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今日の格言

ちょっと心に残る格言を取り上げてみました。

人間は知りすぎるぐらい知っているが実行することはあまりに少ない   


-   バックミンスター フラー


今日の格言-バックミンスター フラー 


リチャード・バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fuller, 1895年7月12日 - 1983年7月1日)は、アメリカのマサチューセッツ州出身の思想家、デザイナー、構造家、建築家、発明家、詩人。


フラーはその生涯を通して、人類の生存を持続可能なものとするための方法を探りつづけた。

全28冊の著作によって、「宇宙船地球号」、エフェメラリゼーション、シナジェティクス、デザインサイエンスなどの言葉を広めた。


デザイン・建築の分野でジオデシック・ドーム(フラードーム)やダイマクション地図、住宅のプロトタイプであるダイマクション・ハウスなど数多くのものを発明した。


彼の生涯は、商業関係のさまざまな仕事を転々としたあと、1922年に、安あがりで効率のよい屋根を作るための構造システムの仕事を始めるが、それは建設に手間がかからないと同時に軽量で、大きなスパンを覆うことのできるものを目指していた。


その成果が、第二次大戦後に展開された一連のジオデシック・ドームである。

それらは、スペース・フレームの原理にのっとって、木材、合板、アルミニウム、ペーパーボード、プレストレスト・コンクリート、さらに竹、など多種多様の材料で作り出したものであった。


その最大のものは、ルイジアナ州、バトン・ルージュにあるが、直径は384フィートで、1958年に作られたものである。



その他にも、テンセグリティや、今日一般的に見られるドームスタジアムの開発・設計、オクテットトラス構造の特許を取得し、世界各地にオブザーバー、提案者として請われ広範に活動した。


また、彼はその生涯においてクロノファイルと名づけた詳細な自らの活動の記録(日誌)を膨大な量残したことでも知られる。 それらは、バックミンスター・フラー・インスティテュートに保管されている。


晩年には世界中で講演し、また数多くの名誉博士号を受けた。


しかし、その業績は然るべき評価を受けたとは言い難く、彼の発明のほとんどは生産されず、また関わったほとんどの分野(建築など)では厳しい批評に晒されるか、ユートピア主義者とされ無視された。


しかし、彼の特許やそうでなくても、提案されたコンセプト等は現在の社会の大きな要素となっているものも少なくない。


「炭素60」(C60)と呼ばれる炭素のクラスター状分子はジオデシック・ドームと同じ構造を持つことから、彼にちなんで「バックミンスターフラーレン(フラーレン)」または「バッキー・ボール」と命名された。





経験してみるまでは何事も現実ではない   


-   ジョンキーツ


今日の格言-ジョンキーツ


ジョン・キーツ John Keats(1795-1821) は、パーシー・ビッシュ・シェリーと並んで、イギリス・ロマンティシズムの盛期を飾る詩人であり、その後のイギリスの詩に及ぼした影響は非常に大きなものがある。


年上の友人でもあったシェリーと先輩格のリー・ハントが、ともにリベラリズムの信念から政治的な傾向を見せたのに対し、キーツは自然や人間の美を大事にし、美を歌うことこそが詩人の使命だと考えていた。


こうした彼の態度が、作品に透明な輝きをもたらし、珠玉のように美しい詩を生み出させたのである。

キーツは、死後の名声に比較し、生きている間は決して幸せとはいえなかった。


ロンドンで服飾店を営んでいた父親は、キーツが9歳のときに、落馬事故がもとで死んだし、母親も15歳のときに、結核で死んだ。


母親を侵した結核菌が子どもたちにも移り、キーツはわずか25年の短い一生を生きたに過ぎなかったが、グレート・オードと称される作品群をはじめとしたその詩業は、21世紀に生きる我々現代人にも、時空を超えて訴えるものがある。



雄弁に欠かせないものは誠実さである   


-   ウィリアム ハズリット


今日の格言-ウィリアム ハズリット


ウィリアム・ヘイズリット(William Hazlitt、1778年 4月10日 - 1830年 9月18日 )は、イギリス作家批評家 、随想作家。


ケント州メイドストンユニテリアン 派の牧師 の四男として生まれる。


父や兄によって教育を授けられ、ラテン語絵画 の習得に励んだ。

1793年 にロンドンのハックニー にあるユニテリアン・ニュー・カレッジに入学するが、牧師には向いていないと1年でウェムに戻る。


イギリスやフランスの哲学書、セルヴァンテスボッカチオラブレーモンテーニュ などの古典を読みふけり、特に愛好したのはエドマンド・バークジューニアスルソー であった。


1804年 までは肖像画家としての修業に専念する。

チャールズ・ラム と終生の交わりを結ぶようになり、ラムの肖像画が描かれたのもこの頃である。


1811年 にロンドンでイギリス哲学に関する連続講演会を催して名を知られるようになり、以後は政治記者・劇評記者・美術評論家として認められ、雑文やエッセイで一家をなすことになる。


晩年にはウィンスロー とロンドンの居宅を往来し貧困と孤独に悩まされながら執筆を続け、子のウィリアムとラムに看取られて52歳で没する。

最期に「さて、楽しい一生だった Well, I've had a happy life.」と言い残したという。