今日の格言 -36ページ目

今日の格言

ちょっと心に残る格言を取り上げてみました。

決してうつむいてはいけない   -   ヘレン ケラー



今日の格言-ヘレン ケラー

ヘレン・アダムス・ケラー : Helen Adams Keller1880年 6月27日 - 1968年 6月1日 )は、アメリカ合衆国教育家社会福祉 活動家著作家 である。


盲ろう の障害を背負いながらも、世界各地を歴訪し、身体障害者 の教育・福祉に尽くした


1880年 6月27日、アメリカ合衆国アラバマ州 タスカンビア で誕生。


2歳(生後19か月)の時に高熱にかかる。医師と家族の懸命な治療により、かろうじて一命は取り留めたものの、聴力、視力、言葉を失い、話すことさえ出来なくなった。

このことから、両親からしつけ を受けることの出来ない状態となり、非常にわがままに育ってしまう。


ヘレンの両親は聴覚障害児 の教育を研究していたアレクサンダー・グラハム・ベル電話 の発明者として知られる)を訪れ、ベルの紹介でマサチューセッツ州 ウォータータウン にあるパーキンス盲学校 の校長マイケル・アナグノスに手紙を出し、家庭教師の派遣を要請した。


3月3日に派遣されてきたのが、同校を優秀な成績で卒業した当時20歳のアン・サリヴァン (通称アニー)であった。サリヴァンは小さい頃から弱視であったため(手術をして当時はすでに視力があった)、自分の経験を活かしてヘレンに「しつけ」「指文字 」「言葉」を教えた。


おかげでヘレンは、諦めかけられていた「話すこと」ができるようになった。サリヴァンはその後約50年にも渡って、よき教師として、そして友人として、ヘレンを支えていくことになる。

Wikipedia より抜粋


人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。   


-   森 信三


森 信三(もり しんぞう、1896年 (明治29年)9月23日 - 1992年 (平成4年)11月21日 )は、日本の哲学者教育者


愛知県 知多郡 武豊町 に父・端山(はしやま)俊太郎、母・はつの三男として生まれる。2歳で岩滑(やなべ、現在の半田市 )の森家に養子に出され、以来森姓となる。


1920年(大正9年)広島高等師範学校 英語科に入学、福島政雄西晋一郎 に学ぶ。1923年 (大正12年)、京都帝国大学 哲学科に入学し、主任教授西田幾多郎 の教えを受け、卒業後は同大学大学院に籍を置きつつ天王寺師範学校(現大阪教育大学 )の専攻科講師となる。


1939年 (昭和14年)に旧満州建国大学 に赴任するが、敗戦後の1946年 (昭和21年)に帰国、1947年 (昭和22年)個人雑誌「開顕」を創刊、1953年 (昭和28年)、神戸大学 教育学部教授に就任。同大学退官後の1965年 (昭和40年)には神戸海星女子学院大学 教授に就任。


1975年 (昭和50年)「実践人の家」建設。1992年(平成4年)逝去。おもな著書に『修身教授録』『哲学叙説』『恩の形而上学』などがある。ちなみに「信三」は戸籍上は「のぶぞう」と読み、「しんぞう」は戦後帰国した際に他人が読みやすいという理由から名乗った通称である。


半田市名誉市民。半田市 がつくった新美南吉記念館 の一室に森信三記念室が設けられている。

森はその生涯から「人生二度なし」の真理を根本信条とし、「全一学」という学問を提唱した。「全一学」とは、

  • 東西の世界観の切点を希求するもの
  • 宇宙間に遍満する絶対的全一生命の自証の学
  • 世界観と人生観との統一の学

など12項目以上の定義にもとづくもので、要約すると「宇宙の哲理と人間の生き方を探求する学問」となる。森はこれらの思想をもとに全国各地で講演を行なうとともに自ら実践を重ね、日本民族再生に大きく働きかけた。


森の理論は実践から生まれた具体的なものが主で、「立腰」論はその最たる例の一つである。「立腰」論とは「腰を立てる」の意で、森はこれを「人間に性根を入れる極秘伝」としている。

自分の心に描く夢の実現に向かって努力する時、ふだんなら思いもよらぬ、成功が得られる   


-   ヘンリー デビッド ソロー


今日の格言-ヘンリー・デイヴィッド・ソロー

マサチューセッツ州 コンコード市 出身。

ハーバード大学 卒業後、家業の鉛筆 製造業、教師測量 の仕事などにも従事したが、生涯を通じて定職につかず、やがて学生時代に熟読した『自然』の著者で超絶主義 者のラルフ・ワルド・エマーソン らと親交を結んだ。


自費出版した処女作『コンコード川とメリマック川の一週間』(1849年 )は、若くしてこの世を去った兄とのボート旅行をまとめた随想で、当時の社会には全く受け入れられなかった。


ウォールデン池 畔の森の中に丸太小屋 を建て、自給自足 の生活を2年2ヶ月間送る。代表作『ウォールデン-森の生活』(1854年 )は、その記録をまとめたものであり、その思想は後の時代の詩人や作家に大きな影響を与えた。


コンコード市のソロー一家の墓


1855年 頃から体調を崩し、その後も野外での活動を継続したが、1861年 12月頃から体調が悪化し、1862年 5月6日、結核 の為コンコードで44歳で死去した。

コンコードのスリーピー・ホロー墓地に一家と共に埋葬されている。


自身の没後に『メイン の森』(1864年 )や『コッド岬』(1865年 )などの旅行記や、自然誌エッセー、日記、書簡集等、数多くの作品が出版されている。ソローの作品は、人間と自然との関係をテーマにしたものが多く、自然文学、今で言うネイチャーライティング の系譜に位置づけられる。


多くの著作に現在の生態学 に通じる考え方が表明されており、アメリカにおける環境保護運動の先駆者としての評価も確立している。日本においてもアウトドア 愛好家などに信奉者が多い。


ソローは奴隷 制度とメキシコ戦争 に抗議するため、人頭税 の支払いを拒否して投獄されたことがあり、その様子は「市民的不服従 」としてマハトマ・ガンディーインド 独立運動やキング牧師 の市民権運動などに思想的影響を与えた。


また、現代アメリカにおいて一部の保守主義者の間ではティーパーティー運動 の思想的な先駆者であると見做され、良心的納税拒否の点から信奉する者もおり、多くの名言を残した。


日本では、代表作『ウォールデン―森の生活』は、明治44年(1911年)に水島耕一郎によって翻訳出版され、21世紀の現在に至るまで多くの訳書があり、代表的な翻訳は十数冊(抜粋訳等を含めると約30冊)ある。原書のペーパーバック版も容易に購入できる。