京セラを創立した稲森和夫さんの本を読んでいると、
前の会社を辞めて27才で創業したとき、
何人かの同僚、上司達が並々ならぬサポートをして、
そのうちのお一人は、運転資金を提供するために
ご自宅を担保にした、と書かれていました。
男気、とはこういうことを言うのか、と感心したのと同時に、
保証人リスクにつきまとわれている私だったら、
まずしない決断だったろうな、と思います。
その方も、やみくもに自宅を担保にしたのでなく、
稲森さんの才能や人柄を見込んだ上での
最終決断だったと思います。
現実を確認しながら、未来に希望を持つ、
という事では、
先日ご紹介した「脳と心の白熱教室」で提示された
楽観脳、の良いモデルと言えるでしょう。
勿論 稲森さんは、
自分に寄せられた期待に堪えようと、
死にものぐるいで働いて今日の京セラを築き、
KDDIを経営し,JALの再生を果たしたわけですが、
彼が成功するかどうか、保証なんてあったわけではない、
ある程度、現実的に、冷静に見極めた上での、
この方の「賭け」でもあったと思います。
前回、我が家には「保証人になっちゃあいかんよ」的な
暗黙の「家訓」があったとお伝えしましたが、
この方には、それが無かったか、
もしくは「保証人」のリスクを分かっていても、
稲森さんという目の前の人物をみての結論であり、
決して単なる刷り込みに自動的に従ったわけでは
ないようです。
自分の判断、決断を
単なるルールに当てはめるか、
一つひとつカスタマイズされた事柄に当てはめていくか、
安全(かもしれない)は、前者ですが、
可能性を引き出すのは後者です。
また自動的にルールに従うと、
時にそれは暗転した結果を呼び起こす事になります。
3.11では
マニュアルを超えた直感に従って行動した方達が
生き延びた話しをよく聞きます。
勿論、それをした全ての方が生き延びた訳ではないでしょうが、
時に、本来安全であるために作られた
ルールが硬直しすぎて、逆の結果を生み出す事もあるようです。
良く考えてみると、
保証人になったが故に
家が零落した流れの祖母でしたが、
結婚した先はさほど困窮した家ではなく、
父達兄弟はまあまあ豊かな子供時代を
送っていたようです。
だから父にとっても、零落騒ぎは実際に体験したものではなく
その母の思い出語りなのですが、
何故か私に伝わって、妙なリアルさをもって
「保証人になると、全てを失う」と
頭の中でエコーしているのです。
「保証人」と「失敗」と「零落」が
がっちりトリプルセットになっていると、
ほんとに不自由ですね。
自分が損をしない保証のあり方だってあるだろうし、
ここでこの人の事業を助けてあげたいと、
本気で思う事だってあるだろうし、
それがひいては世界を変える事も
あり得るかもしれません。
私の場合の「保証人」を例に取りましたが、
私たちはさまざまな
「半分意味を失いかけている」制約に
案外捉えられているようです。
誓約、という言葉に置き換えてもいいかもしれない。
このブログをお読みのあなたなら、
自分にまとわりついている「誓約、制約」
どんな事が浮かび上がりますか。
可能性よりも、自分のなかの恐怖心に焦点をあてて
そちら優先で物事を判断する。
この恐怖心てなんだろう。
これがすっきりしないと、
左手が邪魔しないマニフェストに行き着けません、なかなかに。
少なくとも「自分には、○○に対しての恐怖心があるんだー」と
実感しなければ、
左手は自動的に邪魔してきます、いつまでも。
前の会社を辞めて27才で創業したとき、
何人かの同僚、上司達が並々ならぬサポートをして、
そのうちのお一人は、運転資金を提供するために
ご自宅を担保にした、と書かれていました。
男気、とはこういうことを言うのか、と感心したのと同時に、
保証人リスクにつきまとわれている私だったら、
まずしない決断だったろうな、と思います。
その方も、やみくもに自宅を担保にしたのでなく、
稲森さんの才能や人柄を見込んだ上での
最終決断だったと思います。
現実を確認しながら、未来に希望を持つ、
という事では、
先日ご紹介した「脳と心の白熱教室」で提示された
楽観脳、の良いモデルと言えるでしょう。
勿論 稲森さんは、
自分に寄せられた期待に堪えようと、
死にものぐるいで働いて今日の京セラを築き、
KDDIを経営し,JALの再生を果たしたわけですが、
彼が成功するかどうか、保証なんてあったわけではない、
ある程度、現実的に、冷静に見極めた上での、
この方の「賭け」でもあったと思います。
前回、我が家には「保証人になっちゃあいかんよ」的な
暗黙の「家訓」があったとお伝えしましたが、
この方には、それが無かったか、
もしくは「保証人」のリスクを分かっていても、
稲森さんという目の前の人物をみての結論であり、
決して単なる刷り込みに自動的に従ったわけでは
ないようです。
自分の判断、決断を
単なるルールに当てはめるか、
一つひとつカスタマイズされた事柄に当てはめていくか、
安全(かもしれない)は、前者ですが、
可能性を引き出すのは後者です。
また自動的にルールに従うと、
時にそれは暗転した結果を呼び起こす事になります。
3.11では
マニュアルを超えた直感に従って行動した方達が
生き延びた話しをよく聞きます。
勿論、それをした全ての方が生き延びた訳ではないでしょうが、
時に、本来安全であるために作られた
ルールが硬直しすぎて、逆の結果を生み出す事もあるようです。
良く考えてみると、
保証人になったが故に
家が零落した流れの祖母でしたが、
結婚した先はさほど困窮した家ではなく、
父達兄弟はまあまあ豊かな子供時代を
送っていたようです。
だから父にとっても、零落騒ぎは実際に体験したものではなく
その母の思い出語りなのですが、
何故か私に伝わって、妙なリアルさをもって
「保証人になると、全てを失う」と
頭の中でエコーしているのです。
「保証人」と「失敗」と「零落」が
がっちりトリプルセットになっていると、
ほんとに不自由ですね。
自分が損をしない保証のあり方だってあるだろうし、
ここでこの人の事業を助けてあげたいと、
本気で思う事だってあるだろうし、
それがひいては世界を変える事も
あり得るかもしれません。
私の場合の「保証人」を例に取りましたが、
私たちはさまざまな
「半分意味を失いかけている」制約に
案外捉えられているようです。
誓約、という言葉に置き換えてもいいかもしれない。
このブログをお読みのあなたなら、
自分にまとわりついている「誓約、制約」
どんな事が浮かび上がりますか。
可能性よりも、自分のなかの恐怖心に焦点をあてて
そちら優先で物事を判断する。
この恐怖心てなんだろう。
これがすっきりしないと、
左手が邪魔しないマニフェストに行き着けません、なかなかに。
少なくとも「自分には、○○に対しての恐怖心があるんだー」と
実感しなければ、
左手は自動的に邪魔してきます、いつまでも。