昨日の朝、長谷の御霊神社に散歩ついでに参拝した。
拝殿の入り口にはなにやら、小さい立て札が。
近寄って読んでみると
「知っていると思いますが、私たちは自分の食べる食物の殆どを作っていません。
私たちは常に何かを受け取っているということです。
そしてその人間の経験と智慧の泉に何かのお返しをできれば素晴らしいことです」
と記されている。勿論良い言葉だなあ、誰の言葉?そしたら何と
スティーブ ジョブスだった!
神社の拝殿にジョブスの言葉がわざわざ置かれていて、ふーんと感心した。
ただし、その後知ったのだが、この神社は最近のドラマの舞台になっていて、
昨日の夕方も、カメラ片手の観光客が押し寄せていた。
先の言葉が、純粋に神主さんがジョブスの言葉に感動して、その意向で置かれていたのか、
若い観光客に悪く言えばおもねがちのサービスで置かれていたのか、不明ではある。
でも少しでも、この言葉が人に伝われば、それはそれで良いか…
ちなみにジョブスの後の言葉は
「百の草木も天照らす日の大神の恵み得てこそ」 これは神社の唱え言葉だそうです。

最近、必要に迫られて交渉力に関する本を読み漁っている。
もちろん、実地が伴ってこそとは分かっているが、
まずは自分の交渉力判定をしてみると、これが思ったよりも酷い!
ありがちなのが、感情と利害をごちゃまぜにしてしまい、
何が目的なのか分からなくなってしまう傾向。
そんな中でぐさっと刺さる一文に出会った。
多分アメリカ人の言葉だと思うが、
「譲歩するとは、餌を与えていれば虎がそのうち草食動物になるだろうと期待する事である」
うーん、これねえ!いかにも西洋人らしい言葉ではあるが、
ぐさっときたのは、「優しさ、思いやり」こそが状況を変えるという「信仰」を
手放していないからだろうと思う。それともスピリチュアル的な
「自分が引き寄せしているから、自分が変われば相手も変わる」思考?
どちらも正論でもあると思うが、でも一刻を争う時に、それだけで解決するものだろうか。
隣の市場での買い物から営業、訴訟、裁判、国と国と国と、駆け引きの中では
いつも交渉は日常様々なところで行われている。
中東の紛争やウクライナ、そして日本の海域でのさまざまなリスクゾーンを
実際に交渉に当たっている人達の、駆け引きの奥にある思考とはなんだろうと
想像を馳せてしまう。
ここまでは譲歩できるけど、それ以上はできないと、きっぱり言える
自分の中の原則原理が確立していなければ、それって交渉以前の段階なんだなあ。
自分を守るための安易な優しさや譲歩は却って周りを傷つける場合もある。
結局、自分の精神力を鍛えてこそ、という簡単な(でも難しい)結論でした。
ちなみにこの一節で、去年観た映画「ライフオブパイー虎と漂流した227日」を思い出しました。
漂流ボートに乗り合わせた虎とどう「おつきあい」して、漂流の日々を乗り切ったか、
面白かったです。



昨日は恒例の鎌倉落語会、一年に一度の立川志の輔の会でした。
2.5倍の狭き門の抽選をくぐり抜け、一番に並んで
最前列、正面で噺を聞けた気持ち良さ!
このところのストレスも忘れてライブに浸れた2時間半でした。
最初の噺、「バールのようなもの」の中で、
大工がご隠居に「何故,蚊に刺されると痒いんですかねえ」と質問すると、
答え「痒くならないと、どこが刺されたか分からないじゃねえか」!
いやはや、やはり志の輔の噺は笑える。