こんばんわ、今回は街に関しての意見を述べたいと思います。
と言うのも私、大学が長期休暇に入るたびに1人でいろんな街を旅するんです。
いろいろと見てる中で思ったのですが、その街オリジナルの景観があるところもあれば、国道沿いに何処にでもあるようなチェーン店が立ち並ぶそんな街もあります。地方の郊外とかそうですが。
でも京都や金沢、倉敷なんかもそうですが、しっかりと独自の景観がある街って、住民もしっかり街のあり方というものを考えていると思うのです。
そもそもなぜそこら中にチェーン店の立ち並ぶファスト風土があるのかというと、日米構造協議とかいう訳のわからない契約が結ばれて、ようは大型商店進出の規制が緩和されたんですね。
表向きにはそれで街の活性化、消費者の幅広いニーズに対応するとあるのだと思うのですが、従来の駅周辺の市街地にある物も売ってる、また新しくて安くて良いものも置いてあるで、何でもあるのです。
しかもコンビニや牛丼屋、ディスカウントストアなんて基本24時間営業じゃないですか。ファミレス、ハンバーガー、スーパーでも24時間営業やってますよ。安いし、いつでもやってるし、しかもいろんなサービスもあって便利となれば普通はみんなそっちに行くのです。当たり前ですが。そしてそれなりの理由がなければ不便だったものには戻らないものです。
今まで市街地で用事を済ませていた人たちが郊外へ流れるということは、お金の流れもそちらへ流れるということなんです。何事もそうなんですが、お金もバランスが大切です、ひどく偏った流れや溜まり方をするとどっかで不都合が出てくるんですよ。
私は1ヶ月分のレシートを見てみたら、かなりのものをそう言ったチェーン店で買っているんだと分かりましたので偉そうなことは何も言えないのですが…
そこを棚に上げて言わせて頂きたいのですが、便利だ、快適だ、安いだ、と何も考えずに本能的に動くことは得てして長期的には損をする場合があるものです。
実際に「地方消滅」や「里山資本主義」という本が流行り注目もされている通りです。
安いしたくさん買える、って良いようで凄い時代遅れな幸福感だと思います。物が不足していた時代には確かにそれが直接幸せや充足感に結びついた事でしょうが、今の時代に国内で最低限の物が足りないなんて人はほんのごく僅かの一握りだけでしょう。
普通の人は事足りているのです。ただその幸福感の幻想に洗脳されていて、缶コーヒーで贅沢、取り敢えず日用品は余裕を持って買う贅沢。でもなんだか心には満たされない何かがあって、オマケになぜかお金も溜まらないwこうなるわけです。そしてそういう欲はキリがなく、もっと!もっと!と底なし沼にハマっていくのです。
そういう人がたくさんいるからチェーン店は流行るし、そういう流れだから旧市街地は廃れるのです。
で、このまま発展すればこれはこれで良いと思います。資本主義の流れで、金を集める事が出来る人が豊かになるのは至極当然、なんの悪い事でもありません。ただ、それによって犠牲になる人や街があり、それが長期的に見て社会にマイナスに働きかけるのならば考えものです。
実際に旧市街地で正社員で働いてた人たちが解雇され、チェーン店で非正規労働者として働けば、今まで得ていた庶民のお金は経営者の元へそのまま行くわけですし、冒頭でも言った通りどこも景観が似通って非常に詰まらない街になります。そんな街に住んで、独自のアイデンティティは持てるでしょうか?息抜きができますか?田んぼや畑が大量に潰されれば、環境問題にも発展しますし、一部の人の金儲けのためにあらゆる物事が犠牲になるわけです。
ただでさえ給料が減る中で、そういった安いものをちょこちょこ大量買いするから、もっとお金が欲しい、けど稼げない。そんな煩悩にハマってる人って結構いるのでは?
このように考えると、自分のお金をチェーン店に使う事は、彼らに投資して悪夢のストーリーを助長している様なものです。結果的に自分が苦しくなるんですよ。
もちろん全てが悪いと言ってるわけではありません。そのバランスが大切なのです。自分のお金の使い方、国や地域の政治に対する考え、身の回りの友人や街とどの様な将来にしていきたいか常に考える事が抑止力になるのです。
ただ安いし、深夜までやってて便利~って受動的に消費してるから際限なく物事が進んでしまう。これキケン、ですね?
普段何気なく行っている買い物だけでもこんだけ影響があるのです。収入が減って、政治家を叩くのは勝手ですが、まずは客観的に考えて、ではそう言う自分の行動や考えはそもそも相応しいのか?と考え直す必要があるのではないでしょうか。