マレー金メダル記念:デヴィッド・フロスト卿インタビュー全訳 | マレー・ファン@ラブテニスワールド

マレー・ファン@ラブテニスワールド

英国テニス・ナンバーワン選手のアンディ・マレーを応援しながら、
ロンドンでの暮らしを綴るブログです♪
マレーがついに2012年ロンドン五輪で金&銀メダリストとなりました。
一緒に応援してくださった皆様、本当にありがとうございました!


さて今日ご紹介するデヴィッド・フロスト卿によるインタビューは、
今年4月28日に英デイリーメール紙に掲載されたものですが、
実はマレーがグランドスラム優勝をしたときの記念として、
いつかアップできるはず!とずっと温めていたものです。

といっても、フロスト卿は日本ではよく知られていないと思うので、
記事の前に軽く紹介しますね。


デヴィッド・フロスト卿は英米のTV界歴史に名を残すジャーナリストです。

彼が60年代に司会した時事風刺番組『That Was the Week That Was 』
(TW3)は、組織や政界をユーモアで風刺し、イギリスのテレビ界を
一斉風靡しました。その後、米NBCでも彼の司会でシリーズ化されています。

イギリスでは、あからさまに問題定義をするのではなく、
知的なユーモアで政治や世相を風刺するのが美徳ともされていますが、
その先駆けとなったのがこの『TW3』というわけです。

これが『モンティパイソン』や『スピッティングイメージ』、
現在放映中の『Have I Got News For You』、『Mock The Week
などの時事風刺番組に引き継がれています。

こういった英国風刺ブラックコメディの先駆けとなったオックスブリッジ
(オックスフォードとケンブリッジ大学の総称)の知的集団の先頭を切った
一人が、ケンブリッジ大出身のデヴィッド・フロスト卿というわけです。

以後現在に至るまで、Mr. ビーンことローワン・アトキンソン
モンティパイソン、スティーヴン・フライ、エマ・トンプソンなど、
多くのオックスブリッジ知的集団たちがTVや映画で活躍しています。

さてデヴィッド・フロスト卿の名を世界的に知らしめたのは、
1977年にアメリカで放映された『ニクソン・インタビュー』です。



1974年に米ニクソン大統領が辞任し公の場から姿を消した2年後、
ニクソンが初めてインタビューを承諾。
この貴重な12日間に渡るインタビューが4回のシリーズとして放映され、
米TVニュース史上最高の視聴率を集めました。

この対談は舞台化され、さらにロン・ハワード監督により
フロストxニクソン対談』として映画化もされてます。

また当地イギリスでは、2005年まで放映された12年に渡る長寿番組
ブレックファースト・ウィズ・フロスト』でお馴染みの顔でした。

と前書きが長くなりましたが、ニクソン元大統領の沈黙を破った
大御所フロスト卿が、アンディ・マレーをインタビューするという
何とも貴重な出来事となったわけです!

この記事が発表されたのは、マレーが全豪オープン準決勝で
ジョコヴィッチに敗退した3ヵ月後の今年4月です。

何度も敗北を味わいながらも、再び立ち上がって復活し、
「自分もいつかは…」と信じるマレーの闘志が感じられます。

このインタビュー後、今年7月にウィンブルドン決勝敗退という
ショックがありました。

ところが、その大きな挫折すら飛び越えて、マレーがなんと
ロンドン五輪金メダルを獲得!

ということで、

人生最大の勝利を見事に果したマレーへの記念

とし、今回アップすることにしました!

これは今年4月の全仏オープンを一ヵ月後に控えて行なわれた
インタビューですので、時事的にずれていることをご了承下さい。


*** 以下記事の訳です ***

(インタビュー:デヴィッド・フロスト卿)

私がアンディ・マレーをインタビューすると知った何人かの友人たちは、
マレーが恥ずかしがりで無口だと想像した。

ありがたいことに、マレーに関するこういった憶測はナンセンスだと
いうことが証明された。コートを降りると、彼は親しみやすくて
愛嬌があるばかりか、興味深い、ユーモアと思慮に富んだ人間だ。

マレーは近代イギリスで、最も成功しているテニス選手である。

2千2百万ポンド(約28億円)の資産を抱え、22回の優勝を果たし、
世界ランキング最高2位を記録し、グランドスラム決勝に3度進出し、
さらに6度の準決勝進出を果たしてきた。

だが彼がグランドスラム初の優勝を飾るには、3人の目覚しきライバル、
ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、ノバク・ジョコヴィッチが
立ちはだかっており、このチャレンジのスケールの大きさを
私も実感せざるを得なかった。

「ジョコヴィッチは世界ナンバーワンに飛躍するまでの4・5年間、
 3位と4位を上下していた。
 僕はこの4年半、3位と4位の間を行き来している。

 僕は時間がかかっているけど、成功した選手たちはゲームの頂点に
 立つための突破口をいつかは見つけだすことができた。
 現在のトップは非常に強豪揃いだが、僕にも同じことができるんだと
 信じて、とにかくひたすら進歩し続けるだけだ」

とマレーが語るように、成功するための努力が重要なばかりか、
第一に自分が成功できると信じなければならない。

これがマレーが常に抱える精神的なプレッシャーなのである。

今回我々が落ち合ったのは、ロンドンのクイーンズ・クラブ。
ここでは今年6月11日から17日までエイゴン・チャンピンシップが
開催されることになっているが、マレーは去年この大会で優勝している。

これからがマレーのキャリアの正念場だ。クレイコート・シーズンが
始まろうとしており、ローランドギャロスの全仏オープンで幕を閉じる。
ここで彼は1936年のフレッド・ペリー以来、初の英国男子としての
グランドスラム優勝に再度挑戦することとなる。

それに続くのが6月末のウィンブルドン、8月に同会場で行なわれる五輪、
さらに9月の全米オープンである。

私は彼が今まで以上にリラックスし、自信に溢れているという
印象を受けた。

*以下、DF(デヴィッド・フロスト)とAM(アンディ・マレー)

DF:アンディ、生まれて初めてテニスの存在を知ったのは?

AM:多分6・7歳のときだと思う。

  4・5歳のときに、兄と母と一緒にコートで打ち始めたけど、
  そのときは本格的なテニスではなかった。
  母親がボールを投げ、僕たちはどこでもいいから打ち返す、
  という感じだったからね。

  6・7歳になった頃、ボールをネットの向こう側に返して
  スコアを決めなければならないという、テニスのコンセプトを
  理解できるようになったんだ。
  8・9歳の頃には、実際の大会に出場するようになった。

DF:最初に大会で勝ったのはいつ?

AM:確か8歳のときだったと思う。

DF:その時ですら、勝利は素晴らしい気分だった?

AM:あの時どんな気持ちだったかは覚えていないけど、
  幼い頃から「負けることに慣れなければならない」と
  自分に言い聞かせていたのは覚えている。

  兄(ジェイミー)と戦うたびに、彼が必ず僕を打ち負かして
  いたからね。常にだよ。

DF:以前読んだ記事では、11歳のときに初めてノバク・
  ジョコヴィッチと戦ったそうだけど…

AM:その通り。それ以来、ジュニア時代はずっと僕たちは一緒に
  大会に参加してきた。彼と初めて戦った場所はフランスだよ。

DF:どちらが勝ったの?

AM:僕だよ。6-0, 6-1だった。
  
  ジュニア時代、僕たちが11・12歳の頃は僕がいつも勝っていた。
  13・14歳になったときは、今度は彼が勝ち始めた。
  でも15歳か16歳になったときは僕が勝ち続けた。
  17・18歳のときは彼が上回り、19・20歳の頃は僕が上を行った。

  もちろんここ数年は彼が大きく飛躍したから、
  僕が追いついていかなければならない。

DF:15歳になったとき、ロンドンやサットン(イギリス)ではなく、
  バルセロナをトレーニングの場として選びましたね。

AM:バルセロナが自分にとって一番の場所だと決めた後、
  そこにある二つのアカデミーのどちらかを選ばなければならなかった。
  厳しい決断だったけど、キャリア上最高の決断を下したと思っている。

DF:バルセロナでは一定のスタイルを教えると聞いているけど…?

AM:イギリスのテニスに必要なのは、どのように我々がプレイをし、
  どのように我々が選手を育てていくかという哲学であり、
  スペインではこの哲学を学ぶことができたんだ。

  僕はアカデミーで最低レベルの選手と練習し、
  アカデミーで最高レベルの選手と同じドリルをこなした。
  これは嬉しい発見だった。

  年少者として入学し、トップ100の選手たちに憧れを抱きつつ、
  彼らが自分と同じドリルや練習をこなしているのを
  目の当たりにしたわけだからね。

DF:新しいコーチ、イワン・レンドルを迎えましたね。
  コーチは自分にとってどんな重要性を持つ?

AM:最も重要なのは、互いに一緒の時間を楽しめることだ。

  テニスのシーズンは11ヶ月もの長さで、毎日のように
  一緒に過ごさなければならない。しかもコートを出たら
  さようならではなく、食事を一緒にする時間も多い。
  一日に6・7時間は顔を合わせることになるんだ。

  だからまずは気が合わなければならないし、それとともに、
  特に元テニス選手だったらなおさらのこと、
  テニスが個人競技だということを踏まえて選手の立場で
  物事を見れることが大事だと思う。

  選手時代の視線で物事を見るのは非常に簡単だ。
  「僕だったらこうして、ああした」みたいにね。

  でもレンドルの素晴らしいところは、僕がどう感じているのか、
  僕の頭の中で何が起こっているのか、ということを知るために
  質問を投げかけ、なぜ僕が一定の決断を下したかを
  完璧に理解するための努力を惜しまないことだ。

  それ以外にも彼は多くの人々からのアドバイスを受けている。

  彼はコーチをしたことがないし、選手だった頃とはまったく
  違う立場にいるけど、これまでのところ、非常に素晴らしい結果を
  生んでいるよ。

DF:ハードコートと比べてクレイでは実際のプレイにどんな違いがある?

AM:僕にとっての一番の違いは動きだ。
  クレイではスライドしたり滑ったりするけど、ハードコートでは
  着地がしっかりしているからね。

  また僕はハードコート環境で育ってきた。15歳になるまで
  ハードコートでプレイし、スペインに行くまではクレイで
  プレイしたことはほとんどなかったんだ。

  去年の全仏オープン以来クレイコートでボールを打っていなし、
  一年のうち10ヶ月半はクレイで試合することもない。

  だからクレイになじんで安定するまでに数週間はかかるけど、
  たとえばナダルみたいにクレイで育ってきた選手だったら、
  クレイコートに立った瞬間コートになじむことができるよね。

DF:なぜテニス選手にはプレイに浮き沈みが?

AM:こればかりは誰にも分からない。
  日によって何が起こるか予想もできない。

  つまり、ある日起きてみたらサーブが驚くほど決まったのに、
  翌日になったら散々だったりするので、試合に勝つためには
  様々な方法を見つけ出さなければならないんだ。

  試合の途中で戦略を変更したり調整したりできる力を
  持っていることが、トップ選手たちとランク下の選手たちを
  分ける要素となる。

  ただ、これは簡単にできることではない。

  時には、なぜ思い通りにいかないのかということに捕らわれ、
  「この展開を上向きに変えるにはどうしたらいいだろう?」と
  考えられないことがあるからね。

DF:もし第一セットでいいプレイができなかったら、
  これを変えるために第二セット目ではどのように反応する?

AM:自分の試合相手によってそれは変わってくる。

  また試合の流れを変えなければならないというのに、
  セットの合間は2・3分のブレークしかない。

  その間椅子に戻り、45分間のセットを振り返り、何が起こったかを
  分析し、何がいけなかったのか、何を変えなければならないのか、
  ということを考えなければならない。

  そのための時間は本当に短いし、コートにはコーチがいないので、
  すべて自分自身で判断しなければならないんだ。

DF:さきほど母親(ジュディ)のことが話題に出たけど、彼女は
  テニスの真のエキスパートで、我々も彼女をコートで見かけるけど、
  かなりの専門家ですよね。

AM:僕とジェイミーが生まれた後、彼女は僕たちをコートに連れて行って
  少しずつコーチしたけど、ジェイミーも僕も楽しみにしたものだよ。

  彼女はいつも子供たちをコーチしていて、最近になるまで
  (注:現在ジュディは英女子フェドカップのキャプテン)
  14歳以上の生徒をコーチしたことがなかったんだ。
  彼女は子供たちを助けることに情熱をかけていたからね。

  成人をコーチするのはまったく違った技術が必要とされると思う。
  彼らがテニスを楽しむには、多大な忍耐が必要とされるからね。

  子供時代にテニスをしていても、一定の年齢に達したら、
  それほど楽しめなくなり興味を失ってしまうこともある。
  こうならないよう、彼女は常に僕とジェイミーの力となってきた。

DF:初のグランドスラム優勝を実現させるために、一人どころか、
  ナダル、フェデラー、そしてジョコヴィッチといった
  3人の強豪を倒さなければならないのは不運なこと?

AM:それはどんな風に考えるかによるよ。

  もちろん彼らがいなかったら、多分僕はもっと多くの大会で
  勝っていたかもしれないけど、テニス選手として
  ここまで成長していなかったかもしれない。

  彼らのように標準を高くする選手たちがいるおかげで、
  とにかくいつかは追い越せるようになるかもしれないと信じて
  自分の力を磨き続けなければならないからね。

  現在テニスは過酷な時代を迎えているけど、彼らのような選手たちと
  戦えることができるなんて最もエキサイティングな時代でもあるんだ。

  彼らとはそれぞれ10回以上対戦しているから、いつか孫たちに、
  自分の多くの経験や物語を語り継ぐことができることになるのは
  間違いないことだ。

DF:そしてグランドスラムで優勝したら、過去何年も犠牲を払って
  トレーニングしてきたことが大きく報われたことになる?

AM:もちろん、その一言に尽きる。

  去年全豪オープンで負けたあともそうだが、
  僕は最悪の時期を通りすぎてきた。

  キャリア中で最低のポイントを向かえ、もがき苦しみ、
  ひどく落ち込み、自信を失い、数ヶ月は試合結果も散々だった。

  そのあと再びトレーニングに精を出し始め、コートやジムで
  何時間も過ごすようになってから、あっという間に
  いい試合結果が出るようになった。

  だから特別に自分がしなければならないことは何もなくて、
  とにかくハードワークと自分を信じること、これしかないと
  実感しているんだ。

DF:あの去年の全豪オープン決勝敗退は大きな挫折となったけど、
  その後なにか特別な転機を迎えたとか?

AM:いや、特に自分でこれだと思った瞬間はなかった。

  逆に去年のマイアミ大会後(注:2011年3月のマイアミ・
  マスターズで、マレーは一回戦敗退)さらなる挫折を
  味わったことの方が大きい。

  今年は全豪オープンの準決勝進出どまりだったけど、
  一年前に決勝進出を果たして敗退したときよりも、
  もっと前向きな気持ちで大会を終わらせることができたから
  不思議なものだよね。

  とにかく事実、去年のマイアミのあと、僕は大きな絶望感を
  味わったんだ。

  ホテルの部屋に閉じこもって泣きながら、これから
  どうしていいのか分からないという状態だった。
 
 「自分のゲームをこれからどう進めていけばいいんだろう?
  大きな変革を遂げなければならないのだろうか?
  なぜこんなことが起こっているんだろう?
  人生で最高のテニスをプレイしていたのに、
  いまやなぜ最悪の状態に陥ってしまったんだろう?」

  こんな風に考えてばかりだった。

  でも次の日、僕はコートに立ったんだ。
  相変わらず最悪の気分だったから練習は楽しめなかったけど、
  日が経つにつれ少しずつ楽しめるようになり、ジムで
  過ごす時間も徐々に増えていき、というわけだ。

  そしてモンテカルロに出場し、再びいいプレイが
  できるようになった。だから転機を迎えたというより、
  徐々に回復していったという感じだ。

  また大会前後に、マイアミでボクサーのデヴィッド・ヘイと
  一緒の時間を過ごしたんだけど、彼のような人間と話したのが
  救われる理由となった。

  僕はボクシングが大好きだし、彼はそのゲームの頂点で
  戦っている選手だからね。

  それにスポーツの理学がこれほどまで重要視されていることにも
  感銘したんだ。彼らがどれほど過酷な練習を積み重ねているかを
  見るために、ジムにトレーニングを見に行ったりした。

  また「我こそが最高の選手であり絶対に勝つ」という
  彼らの持つメンタリティーが、僕にとって確実に助けとなった。

DF:おそらく金銭的な面から行くと、いつでも引退できる状態?

AM:おそらくね。でもプレイしているときにそのことを考えたことは
  一度もない。コートに立っている時はそんなことは考えられない。

  現在の大会の賞金はあまりにも高額だから、大きな試合の前に
  それが心にあり、この試合で勝ったら何千ポンドやドルが手に入るか、
  などと僕が考えていると想像するかもしれない。

  でも僕が一番気にかけるのはナダル、フェデラー、ジョコヴィッチを
  倒すこと、そしてグランドスラムで優勝して歴史に名前を残すことだ。
  これが唯一、僕の意欲を掻き立てるモチベーションなんだ。

DF:最後の質問。偉大なテニス選手と非常にいいテニス選手の違いは?

AM:これといってなに、とはいえないと思う。

  心理的な面が大きな違いを生むけど、現代の選手が判断される要素は
  グランドスラム優勝の数ともなっている。

  過去、もっと数多くのグランドスラム優勝ができるはずの選手が
  全豪オープンを欠場することがあったし、レンドルは
  ウィンブルドン準備のために数度全仏オープンを欠場したくらいだ。

  でも現代のテニスではそんなことはありえない。
  全選手たちにとって、グランドスラムが最大の焦点だ。

  グランドスラムでのパフォーマンスが、
  いまや選手が判断される要素となっているんだ。




*** 記事終わり ***

この3ヶ月で、本当にいろいろなドラマがありました。
マレーは全仏では準々決勝で敗退し、クイーンズでは一回戦で敗退。
でもウィンブルドンでは74年ぶりに英国選手として決勝に進出し、
大きな期待を抱く国民の前でフェデラーに敗北しました。

ところがその一ヵ月後、なんとイギリスで現在行われている
ロンドン五輪2012で、しかもウィンブルドンという同じ舞台で
ついに金メダルを獲得しました!

当時(といっても3ヶ月前ですが)このインタビューを読んで
私がつくづく感じたのは、私たちが現在、素晴らしいテニスの
ライバルたちを目撃しているという事実。

記事冒頭で、フロスト卿は『このチャレンジのスケールの
大きさを私も実感せざるを得なかった』と語っています。

特に、ジュニア時代から一緒にライバルとして肩を並べてきた
ジョコヴィッチが突然世界1位に飛躍。

目指す相手がナダルとフェデラーの2人だけではなくなり、
このまま
自分も取り残されてはならないと、さらに
ステップアップを
図るマレーの心境からも、チャレンジの
大きさがひしひしと伝わってきます。

もちろんマレーの前に他の強豪選手が立ちはだかるのは辛いのですが、
記事を読んで私が誇りに思うのは、二番選手として立ち止まらずに
彼らのレベルを目指し、向上し続けるマレーが存在するということ。

さらにマレーの五輪優勝により、今度こそ、いよいよマレーが
上位3位とのトップ争いにアクセルをかけて踏み込んできました。
これがさらにライバル争いをエキサイティングにすることは間違いなしです。

また孫に自分の思い出話を語り継ぎたい、と語ったマレー。

それどころかマレーは『永遠に英国の歴史に名前を残すこと』を
実現しました。

74年ぶりに英国選手ウィンブルドン決勝進出し敗退したものの、
その屈辱を乗り越え、金メダルを獲得したマレーの復活の物語。

これは孫の世代を超えて、テニス史上、そして五輪史上で
永遠に語り継がれることになるわけです。

ということで、マレー、信じた、がんばった~っ!!
こんなに早くこの記事をアップすることができて、嬉しい~っ!

おめでとう、マレー!