こんばんは。黒影@恋愛戦略家です。
ボクの好きな映画にバットマン・シリーズがある。いかにもアメコミっぽいポップでシュール(?)なティム・バートン版もいいけれど、ここ数年に公開されたクリストファー・ノーラン版の3部作が好きだ。
「最高傑作はやっぱり2作目の『ダークナイト』だ」とか、「敵役のキャラが薄い」(十分濃いけどw)だとか、いろいろ言うヤツもいるけど、ボクは最終章の「ダークナイト・ライジング」(原題:THE DARK KNIGHT RISES)も、けっこうお気に入り。
アメコミの実写版となると、派手なアクションやCGに目が行きがち(それはそれでいい)だけど、このシリーズの面白いところは、それぞれのエピソードの根底に流れる深いメッセージだ。※以下ネタバレ注意。
敵役であるベインとの闘いに敗れ、“奈落”と呼ばれる死の牢獄に囚えられたブルース・ウェイン(バットマン)に、ベインはこう言う。
「ゴッサム(街)を破壊し、そして灰と化したとき…お前が死ぬことを許そう。」
もはや、死ぬことさえも自由にできないほど、肉体的にも精神的にも傷つき、何もできずに憔悴しきった彼は、まさに文字通り「絶望の淵」に沈められたわけだ。
ベインは、人に希望を与え、それに裏切られることで絶望がより深まる…というようなことを言うが、その絶望の苦しみを、ウェインと、ゴッサムの人々に与えようとする。
けれども、絶望の淵で「闇そのもの」として生きてきたベインも、実はそこで生まれた希望の光…その光を守るために立ち上がった。
そして、絶望の淵に落とされたウェインもまた、同じように希望を信じ、そこを這い上がり復活し、再びベインと対峙する。
街では、爆弾が爆発する期限がすぐそこに迫っていてもなお、助かるという希望を子供たちに与え、バスに乗せて移動させようとするブレイク刑事。
親を失い悲しみにくれる少年に、そっとコートを掛けて、世界は終わりじゃないと励ましてくれる警官。
映画には、いろんなテーマやメッセージがあると思うんだけど、ボクがこの映画から感じたのは、まさにこの、どんな状況であっても「希望」を持ち続けて生きるってこと。
たとえ絶望的なまでに打ちのめされ、奈落に突き落とされても、人は何度でも立ち上がり、這い上がることができる。
ベインの言うように、希望の光があるから、絶望という影が色濃くなるのも事実だろう。
けれども、絶望の底にあったとしても、希望があれば何度でも上ることができる。
そして、絶望のなかで、生きること、愛すること、楽しむことを諦めて死んでいくよりも、最後まで希望を持って、がむしゃらに生き抜くほうが、充実した人生を歩むことができるんじゃないだろうか。
もちろん、言葉で言うのは簡単だけど、それをするのは難しいってのは分かってる。でも…そう言いたいんだ。
photo by criswatk
ところで、ボクの友人の大切なお友だちが、病に倒れ、日々進行する病状に、生きる希望をなくしていたそうだ。
そこで、ボクの友人は、いてもたってもいられずに、せめてできることを…と、その人のために祈りを捧げ、そして、その友人を知る名もなき人たちもまた、その人のために祈りを捧げた。
集まった祈りのメッセージは800以上。その友人のブログには今もなお、祈りが集まっている。
なかには「そんなことをして何になるんだ」という人もいるかもしれない。
そう思う人がいるのも当然だろうし、それはそれで別にいい。
けれども、そこにあるのは単なる「言葉」ではなく「希望」だ。
そのメッセージを読んだ当人は、それまでは、静かに死を受け入れるつもりだったけど、もう一度生きようという気力が湧いてきたそうだ。(実際に体調も少し回復してきた。)
ボクは、さっき…その人のために祈りを捧げた。逆に言うと、さっきまでその祈りに参加することができなかったってこと。
というのも、実はボクの知人も、ある病に冒されこの7月から入院していて、その状況↑が、あまりにもリアリティがありすぎて、言葉が見つからなかったからだ。
ボクの知人は、まだ治療が始まったばかりなので、病状は、友人のお友だちに比べたら、まだまだたいしたことはないのかもしれない。
でも、ネットで病気のことをいろいろ調べたり、3ヶ月という入院期間を知ったり、今までまったくそういうことがなかったので、やっぱりちょっと…ショックだったんだよね。
離れた場所にいるので、なかなかお見舞いも行けないし、できることと言ったら、毎日のできごとや、くだらない冗談をただ淡々とメールするくらい。
「今日は真夏日で、オレの部屋はサウナ状態!病院のほうが快適だよ。」
「オレもケガで2ヶ月半入院したことがあるけど、どうせヒマだろうから『やりたいことリスト』をメモっておきなよ。」
「退院したら、東京に遊びにおいでよ。歌舞伎でも連れてくから。あ、オレは興味ないけど…w」
それは…たぶん治療そのものには何の役にも立たないかもしれない。けれども…ほんの小さな希望にはなるはず。
ボクらは、誰かに希望を「与える」…なんてことはできないかもしれない。
けれども、その人が希望を持つキッカケを作ることはできるかもしれないし、希望があれば、生きる力が湧いてくる。そして、その希望は、身体の免疫力を高め、結果として自己治癒力を促進するはずだ。
人は、いつかは必ず死ぬ。その宿命に逆らうことはできない。だったら、それまでどう生きるか…。
いろんな生き方があるし、いろんな死に方があるけど、ボクは…死ぬまで、できる限り精いっぱい、希望を持って生き続けたいなと。
…なんて、いつも、上っ面な「恋愛テク」とか言ってるブログには似つかわしくないネタかもしれないけど…ま、たまにはいいじゃん。