ボクらのなかの「ヒール」の存在意義。 | モテる方法:大人の恋愛心理戦略〜モテの流儀〜

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こんばんは。黒影@恋愛戦略家です。

「あなた、騙していたのね!この裏切り者っ!キィ~ッ!」

キミは…こんな風に女の子に詰め寄られて、殴られたことある?

…まぁ、普通はないよね。

ボクは、女の子を騙したことはないけど、殴られたことは…
若かりしころに2度ほど…(T_T)(それについてはまたいつか。)

…こほん。

でも、こういうのって↑ドラマや映画ではよくある場面だよね。

ボクの好きな「ブルース・ブラザーズ」でも、ジェイク
(ジョン・ベルーシ)を追う女(レイア姫のキャリー・フィッシャー!)が
彼に向かってそう詰め寄る…なんてシーンがあった。

…って。

今日は、そんなことを話したいんじゃなくて、その「裏切り者」
ついての、歴史的常識を覆すかもしれない話。

たぶんね…今日は長いけどつまらないと思うよ。
だって、恋愛の「れ」の字も出てこないからね(^_^;)

裏切り者のレッテル。


今から7年ほど前…キリスト教で、裏切り者として描かれている
「イスカリオテのユダ」に関する福音書(写本)の修復・解読が
終わって、ユダに関する新しい解釈が発表された。

※その古文書は、放射線やインク分析によって本物と認定されたけど、
もちろんそれは「写本」として本物だってことで、その中に書かれて
いることが事実だと認定されたわけじゃない。

1700年前のパピルス文書『ユダの福音書』を修復・公開 ユダに関する新説を提示
歴史を覆す大発見!「ユダの福音書」が明かす、イエス・キリストの最後の言葉

新約聖書や、四つの福音書(マタイ、ヨハネ、ルカ、マルコ)
にあるユダは、使徒たちの会計を任されていたが不正をし、
銀貨30枚で祭司長たちにイエスを売り渡したとされ、
まさに裏切り者であり、悪の象徴だった。

さらに、ユダは自分の行いを悔いて自ら命を絶ったとされているけど、
「自殺」もキリスト教の世界では悪と考えられている。

また、マルコの福音書では「生まれなかったほうが、その者のためだった」
とまで言われている。

…そこまで言われちゃうと、ちょっとかわいそうな気もするんだけど。(^_^;)

プロレスやヒーローもののテレビなんかでも、正義の味方が
「正義」であるためには、当然「ヒール=悪」が必要だ。

だって、全員が正義だったら、戦う必然性がないからね。

もしかしたらユダの存在(または行い)も、キリスト教が「正義」で
あるために、カウンターとして必要だった「裏切り者=悪」
なんじゃないか…なんて、斜め目線で見ちゃうのは、ボクだけだろうか?

ユダの接吻
photo by Holly Hayes

今までの常識が覆される。


でも、もしその福音書(写本)の内容が本物だとしたら…
イエス・キリストを裏切ったとされていたユダは、実は
「キリストの言いつけに従った真の忠臣」
だったってことになる。

福音書(写本)によると、イエスはユダに、

「お前はあらゆることがらを越えていくだろう。なぜなら、
お前はわたしを包んでいるこの男を犠牲にするからである。」


と述べたとある。

つまり、イエスの内部にある聖なる「セルフ」(ハイヤーセルフ?)
の解放を手伝うために、イエスによって裏切りを命じられた
(肉体からの離脱を手助けする役目をおっていた)って、
解釈することもできるわけだ。

さらにイエスは、ユダを

「ほかの弟子とは違い、唯一教えを正しく理解していた。」

と褒めたとあるそうだ。

ユダは、官憲にイエスを売り渡せば、後世にわたり
「裏切り者」のレッテルを貼られると分かっていたはず。

けれども、他の誰にも相談することなく、イエスの言いつけを守り、
彼はそれを実行したことになるわけだ。

自らがヒールになることで、キリストの正義性、純粋性、神秘性を
保つという役目を負う…他人の評価を気にせずに、自分の信念を貫く
というのは、例え自分の師であるイエスの言いつけとはいえ、
命がけの決断だったのかもしれない。

…と、ここまでは福音書が本物だったらすごいなー、っていうお話。

僕らの中にあるもの。


ボクは、特にこれといった宗教に属しているわけじゃないので、
宗教的な見地からはなにも言えないし、そもそもその福音書の内容が
真実なのかどうなのかも分からない。

けれども、

「これが正しくて、それ以外は間違っている。」

という一神教的な考え方はどうも肌に合わない。
(誤解しないでほしいんだけど、キリスト教を否定してるんじゃないよ。)

唯一神って…すごい真理のようだけど、同じ事象をとっても
見方(視点)によってその解釈が変わってくるものもあるよね?

NLPやコーチング、カンセリングなどの「前提」として、
アルフレッド・コージブスキーが唱えた、

「地図は領土ではない。」(The Map is not the Territory.)

という考え方がある。

つまり、

「ボクらが見ているものは、あくまでも僕らの
感情や感覚というフィルター(地図)を通して見て、
または感じているものであり、その事象そのもの
(土地そのもの)ではない。」


っていうこと。

ボクの師匠であり、尊敬するセラピストの先生曰く、

「世の中すべてのことは、半分が正しくて半分は間違っている。」

…そう考えることで、いろいろなことが一物全体として見えてくる気がする。
もちろん、その境地に至るには…まだまだ修行が必要だけどね。

善も悪も、白も黒も、信実もウソも神さまも悪魔も…全部混ざり合った状態。

ところで、実はこの古文書の解読がされる前にも、
ユダに関する別の解釈があったそうだ。

スイスの神学者カール・バルトによると

「ユダは、イエスを十字架に架けて『キリスト』にする、という
重要な役割を果たした人物であり、『神の使わした者』」


ってことになると。
(かなり堅物の神学者で、いろんなところで軟派な(?)
キリスト教学者をバッシングしてたらしい。w)

けっきょく、一神教であるキリスト教の世界でさえも、
ユダは解釈する人によって「裏切り者」になったり、
「神の使い」になったりするものなんだ。

神さまや仏さまが存在するのかどうか、今のところボクにはわからない。

でも、もしいるとすれば…。

それは、どこか「高いところ」にいるんじゃなくて、
ボクらの心の中に、それぞれ神さまがいて、実はそれがつながっていて…
いろんな気づきをボクらに示してくれてるんじゃないかな。

…なんてね。