こんばんは、また久しぶりの更新!

今回はふと思った、競争社会について述べようと思いますね

日常茶飯事で競争を意識している人は少ないと思いますが、そうでない人でも、人生の別れ目で痛感するのではないでしょうか?

例えば、大学受験もそうですし、大学を出たら今度は就職活動という名の競争。

就職すれば社内では出世競争、業界ではシェア競争…

上手く勝ち続けることができれば何も問題ないのでしょうが、そうでない人からすれば、挫折、挫折、時々勝ってまた挫折、こんな具合が普通でしょう。

競争自体を好む人がいることも事実ですが、その逆もしかり。

後者からしてみれば、それをまともに考えたところで息苦しくなるばかりです。

そういう人でも適切な訓練をすればある程度競争のできる人間になれるかもしれない

しかし、生理的に競争を受け付けない人がいることを忘れてはいけないと思います!

いわゆる「勝ち組」なんて呼ばれてる人は、元から戦うことが好きな人間です

正直言って、頭もいいし、強いんですよw

僻んだり、嫉妬しても、ナンセンスです。僕は素直に認めますw

それで、社会に影響力が大きい人って大概そのように賢くて強い人たちだから、社会のルールも必然的に強者の理論になっちゃう~

資本主義もそうだけど、市場の競争化もそうですよね。

例えば、独占されていた市場に対して、競争化を促すために規制緩和したり。これから電気の売り買いが自由化になるじゃないですか。

影響力ある人は競争が好きだから、何でもかんでも自由化、規制緩和って押し通しちゃう

ただ競争すれば勝ち負けがハッキリでちゃうわけで、弱者が必然的にでるのですよね

僕は競争を否定しているわけではありませんが、それだけが全てではないと思っているのです。

歴史(戦争)を見ても、負け組ってレッテルが貼られると絶対に不満が募る。

それが爆発して不毛な犠牲が出たり、それで傷口が広がったりすることがあります

これらは、競争を強行した負の側面であると考えます

そこでなのですが、ちょっと発想を変えて、敵を作らない、負けを作らないルールを設定すればいいのではないでしょうか?

聞く分にはとても好都合で、理想的な話なのですが、ちなみに共産主義じゃないですよー

なにかと言うと、ナンバーワンをみんなで目指すのではなくて、オンリーワンを目指す人がいても良いと思うのです。

この考え、どっかできいたことあるでしょ?wパクりですねwww

ただ、僕、このフレキシブルな意見がもっと広がってもいいと思うんですよ

強者のルール以外にも、多様性を持たせる意味で、もちろんこれ以外にももっと数多くのルールができて、各々が自分の収まる中で活躍できればハッピーなのですが

オンリーワンになれば、競合なんて発生しないんですから。パクられたら競争が始まるので、また新しい事を創造すればいいのです

日本って、国柄なのかわかりませんが、多様性を認めない風潮ありますよね

変わってることすると、「それ辞めたほうがいいよ」とか、白い目でみたりとか。

そういう人たちは競争のルールこそが全てだと思い込んでいるふしがあると思います。

実は彼ら自身、その軋轢にとっても苦しんでいるのだけれども、かといってそこから飛び出す恐怖と比べれば、今のまま、現状維持の方が楽だから、そのルールに従っているのでしょうけど…

う~ん、私からすると、堅実というか、愚直と言うか、ある意味妥協とも見えますが…

そんな主観はおいといて、それでもやはり、自分に適していないルールの中にわざわざ飛び込んで悪戯に煩悶する必要はないと思うのです。

そうすれば今より生きやすい社会になると思いますし、適材適所、自分の能力をより発揮できるようになるかもしれない

「こんなこと、考えることは簡単だけど、実際にやるのが難しいんだろ!!」って思った方

といいますか、この意見に限らず、「考えるのは簡単だが、やるのが難しい」が口癖になってる人は、逆に僕が聞きたいのですが、本当に考えていますか?

そういうのも、僕はそれ、行動力以前の話だと思っているのです

ズバリ言っちゃうと、しっかりと考えてないから行動ができないんですよ。

だって、しっかり考えたら、あらゆるリスクを承知のうえでも、俺はこうする!とか、絶対に曲げない!とか自分を説得できている状態になるんですよ

自信と言えるかもしれません。行動しないのは、そうした自信がないんですよ。どっかで曖昧なままになっていて、なんかフワフワしていて。そのうち綿雲のように、千切れて、薄まって、構想自体がなくなるんです。だから行動できるわけがないんです

行動できてない人は、考えるという、当たり前のことを突き詰めていくと行動力は伴ってくると思いますよ

話が少しそれましたが、よく自分なりに考えれば貴方だけのオンリーワンが誕生するはずです

僕もオンリーワンを創造しています。このブログがそうです。

書きながらフワフワした考えを練り詰めていってるんですよ。思いを伝えながらなので、一石二鳥なのです

なかなか行動ができない人、やる気が起きない人、自信がない人、は以上の話に関連してまた今度、僕なりの考えを厚かましく書いていきますので、ご支援よろしくお願いします。

以上です
こんばんわ~

今回は妹の(他社とのコミュニケーションがとれない系の)精神病と家族について

私自身でも苦心してたり、気がかりな話なので、落ち着けるためにも、一人語りのような感じで書いていこうと思う

まとまってなかったり、分かりにくいかもしれないけれどご承知をm__m



さて、単刀直入に言うと、私の妹がやんでいて。

中学や高校で不登校があったし、専門でも人付き合いを上手くやれてないみたい

勉強に問題はないみたいだから、コミュニケーションにおいてなにかあると思う

鬱とか、
アスペルガー症候群とか、自閉症とか、発達障害とか関連する症状がいろいろあると思うんだけど、私はまだハッキリと何の病気なのか理解していない(これらの病気について今後勉強していこうと思っている)

妹は母と一緒にカウンセラーとか受けに病院に行ってるから、どういう症状なのかは大凡病院側で判断されていると思うんだけど、そこら辺のコミュニケーションがまず共有されてない時点で私もしっかりしないとだね。

肝心なとこが曖昧で、すみませんね

具体的な症状が、大勢の中で誰かに声を掛けられると、何を言ってるのか聞き取れないみたい。他にも赤の他人の輪に入ることがひどく億劫らしい。これは一般人もわかるって人がいるかもしれないけど、妹はそれが外国に行ったような感じになるらしい。これは本人が言ってたんじゃなくて、掛かりつけの先生が解説していたのを、母づてに聞いた。だいたいこんなもん。昔バイトもしてたけど、今はやってない。他人と接することがどうも難しいらしい。でも私との会話とか普通にできるけどね。会話っていってもそこまではしゃぐことはなく、受け答え程度。

こんな妹の症状も時期によって浮き沈みがあるからずっとこの調子じゃない。良ければハイテンションってわけじゃないけど、まあ普通の子って感じだよね。悪くなると学校を休みがちになったり、部屋に長時間閉じこもってる程度。食事とかは普通に降りてくる。基本昼夜が逆転したような生活で、いつ寝てて、いつ起きてるのかわからないときがある。

そして今が調子の悪いときだから、妹を除く父母私の3人で話し合ったりしてるわけ。

家族の紹介をしてなかったけど、父はとにかくネガティブ思考。いっつも何かしらの愚痴、不平不満をこぼしてる。飯時、みんなの前でもそれを言うから、それは辞めるべきだといってもなかなか止まない。ネガティブなメンタルは父も妹もどことなく似ている。

母は明るくて、常に何ができるかを考える感じ。めっちゃ大胆ってわけじゃないけど、考えても仕方のないことは考えない!と割り切れるタイプ。因みに私がこの母と似たようなメンタルをしている。家族そろって、互い違いな感じなんだなw

そんな3人で話し合うと、だいたいまず母が、妹の現状や医者で聞いてきたことを説明する。「妹がこんなことを悩んでる」とか「先生はこう言ってた」とか。

そして父が感慨を述べる。ただ、解決するために何をすれば良いかとか、建設的な話は殆どでてこなく、自分の過去話(今までに見てきた問題な人間を話す)を語ったり、妹のこんなところが問題だ(例えば、父との会話で曖昧な返事をする、洗面所に大量の髪の毛を落としたままにしてる、黙って家を出ていく)などと話続け、いつもと変わらない調子だ。

結局、父の出した結論は「ゆっくり寝る時間をとる」w

これを真面目な顔で言うので、吹き出しそうになってしまった。論点がチグハグで、根拠もないことを唐突に言うのである。

母は何も言わずに何かの書類を眺めていた。

私は親から意見を述べられたら考えを言うが、基本は聞いている。父の話は聞いててイライラしてくるが、黙ってる。こうしてみると、思ったことは言ったほうが良いのか・・・?

そうして、父は「本人が変わらなければどうしようもない問題だ」で片づけてしまった。「代われるものなら代わってやりたい」とも。

私としては、本人が変わらなければ解決しないことだってのはご尤もだということは前提に、親としても、そして私としても、それじゃあ私たちは何をするか?だと考えている。

って言うのも、「本人が変わらなければ・・・」とか「代われるものなら代わってやりたい」とかは誰にでも言えることなのだ。口で言うだけなのだから。

それで他人と私たちとの明確な違いとは、家族か否かだ

そんな口先だけでこの問題を済ましてしまったら、私たちは妹と赤の他人であることになってしまう。父親は無意識のうちにそれをやりかけてしまっているように思える

家族としてやるべきことは、私たちも共にアクションをとることだと思う。まずはそれをやることが大事じゃないかな

人間は他人を変えることはできない。できることは、自分を変えることなのだ。これしかできないんだったら、それに徹するべきだと思う。父がやろうとしてることは、自分は差し置いて、他人を変えようとしている。まずこれでは解決にならないし、妹からしてこういう態度は「エゴ」見え見えである。

人間は不思議なもので、自分は無意識に楽をしようとする。そのくせ、他人が楽をしようとしていることに対しては敏感に察知してしまうのだ。こういうのは相手に知れると不信感や嫌な思いを与えてしまうので、自分自身が常日頃から自分に対して注意を向けていないと克服できない。アイツが楽をした、コイツはバカだなどと他人に注意を払っている場合などではないのだ。

私もそうだが、妹も父に対して長年募った不信感が限界になっているのではないかと私は思う。

不信感と言うよりは、純粋に「愛」かもしれない。

間接的にでも、親が自分を庇って庇って保守に回ってる姿を目にしては、冷めてしまうだろう

とはいえ、親であったとしても所詮は人間。それほど強いわけじゃない。「親は強くあるべき、子を守るべき」という考えを私は持ってしまっている部分もあるが、期待する分ギャップが生じるとストレスになるので、求めすぎないようには意識している。

しかし、妹の場合はどうだろうか。純粋が故に求めたり、依存の傾向があるかもしれない。もしあるのならば、それこそしたたかに本人が成長するべきだと思うが。

話を戻すが、まずは父親が先手を打ち、私はやれるだけのことはやったぞ!という証拠を残し、それから「あとは本人次第」というべきじゃないだろうか?

これに似たような話で、ビジネスの話だが、

売り上げの少ない営業マンから話を聞くと、いかに売っている製品が悪いかを力説するらしい。翻って、成績のいい営業マンは製品の問題を承知しているのではあるが、そこを突かれた時の返しを持っていたり、むしろ弱みを強みに変えるセールストークを予め持っているそうだ。製品がどうのということは、製造の人間がやることであり、今ある現状の中で営業はどのようにするかが彼らの仕事なのだ。逆に言えば、それができていない営業などなんの存在意義があるのだ?ということだ。前者は置かれた立場として仕事をしていないどころか、自分が仕事をしていないことを他人に押し付けているタワケ者だ。後者は全うしている。同じ物を売って、この差がでる。

ちょっと厳しめになるが、父親として最低限やることはやって欲しいと思っている。それと同時に、このことを伝えることが私の仕事なのか悩ましいところでもある。

置かれた立場の中でやるべきことをやることが、仲間意識を作りあげ、信頼に繋がると思う。

家族に限らず、友達も、仕事仲間もそうだ。これができてないようじゃ、私とあなたを繋げているものって何なの?って聞きたいわけ。

弱っている妹を思い、父に批判的になってしまった。熱くもなってしまった。いかん、いかん。

でも、自分の行動がそれだけの影響力を持っているよ、ということを自覚してほしいのだ。学歴とか、どこに勤めているかに目が向いてしまうけれども、家族単位でみてこれだけの存在意義があるんだよ、ってことなのだ。これさえしっかりできていれば、社会がどう思おうと、偉大な父親だと思うのさ
こんばんは、今回は一風趣向を変えさせてもらい、

マヨネーズの歴史についてかいていこうと思います。(食物の話題はシリーズ化するかも)




日本でもよく使われるマヨですが、食用油と卵黄と酢、また塩なんかも加えたりしたソースですね

よくサラダにかけたりしますが、元はフランス料理の肉用のソースなんだって

日本では肉にマヨをかけるのはメジャーではないかな…でもかけるとウマイお‘・ω・`(←高カロリーだから注意な!)

で、このマヨがいつ誕生したか分かりますか?

1589年みたいね、う~んもっと年期あると思ってた。でもオーガニックなカタチで、ちょっと近未来的にも見えるからこんなもんか?

そもそもなんでマヨネーズなのかって話だけど、16世紀のフランス北西部に遡って、

「マイエンヌ」という地域を治めていた、「シャルル・マイエンヌ」にちなんだらしい



この人が1589年9月のアルクの戦いの前の昼食で、コールドチキンにソースをかけさせた。そのソースが彼の名前にちなんでこうなったと(@o@

マイエンヌ→マヨネーズ

マイエンヌの戦いの下りは一説によるもので、直接的証拠ではないので信憑性にかけますが、そんな歴史を思いながらマヨを食べると、より深みがでるかもね~

深夜に書いてるけど、コールドチキンくいてぇ…



※出典元:『図説世界史を変えた50の食物』
       Wikipedia
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