被爆2世 | 3度目の腰椎椎間板ヘルニア手術で不全麻痺になった私の日常

3度目の腰椎椎間板ヘルニア手術で不全麻痺になった私の日常

2021年3回目の腰椎椎板ヘルニアの手術を受け後遺症で右足首不全麻痺と診断され杖歩行となりました。
その他、多くの病院へ通院しながら生活する私の日常を綴ります。

みなさん、どうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>

 

被爆2世の私

 

 

 

↑は一昨日のA新聞に掲載されていた被爆2世の方による記事です。

写真が上手く撮れてなくてごめんなさい。

 

※記事はお借りました<(_ _)>

 

私の両親は二人とも長崎出身。

父は原爆が投下されたとき市内にいて被爆した。

だから私は被爆2世ということになるが、そのことを負い目に感じたことは一度もなかったのでこの記事には衝撃を受けた。

親が被ばくしたことで「私の身体には厄介な化け物がいる」という認識も抱いたことはなかった。

誰かを憎むことも、敵は誰なんだということも考えずに生きてきた私は原爆二世ということがわかってなかったのかとさえ思った。

だけど、考え方は一人ひとり違うからこう感じる方がおられても不思議ではないとは思う。


 

一昨年、私が甲状腺がんになったとき「被爆2世だからがんになったんだ」とは思わなかった。

だけど、夫に「rasは被爆2世だから甲状腺がんになったんだよ」と唐突に言われたときはショックだった。

夫には被爆2世だという話は一度しかしていないけど、それがずっと夫の頭に残っていたことと、多少侮辱的に思ったいたことが分かり今さらのようにモヤモヤした。

 

たとえ被爆2世が原因でがんになったとしても治すしかない。

 

被爆者には2世、3世がいてそのことに負い目を感じながら生きている人がいることをせめて国には分かっていてもらいたい。

 

原爆の日に平和記念式典さえすればいいわけではないのよね。