野球殿堂にまつわるよくある疑問 | lowverのブログ

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日本の野球殿堂の規則は、野球殿堂博物館の公式サイトを見ても完全な情報は書かれておらず、正しい知識が普及しているとは言い難い状況です。
そこで、新ブログの方で2回に分けて殿堂入り規程について説明をしてみました。
  野球殿堂入りの規程について
  野球殿堂競技者表彰規程の変遷

この説明を踏まえて、世の中によくある疑問や誤解について答えていきたいと思います。

Q. ここ数年、競技者表彰(プレーヤー表彰)の投票結果を見ると1980年代に引退した選手が入っていないのは、投票する記者が若すぎて、昔の選手を知らないからではないですか?

A. 2008年以降のプレーヤー表彰の規程では、有資格者は現役引退後20年以内と定められています。この規程には改正に当たっての移行期間として、2008年は25年以内、以降毎年1年ずつ減って2013年以降は20年以内となっています。具体的には以下のようになります。
  2008年:25年以内(1983年以降)の引退選手
  2009年:24年以内(1985年以降)の引退選手
  2010年:23年以内(1987年以降)の引退選手
  2011年:22年以内(1989年以降)の引退選手
  2012年:21年以内(1991年以降)の引退選手
  2013年:20年以内(1993年以降)の引退選手
  2014年:20年以内(1994年以降)の引退選手
  (以下、毎年20年以内の引退選手)
したがって、2012年以降は投票する記者の年代がどうであったとしても、1980年代に引退した選手に投票することはできません。それ以前は、例えば2010年の投票で選出された東尾修氏は1988年引退ですし、選出は逃しましたが191票を獲得した加藤英司氏は1987年の引退です。2011年にも1989年引退の鈴木孝政氏に票が入っています。

Q. そうは言っても今まで40代の表彰者はほとんどいなかったのに、ここ数年野茂英雄氏・佐々木主浩氏・古田敦也氏など40代の表彰者が立て続けに出ているのは、投票する記者が若すぎて昔の選手を知らないからではないですか?

A. そもそも2007年以前は規程上40代の表彰者が出にくい状況にありました。選手が引退後、監督やコーチに就任すると引退とはみなさず、競技者表彰の対象とならなかったからです。
競技者表彰の対象となるほどの成績を残した選手は、監督やコーチになるケースが多いですから、監督コーチをやっている間に年を取り、表彰資格が得られる年齢も40代後半とか50代になってからということになります。候補者が全体的にそういう状況ですから、古い有力な選手から順番に表彰されていった結果、なかなか40代の表彰者が生まれにくかったという状況でした。
ただし2つ例外があります。
1つは1963年~67年は監督やコーチであっても引退とみなす規程になっていたので、状況が違いました。まさにこの時期に川上哲治氏が40代での表彰を勝ち取りました。
もう1つの例外は、引退後監督やコーチに就任しなかったケースです。張本勲氏・衣笠祥雄氏がこのようなパターンで40代での表彰となりました。

現在は1963~67年と同じく、監督やコーチであっても引退とみなす規程です。なので、投票する記者の年齢にかかわらず、以前よりも若い年齢での表彰者が出やすい状況にあると言えます。

Q. 結局、投票する記者が若すぎて昔の選手を知らないからということですね?

A. 何かQ/Aがかみ合っていませんが、間接的な影響はあるでしょうね。投票する記者がリアルタイムでは知らないような選手を正しく評価するのは難しいでしょうから、2008年からの改正ルールでは経験15年~30年の記者が投票する範囲は引退後5~20年の選手(プレーヤー表彰部門)になったのです。
引退後21年以上の選手はエキスパート表彰部門として、現在では経験30年以上の記者に委ねられています。
そういう意味で、投票記者の年齢と選出される選手の年齢は間接的には影響しているのでしょう。

Q. 経験30年以上の記者にもプレーヤー表彰の投票をさせれば改善するのではないですか?

A. 現在のルール上、経験30年以上の記者はプレーヤー表彰の投票権を既に持っています。プレーヤー表彰の投票権を持っているのは、経験15~30年の記者ではなく、経験15年以上の(当然30年以上も含めた)記者すべてです。

Q. ところで田淵幸一氏は2008年にプレーヤー表彰で211票を集めていますが、翌年には票がなくなっています。これは記者たちによる裏工作ではないですか?

A. 田淵幸一氏は1984年に現役を引退していますから、最初の質問の回答に書いた通り2008年がプレーヤー表彰資格を持った最後の年でした。2009年以降は資格がないので票がなくなるのも仕方ありません。

Q. でも中には田淵氏に思い入れのある記者もいるでしょうから、いきなり0票になるのはおかしくないですか?何票かは集まっても良いのではないですか?

A. 資格がないのですから、仮に田淵氏の名前を書いて投票したとしても無効票として扱われるだけです。0票になるのは仕方ありません。
ただ、プレーヤー表彰の資格を失うと同時にエキスパート表彰の資格は得ています。2009年は2票でしたが、2016年には27票を獲得しています。

Q. バース氏は2004年に202票集めていますが、やはり翌年には票がなくなっています。引退後20年ならまだ資格があったはずです。やはり裏工作があるのではないですか?

A. 残念ながら2004年は2008年以降のルールとは異なり、資格は引退後16年以内でした。この頃の規程では、監督やコーチをやっていれば引退とはみなされないのですが、監督にもコーチにも就かなかったバース氏は1988年に現役引退していますから2004年が資格最終年でした。
ただし、2008年以降の新規程での資格期間は最初の質問の回答にもある通りですから、2008~2010年はバース氏にも資格があったという解釈になっても良いのではないかと思います。おそらく、一度資格を失ったので復活はさせないという解釈で運用されたのでしょう。


※疑問や誤解は㈲イチローチ氏のブログ を参考にさせていただきました。