先生が逝かれてから、その後は
相談事をお願いする人物には
会う事はありませんでした、

その代わり、
その間、リコネクションやシータヒーリングと出会い、
特にシータヒーリングでは、不必要な思考パターンを取り除き、
アファメーションによって
自分の願望を達成する近道を教わる事になりました。

こうして幾つかのヒーリングメソッドを体得する末に
出会ったのが、
「神道フーチ」です。
きっかけは、私の家の処分でした。
親が亡くなり、残された土地を巡って
いささかの問題が生じた事をきっかけに、
どう解決したらいいか、シータの勉強でご一緒し、
その後独自のセミナー、セッションを
展開していた金子あみさんに、鑑定をお願いしたのです。

これには理由がありました。
10何年前、実家近くか、もしくは遠くかの
どこに住むかという選択をしなくてはならない事があり、
その鑑定を例の先生にお願いしたかったのですが、
自分の中でその質問を止める何かがありました。
自分で判断できず、依存的になるのではと躊躇したのです。
と思いつつ、
自分で実家近くに住むとは決めて、
家の風水環境等、その他些細な相談事は結局したのだから
自分の肚が決まっていなかったなあ。
後日、この選択が良くなかったかもと悩む事がありました。
大きなトラブルがあった訳ではないのですが、
この選択をしたことで、想定しないデメリットが
色々と出てきました。
その時、先生には中途半端な質問をせずに
きちんと核心の質問をしていれば良かった、と思いました。
例え、結果が私の選択と同じでも、
起る様々な事、それが一見ネガティブな事であっても
「これは何かの意味があるのだから、自分が決めたのだから」と肚をくくれる、
でももう一つの選択をしていれば、という思いを持ちながらだと、
「私の選択は間違っていたのでは」と、とかく自分を責めやすい
方向になりがちでした。

躊躇して一番大事な質問をしなかった当時の私。
でもその時は、私自身の精神がまだまだ未熟で
示された「道標」に従う事が、恐かったのでしょうね。

それで、今回の土地の件では、
私とは別視点から、状況を観てくれる方に
アドヴィイスをお願いしよう、と思ったのです。

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かくして、私のフーチ体験は
こうして始まりました。
先生にはその後も、何度か相談に伺い、色々なサポートをいただきました。

先生の言葉で印象が特に強いものを挙げるとー

●「私の判定は、道標に過ぎないから、それを実際に行くのは
本人だよ」

●当時アートの仕事をしていた私が、シェアしていた原宿の事務所を
1年で撤退するかどうか尋ねた時のこと。
私はこういう仕事は、原宿等の感度の良い場所にいて
情報を生で感じる方がいいのでは、それを撤退すると
私のアート表現、仕事の感性も鈍るのではと案じていました。
先生はまず「家から外に出て仕事をする、という目的は達したから
もう事務所を払っても良いよ」
そして先の私の心配事には
「情報はねー、天から貰えばいいんだよ!」
あ、まあ、確かに…。もうこれ以上何も言えませんでした。

●紹介した友人がお付き合いをしていた人のことで
相談に行った時の事。(彼女の了解を得て、シェアします)
彼女はもうその時点ですでに別れていたのですが、
相手の方は、学歴、キャリア、容姿、キャラクターとも申し分のない人でした。
何の問題も無く、最初はさくさくと波にのった付き合いができたのに、
次第にデートの約束をしようとすると、さまざまな事情が割り込んで来て
あまりにそれが続くうちに、双方とも冷めてしまいました。
それでも彼女は、彼との出会いの「意味」を知りたくて先生を尋ねたのです。
できれば復活できないかな、と淡い期待もあったとのことでした。
先生、一言。「この人とは止めといた方がいいよ。」
次の一言が「つき合うとあなたのチャクラが汚れるよ。」!!
そして「私の師匠が言った事だけどね、一流の人というのは
精神界の事が分かってる人の事だよ」うーむ!

先生から頂いた様々な教えは本当に貴重なものでした。
勿論その時は、一介のクライアントとして伺っていたので、
先生から技を伝授してもらうということはなく、
私自身、後日フーチを仕事にするなどとは
夢にも思っていませんでした。
ただ先生のような存在が、これからどの道を行けば良いのか、
また行く道は分かっているけど、踏ん切りが今ひとつつかない、
という時に、ぐっと背中を押してくれた事は確かです。
「言寿」ことほぎ を作ったのも、その時の体験が
元になっています。

先生は残念ながら、もう10年以上前にお亡くなりになりました。
もともとご高齢でしたが、若い素晴らしい奥様が
なんと先に逝かれてしまい、
その後を追うように1年後に旅立たれました。

訃報を聞いて、ああ、これから私が相談できる場所が一つなくなったなあと
寂しく思った事を憶えています。
せ、先生っ!なんとかして下さい、この「切れた金運、いや丹田を!」
と身を乗り出して懇願する私に、
丹田に効くハーブを配合した(多分私と相性の良い)練りオイルをすぐに
スタッフの方に用意してもらい、
そして、私の名前を書いた紙を、部屋のなにやら不思議な美しい装置に
入れました。
先生は鷹揚に、じゃあね、これからあなたにエネルギーを送っておきますから。
ここで部屋を出た後、その夜は定期の瞑想会があり、そこに参加しました。
その時、ちょぅっと不思議な事が起ったのです。
いつも会うと挨拶だけする参加者の男性がいるのですが、
その日もその方と瞑想会の休憩室の前でお会いしたので
軽くご挨拶しました。
そうすると、彼の方から
「原さん、僕ラクシュミの絵の額を二つもっているのだけど
一つ要りませんか?」と声をかけて来たのです。
ラクシュミとはインドのヒンドゥー教の女神の一人で
富を司る神様です。
絵姿には、手から金貨が沢山流れ落ちている姿がよく描かれます、
日本では弁財天として祀られています。
ええっと、内心驚く私。勿論頂きました。
小さな額ですが、美しいラクシュミの像が描かれていました。
今日の午後の話しが、こんな形で象徴として結びついたのか、と
驚きました。
いわゆるシンクロナイズというものですね。

いまでもその像は大事にとってあります。

それでその後、金運はどうなったかって?

まず、丹田に意識するようになりました。
特に日本人には「肚、ハラ」、この丹田は
とても大切なエネルギーポイントです、
また、ヨーガでも第2チャクラは
成功や財力と関係するポイントですが
これもこの丹田の位置とほぼ一致します。
ここの開発が重要だなあと、改めて感じ入りました。

それでも根っから第2チャクラタイプでない私は、
大金持ちで贅沢三昧の生活とは無縁でしたが、
振り返ってみると
自分の成長や表現に必要な事、
喜びに必要なことは殆ど
なんだかんだと言いながら
体験、吸収できていて
その時はそれなりのお金が入って来てくれた、
と思います。

数年後、その先生に やはりある鑑定をお願いした時、
もうお金のことは大丈夫だよ、と言われて
ほっとしたことを憶えています。

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