こんばんは。黒影@恋愛戦略家です。
たとえば、キミの好きな人や、大切な人が苦しんでいたとき…キミは何ができるだろう?
もちろん、以前から言っているとおり、キミは相手の悩みや問題を「解決」することはできない。
たとえそれが、以前キミが経験したことだったとしても、キミが知っている(と思っている)ことだったりしても、彼女がいま抱えている悩みや問題は「彼女自身」のものだからだ。
それにね、考えようによっちゃあ、仮にキミが何かを解決してあげたとしたら、それは彼女の成長や学びの機会を奪うことになっちゃうでしょ?。それって…ずいぶんと傲慢な気がしない?
数学や物理なんかには「公式」があって、それに当てはめれば、ぐるぐるポンッと、唯一の答えが導き出せるものもある。だから、そういう問題であればそれで対処すればいい。
でも、ボクらの悩みや問題(それは人間関係だったり、心の問題だったり、恋愛や病気だったり)って、そんなものばかりじゃない。
…というか、そういうもののほうが少ないはずだ。
仮に、運良くそれ(公式や答えそのもの)を見つけることができたとしても、それはある状況、ある特定の人にとって正解だっただけで、それが当人にとっての答えかどうかなんて分からない。
ボクらは、ついつい外の世界に「答え」を求めがちだ。自分に自信が持てなくて、どこかに唯一無二の正しい答えがある気がして、それを意識的・無意識的に探してしまう。
その旅は、それはそれで価値があるんだけど、一方で、コーチングや、実践心理学(NLP)の世界では「答えはすべて自分の内側にある」と言われている。
そう…答えはもう自分が持ってるんだ。
photo by Ed Yourdon
かと言って、じゃあ、キミの経験やキミが何かで得た答えが、彼女にとってなんの役にも立たないか…って言うと、そいうことじゃない。
キミが、彼女と同じ問題、または同じ問題のタネに向き合ったとき…キミの経験やそこで得た答えは、彼女にとっても生きる。それがたとえ直接的な答えじゃなかったとしても。
なぜならば、キミがその経験を話すことで、それを相手が聴いて(受け取って)、自分の中で咀嚼して…結果として、彼女自身が問題を解決をするための「キッカケ」になることもあるからだ。
ここで大事なのは、その経験を「アドバイス」として話すんじゃなくて、経験をそのまま「ストーリー」として話すってことだ。
たとえばキミの経験を「10」としたときに、それをアドバイスしようと思うと、そこに「問題解決にはこれが重要だ」という、キミのジャッジが入る。つまり、唯一の答えとして「1」をピックアップするのと同時に、不必要だと思う「9」が排除される。
けれども、もしかしたら彼女にとっては、キミが不必要だと思ったものに解決のヒントが紛れ込んでるかもしれないんだ。
だったら、その経験をそのまま話して、彼女にその解釈を委ねて、そして彼女自らの選択によって、重要な部分や、必要な学びを得てもらえばいいんだ。彼女がキミの話を聴いて、そこで何かを得たならば、それはその時点で彼女の経験になるわけだから。
キミは、彼女の抱える悩みや問題に対しては、直接は何もできない。
…でもね、彼女にとって何かの「キッカケ」になるって意味では、キミの経験も、そしてキミ自身も大切な存在なんだ。