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今日の格言

ちょっと心に残る格言を取り上げてみました。

自分が眠っていると気づいた人は、その瞬間、既に半分目覚めている。   


              ウスペンスキー&グルジェフ

  
今日の格言-ウスペンスキー&グルジェフ

ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフ(Георгий Иванович Гурджиев, George Ivanovich Gurdjieff, 1866年 1月13日 ? - 1949年 10月29日 )はアルメニアに生まれ、一般に「ワーク」として知られる精神的/実存的な取り組みの主導者として、および著述家・舞踏作家・作曲家として知られる。ロシア、フランス、アメリカなどで活動した。


ギリシャ系の父とアルメニア系の母のもとに当時ロシア領であったアルメニアに生まれ、東洋を長く遍歴したのちに西洋で活動した。


20世紀 最大の神秘思想家 と見なされることもあれば、怪しい人物と見なされることもあるというように、その人物と業績の評価はさまざまに分かれる。


欧米の文学者と芸術家への影響、心理学の特定の分野への影響、いわゆる精神世界 や心身統合的セラピーの領域への影響など、後代への間接的な影響は多岐にわたるが、それらとの関係でグルジエフが直接的に語られることは比較的に少ない。


人間の個としての成長との関係での「ワーク」という言葉はグルジエフが最初に使ったものである。

近年ではもっぱら性格分析に使われている「エニアグラム 」は、史実として確認できるかぎりにおいて、グルジエフがこれを世に知らしめた最初の人物である。


精神的な師としての一般的な概念にはあてはまらないところが多く、弟子が精神的な依存をするのを許容せず、揺さぶり続ける人物であった。


グルジエフという名前は生来のギリシア系の姓をロシア風に読み替えたものであり、表記としては「ジェフ」も一般的であるが、ここでは便宜上、参考文献の題名も含めて「ジエフ」に統一した。





私の人生観は単純だ。すなわち目をそむけることなく人生と折り合っていくということだ   


   ローレンス オリビエ



今日の格言-ローレンス オリビエ

ローレンス・オリヴィエLord Laurence Olivier OM , 1907年 5月22日 - 1989年 7月11日 )は、イギリス俳優映画監督アカデミー賞 を受賞し、シェイクスピア 俳優としても有名。


20世紀の名優として多くの映画人から称賛される。

本名はローレンス・カー・オリヴィエ(Laurence Kerr Olivier)。愛称はラリー(Larry)。







どうせ人生の本質はつらく人間は孤独なぐらい百も承知している   


    -   遠藤周作


今日の格言-遠藤 周作


遠藤 周作(えんどう しゅうさく、1923年大正 12年)3月27日 - 1996年平成 8年)9月29日 )は、日本小説家随筆文芸評論戯曲 も手がけた。


父親の仕事の都合で幼少時代を満洲 で過ごした。帰国後の12歳の時に伯母の影響でカトリック洗礼 を受けた。


1941年 上智大学 予科入学、在学中同人雑誌「上智」第1号に評論「形而上的神、宗教的神」を発表した(1942年 同学中退)。


慶應義塾大学 文学部 仏文科 を卒業後、1950年フランス へ留学。


帰国後は批評家 として活動するが、1955年 半ばに発表した小説「白い人 」が芥川賞 を受賞し、小説家として脚光を得た。


第三の新人 の一人。キリスト教を主題にした作品を多く執筆し、代表作に『海と毒薬 』『沈黙 』『 』『深い河 』などがある。


1960年代 初頭に大病を患い、その療養のため町田市 玉川学園 に転居してからは「狐狸庵山人(こりあんさんじん)」の雅号を名乗り、ぐうたらを軸にしたユーモアに富むエッセイ も多く手掛けた。


無類の悪戯好きとしても知られ、全員素人による劇団「樹座 」や素人囲碁集団「宇宙棋院」など作家活動以外のユニークな活動を行う一方で、数々の大病の体験を基にした「心あたたかな病院を願う」キャンペーンや日本キリスト教芸術センター を立ち上げるなどの社会的な活動も数多く行った。


『沈黙』をはじめとする多くの作品は、欧米で翻訳され高い評価を受けた。


グレアム・グリーン の熱烈な支持が知られ、ノーベル文学賞 候補と目されたが、『沈黙』のテーマ・結論が選考委員の一部に嫌われ、『スキャンダル』がポルノ扱いされたことがダメ押しとなり、受賞を逃したと言われる。


狐狸庵先生などと称される愉快で小仙人的な世間一般の持つ印象とは異なり、実物の遠藤周作は、おしゃれで痩身長躯すらりとした体つき(戦後間もない時代に183cm)の作家であり、豪放磊落開放的な態度で一般とも接するのを常としていた。