´-`)

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これは高2の時にパースでホームステイした時、
もらった誕生日プレゼントと教えてもらったラザニアのレシピ。

the panicsというオーストラリアのバンドらしいです。


正直、ろくに会話もできず、あんまりコミュニケーションを取れなかった。
サイコーに素敵な思い出というワケにいきませんでした。

でも、あれからうちは変わったと思う!!
多分!笑

もう同じミスは二度としませんよ。

チャンスがあればまたパースに帰りたいな。

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これはうちの小学校からの友達、Erikaからもらった手紙。

この頃はまだメールとか使うことを知らなかったんで、
2、3ヶ月に1回くらいのペースで文通をしてたと思う。

Erikaは、小学校5年の時に研究員?だったお父さんの仕事の関係で日本に引っ越してきた。
で、同じクラスだったうちは英会話を幼稚園の頃から始めていたこともあって、
先生にお友達になるようにと頼まれたと記憶が。

もちろん大したことをしゃべれるワケもなく、
習いたて?だった
"What's this/that?" "What are these/those?"
と聞いて、
Erikaが
「草。」 「花。」
と答える、
そんなやりとりをずっと帰り道にしてました。笑


そんな感じでも、家も近かったうちはたまにErikaのおうちで遊ぼうって誘ってもらって、
初めてアメリカ人の家・おもちゃ・家族というものに触れました。

あれが本当に初めて海外の文化に触れた瞬間やったと思う。
いろんなことにめっちゃ感動して、うれしかったなぁ。

可愛らしいビーズがいっぱいあった記憶がある。。。
お兄ちゃん、弟くんも可愛らしかったなぁ。笑


確か1年くらいしたらアメリカに帰っちゃったけど、
それからもこうして文通を続けて、途中からメールになって、
2010年のGWにはうちが初のバックパッカー一人旅でLAを訪れて、
そこでErikaと再会もできたし☆

最後の夜はErikaのおじさん宅に一緒に泊めてもらいました♪


Erikaとの出逢いで、この頃からうちの人生はちょっとずつこの方向に向いてきてたんだと思う。

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これは、小学校・中学・高校の時によくやってたお手紙のやりとり。笑
こんなんも置いてます( ゚∀ ゚)

みんなよく、授業中に書いては
「あの子に渡して」
って小声で伝えてみんなに回してもらったりしてたなぁ。

今の時代の学生はケータイ持ってるし、
多分もうこんなことしないんじゃないかと思ったり。
どうなんでしょう。

しかし懐かしいというか・・・
みんなホントにアホなことばっかり書いてます。笑

いくつか読んでるといろいろと思い出が蘇ってくるわ。

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これは比較的新しいけど、数年前までAEONに通っていた私。
セルフスタディーという別料金で購入する教材をたまにやっていたんですけど。

これ、毎回先生が一言コメントを書いてくれるんです。
で、TOEIC担当のケンジ先生がいろいろと役立つようなことを書いてくれてたんです。

AEONの先生をやってるみんなは結構いろいろと不満があったりしんどかったり、もうイヤやって言うのも分かるけど、
うちは本当にたくさんのことを教えてもらったと思ってます。

みんなの授業は受けたことないけど、行ってよかったって思ってる生徒もたくさんいると思うから・・・

でもホントAEONって大変そう。笑

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最後にこれ。笑

うちが入社した時に保険やさんがうちの生年月日で調べてもってきてくれたやつをなぜか大事に置いてました。

そして、その内容が・・・

「28歳がスタート期で、爆発的な運気をつかむ」

らしいです。笑

まさに今じゃないか!!


ということらしいので、これからオーストラリアへ渡ってからどんな素晴らしいことが起こるのか今から楽しみです。笑

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一度アップしてから大事なこと思い出した。笑
だからこれ追加♪( ´ ▽ ` )

今のうちがロックに目覚めたきっかけである我が師、加納氏。
加納氏は大学2年の時にテニスサークル
(えぇ、こう見えて実はテニスも4年間だけやってました。笑)
で出逢った1コ上の先輩。

うちが最初にロックに触れたのは高2の時、
ESS部の部活に行ったら1コ上の先輩、みほ先輩がネットで
LINKIN PARKのFaintをブチかましてくれた時。

何も知らない純粋な私が、自ずとヘドバンというものをしていたところから話は始まります。

最初は見た目もイカつい超変わり者
(あの当時はピンクの超細身モヒカンだったと思われる。最初からかなりイカれてる方でした)
の加納氏とリンキンの話でちょろっと盛り上がる。

で、そんな加納氏に教えてもらったのが、
神・SLIPKNOT。

もう後は省略しますけど、
その後は加納氏と共に数々のライブという戦場を駆け巡りました。

加納氏は狂ったことやライブだけでなく、
人生について語ったこともありました。


3年前の夏、加納さんとしたじさんとサマソニでレッチリを観た後の帰りにご飯食べてる時、
したじさんはこれから仕事でインドへ、加納さんは退職して次のステップへ、
「あとはお前や。」
と言われたことを思い出します。

ワーホリと言い続けて何気に6年近くになるけど、
ようやく、私も自分の道を歩くことにしました。



めっちゃ素敵な先輩です、師匠です。


ただ、一つ。

エルメスのカバンの持ち手部分をライターで燃やされて焦がされたことは未だに忘れられません。笑

そんな加納氏から大学卒業する時にもらったお手紙。
今も大事に置いてます。



彼は今、内閣府事業の地域興し協力?というんですかね?
そういう関係の仕事で、
福島県で廃校になった学校を建て直し、カフェ・バー・宿泊施設を経営しております。
やってることが一味違う加納氏。
これからどうなっていくのか本当に楽しみです☆


気になった方、「天空の秘密基地 矢塚分校」
で調べてみてください。


ちなみに加納さんからもらった最初で最後のタバコ、
なぜか引き出しの奥から出てきました。