こんにちは
茶眉間です
フォローしてくださった方、励みになります!!!
ありがとうございます!!
更新が遅くなり、すみません
実は、クラウドワークスで受けた仕事が予想以上に時間がかかり。。。
日給200円ぐらいで作業していました(笑)
接客・販売系のパートの面接も終わり、
今ようやく少し落ち着いて更新できます。。。
仕事が始まったら、また更新が遅くなりそうな気がしてなりません
皆さん、いつブログを書いているのかってぐらい
更新が早いですよね
やはり、この辺で仕事のできなさが浮き彫りになっている気が、、、します
要領よくなりたい、、、(切実)
今回は、自己紹介 part3ということで、
夫との死別~現在まで
を書いていこうと思います。
ちなみに、これまでの自己紹介は、
以下から見てみてください✨
part 1
part 2
28歳 実家で生活・働く
夫の死別後、福岡の実家へ戻って半年ほど休養しました。
やはり突然のことでしたので、メンタルをやられて、
自宅に引きこもって呆然としていました。
病院では不安障害と診断されました。(この時、パニック発作はありませんでした)
私自身、夫の死の原因はすべて私にある、と周囲にも言っていたので、
自責の念に苛まれてとても苦しい思いをしました。
夫の家族からもお葬式前後に暴言、暴行があり、
実家に帰ってからも夫の母が電話で恨みつらみを言ってきました。
確かに、夫の家族に言われるのは仕方がないことでしたが、
しまいには、福岡へ来て私の子供としばらく一緒に過ごしたいと仰るようになったので、
誘拐する気かもしれない、と恐怖を感じ、それから連絡を取らないことにしました。
正直、亡くなってすぐは、
夫の死はすべて私が原因と考えていましたが、
今振り返ると
離婚する過程ででるようなトラブル
(喧嘩、コミュニケーションがとれない、性交渉できない等)
や仕事でのストレスが原因で鬱になっていて、
私が原因というよりは、トラブルに対応できなかった夫が、
結果的に鬱で亡くなってしまったんだと思います。
早く別れたり、夫を実家に戻したりすれば、
夫は今も元気に生きていたんだと思います。
正直、まともに考えるとかなりつらいので、
今は、夫の魂も安らかに過ごしていることを信じて過ごしています。
身近な人の死を経験したことで、娘や両親が側にいてくれることの貴重さに気づきました。
家族や、友人、関わってくれる周りの人に感謝の気持ちを持てるようになりました。
また、人生は無駄な時間を過ごせるほど長くないかもしれないと考えるようになりました。
今は、つらいことはなるべくやらず、楽しいと思うことを素直にやってみることをしています。
これからは子どもの成長のために生きていく、
そう決めて、死別して半年後に地元の企業に事務として就職しました。
正社員だったので、給料もよく、安定して働くにはピッタリの場所でした。
しかし、、働きだしてしばらくして、
疑っていた発達障害の症状が気になってきました。
29歳 発達障害(ADHD)の診断を受ける
事務の作業はマルチタスクの業務が多く、
複数の業務を効率よく素早くこなしていくことが求められました。
しかし、これが全然私の中に浸透していかないのです。。。
入社して3か月たち、
独り立ちできるのではないかと上司に言われて一人で作業した結果、
大幅に業務が遅れたり、ミスが立て続けにおきたりといったことが
発生しました。
周囲の人は懸命に教えなおしたり、
どこがわからないかと聞いてくれましたが、
私も一生懸命に業務をしていたつもりだったので、
何が業務が遅れる原因なのか、自分でもさっぱりわからない状態だったのです。
メンタルクリニックに診断にいったところ、
すぐに発達障害(ADHD)という診断がおりました。
知能検査(ウェクスラー検査WAIS-IV)の結果は、
得意なこと(言語理解)と苦手なこと(ワーキングメモリー)の差が
「21」となっていました。
通常、この「差」が「15」以下であることが標準だそうです。
このテスト、四字熟語や空間認知を図る立体図などの問題が難しく、
出来が悪いからIQも低いんじゃないかと内心ビクビクしていましたが💦
IQは100ということで、平均すぎて安心しました
心理士さん曰く、
「性能が非常に高いのに、車輪が小さくてうまく機能しない車」
のような状態ということでした
ようは、頭でっかち!!ですね
この結果は、今までの人生を振り返ると合点がいく結果でした。
学生時代は、学校の成績はとても良く、
少しの努力で成績は高い状態でキープできました。
ただ、学生時代にやったコンビニでのアルバイトは、
レンジに商品を置き忘れてしまったり、
釣銭を多く渡してしまっていたり、、、
(ほとんど気づいていないことが多いのですが、、、)
短期間のワーキングメモリーが小さいために、
少し前にやった作業を忘れてしまうことが多かったために
ミスを連発し、
数か月で勤務するのが怖くなり、
辞めてしまいました。。
ここが、頭(性能)は良いのに、
実際に働く(機能する)ときにはなかなかうまく動いてくれない
という所以だと思います。
また、ADHDの症状と言われる「多動性・衝動性」については、
幼稚園時代は教室を抜け出して妹の教室へ行ったり、
お昼寝をせずに遊んでしまうなどの多動?衝動があったようですが、
小学校での座学は、あまり動き回ったりすることはなかったようです。
それで、あまり落ち着きのなさを意識することなく育ったため、
気付かなかったのだと思います。
事務の作業は、
接客よりは落ち着いてやれる環境ではあるのですが、
同時並行な作業が多かったために
優先順位をつけて作業すること、
素早く作業を行うこと
が難しい状況でした。
また、私自身が「できない自分」を認めることができず、
周りに積極的に相談するということをしませんでした。
ADHDの特性上、業務を行うことが難しいこともありましたが、
この「できない自分を認められない」ということも、
業務をうまく行えない原因ではなかったかなと感じています。
結果的に、その会社は入社後4か月で自主的に退職しました。
そして、発達障害者向けの就労移行支援事業所に通うこととなりました。
29歳 就労移行支援事業所に通う
発達障害の診断を受けて、
自分の弱み、強み、特性を理解したいと考えて
自己分析をメインで取り入れている事業所へ入所しました。
真剣に困って通所したのですが、
私はそこのスタッフさんに恋をしてしまいました
やはりきっかけは、これまでの出来事や困りごとを話す
カウンセリングでした
本当、弱みを握られると人間弱いものですね
そして同じ過ちをしても気づかないものですね(笑)
ただ、これがきっかけで私はエネルギーが人生最大に高まり、
意欲的に活動するようになりました
講義では、積極的に発言し、スピーチも大学論文のような
難しい考察を展開し、
スタッフさんからの評判もすごくよく、
なぜか、男性のスタッフさんや通所者さんに
もてまくりました(笑)
通所者さんも、障害をもってるかわからないほど
紳士な方が多かったのですが、
お気持ちに応えられる方はいませんでした
でも、好かれることはとてもうれしいことだったので、
正直にお気持ちを話していただいた時は
嬉しい気持ちでした✨
意中のスタッフさんは、既婚者ということがわかったため、
告白することはありませんでしたが、
それでも事業所に貢献したいという思いが強かったです
入所して9か月経ち、
私は派遣事業を行う会社の事務職の障害者枠で、
正社員として就職しました。
この時、恋をしていた相手については、
わたしは「ツインフレーム」という存在ではなかったかなと思っています。
(ここからは、スピリチュアルな内容を含みますので、
苦手な方は、スキップしてください)
出会ったときに感じたのは、「この人は、誰だろう?」と思い出さなくては
ならないような気持ちです。
間違いなく初対面ではあったのですが。
話すたびに、懐かしくて心穏やかな気持ちになっていました。
また、考え方やものの見方も非常に似ていて、
私の質問に対して、
まるで私自身が回答しているかのような
答えが返ってくることもありました。
鏡のような存在でした。
結果的に、次の事務の職場を紹介してもらったあと、
お相手との間柄は崩壊してしまうのですが
話すと長くなるので、
またこの話は別記事でお話したいと思います✨
また文章が長くなってしまってすみません
Part4に続きます