こんばんは、今回は珍しく本の紹介をいたしやす!!

タイトル通り

『古くて豊かなイギリスの家 便利で貧しい日本の家』

という本。著者は井形慶子さん。

先日古本屋の文庫本コーナーにあったこの本が目にとまりまして、100円だったのでどんなもんかと買ったのです

もともと、街づくりに関心がありまして、それに関連する家というキーワードが気になりました

著者の井形さんは大学在学中から出版社でインテリア雑誌の編集に携わっていたそうで、28歳で出版社を立ち上げ、60回近い渡英経験からこの本が誕生した模様

簡単にまとめると、住宅に関してのイギリス人と日本人の価値観の違いが書かれており、そこからより大きく「生き方についての考え方」まで触れられています。なので日本人がかかえる悩みを解決するヒントになるかもしれません。

著者が結構イギリス推しだなと感じる部分が正直あったので、突っ込みたいこともありましたが、それでも素直にためになることもありました。

例えば、屋根裏にも階段の下にも、床下から壁の奥まで収納スペースがある日本の家は何なのだと。それをセールスポイントに売りつける店員もおかしいが、それに一切の疑問を持たない日本人もおかしい。そしてその収納スペースには安く買った大量の品々を詰め込む。日本人は全てを抱え込もうとする、これは心の病気ではないか?

実際にそういう家は多いと思います、私の家もそうですが。

これに感化して早速部屋の片づけをしましたねw

片付けしてる最中に「この中で死んでもあの世へ持っていきたいものってほとんど無いな。それなのにひょっとしたら使うかも!?とか、ないと不安だと安くて細々としたものを抱え込み、病的だな…」と思いました

ただ闇雲に部屋掃除をするのではなく、こうやって自分と対話しながらやるとこれからも整理整頓を心がけようとなります。心底納得して、こっちのほうが良いと思えるのですから。

また、イギリスの家は明るい照明が煌々と部屋を照らすことはないそう。だから夜になると何だか薄暗い感じだそうですが、慣れるとむしろそっちのほうが気が安らいだと著者は言っていました

確かにそもそも夜は暗いのが当たり前ですよね

それが照明ができてから、どんどん明るく、明るくってむしろ日本の照明は明るすぎるんです!

あまりに当たり前になっていたので私もそれまで一切気づきませんでしたが…

それで一回部屋のつりさげ式の照明を外してみたのです。その時点で6畳の部屋の真ん中にぶら下がってた物体がなくなったわけですから、すっきりと見通しがよくなりました。

また、夜には部屋の照明の代わりに、卓上に置く照明(白、黄色っぽい光)とそれより一回り小型なランプ(オレンジ色の光)を使い分けてやってます。

以前より幾分か暗くは感じますが、とても気分が落ち着くんです。それこそ夜が来たことを実感して、体が勝手に静まっていくような感じです。

そうなると自然と眠くなるんですよね。以前はベッドに横になっても直ぐには眠れず、適当にipadをいじって時間がたってから寝て、朝はだるーく起き上がってきましたが、今では照明の影響かすぐに寝てます。今は休日ということと、ブログを書いてるということもあり遅起きをしてますが、自分は今まで夜行性として活動させてもらってたのですが、これは営業妨害ですよw

まあ直接的な影響下はまだわかりませんが、様子をみてみたいです

そういえば昔、高校の部活で登山をしてたのですが、山ってすぐに夜が来るのですよ

正確に言うと、周りに街灯はありませんし、車も走らないですし、家もないのですぐに暗くなるのです

それから電波もないため、携帯もできない。そうなると会話を楽しむくらいしかやることってないのですよ。それも長くは続かないので、9時頃には暇になってあとは自然と寝てしまうのです。

自然の摂理に身を任せれば、生物として本来のみずみずしい生き方ができるのに、それにもかかわらず自らが良かれと生み出した技術によってなんだか苦しくなってるなんてバカバカしいですよね…

さすがに裸になって山奥で自給自足が良いなんてことは思ってませんが、このまま行くのもどうかと思うきっかけになりました

ここまでは快適だけど、これ以上は行き過ぎというラインを考えることも大切だなと

最新の技術も活用するけれど、生き物としての本来の自然な生活の中からも幸せを感じるって素敵じゃないですか?

そんな本でした

また面白い本があれば紹介しますね、でわでわ^
こんばんわ、もう2時を回ってますね

私は今ロジカルシンキングに関する本を読んでいて、それでふと思いついたのが

「人間関係がイチバン難しいって言うけど、なぜなんだろう?」と素朴に感じました

統計的な数値はないので主観と偏見に近いところもあると思いますが、

私の祖母や父はそれをよく言ってますし、みなさんもそれで苦労されていることがあるかもしれません

そこで考えてみたのですが、個人的な問題、例えば怪我をしたとか物を壊してしまったとかなら自分で納得さえしてしまえば終わりですね

「俺はそもそもやんちゃだから怪我をまたしてしまった」とか「この物は高かったのに悔しい!orまた買えばいっか」など

ただ他人が相手となると、どんなに自分をコントロール出来る人でも相手を勝手に操作することはできません

相手も生身の人間であり、考えがあります

例えば何か危害を加えてしまったとして、許しを得ても本心までは見えずひどく不安です

ましてや危害を加えていなくとも、相手からしてみれば気に入らないこともあるわけで

いずれにせよ人間関係には自由の利かない「感情」が伴います

だから難しいのではないでしょうか?

私の家族は難しい、難しいと言う割には「こういう時はこうすれば良い」という解決策がないです

相手を操って人間関係を容易にするのはマインドコントロールでもしない限り現実的ではないので、やはり自分が柔軟に対処する術を持つべきだと思うのです

そこで人間の根本にある欲求をまずは知ると良いでしょう

でもみんな知ってるはずです

ただこのような積極的視点で見てないので具体的に説明は難しいと思いますが

誰にでもある欲求は、モテたい、楽したい、偉くなりたい、気持ちよくなりたい、秀でたいなど

これらまとめて自己重要感です

勿論、性欲、睡眠欲、食欲などの生理的な根本的欲求もありますが、日本で生活している以上、そこは満たされているはずです

となると人間は欲深い生き物で、次を求めます

欲があること自体は悪いことではないです

ただこれを理解していないがために「人間関係が難しい」と思う場面がでてくるのですね

内心では恥をかきたくないとか、人より偉くなりたい、そう見られたいってのがあります

だから会話にしても「俺はこう思う。お前は違う」だけで終わってしまうと、相手は自分が馬鹿にされたみたいで嫌になっちゃう

俺が、俺が…で何か不都合があると、相手が悪い。周りが分かってくれない。他人からこうすれば良いとアドバイスを受けてもそれさえ受け入れられず、ああだこうだ文句を言う。

これはない物ねだりです。そしてこれを我が強いと言うのです

考えを主張してもそりゃ悪いことじゃないですが、以上のことを踏まえて「まあ俺は変わってる考えだから」とか「それでもあなたのここは良くわかるんだよな」ってバランスを取らなきゃ、一緒にいて面白くないんですよ

他にもよく聞くのが、会社を定時に退社しようとするけど、先輩や同僚がまだ頑張ってるから出られない。先に帰ると文句を言われるも。

そりゃ自分が頑張ってるときに涼しい顔して帰られちゃいい気はしないですよ

遅くまで残ってる人は、遅くまで残ってる事こそが1番正しいと思ってるんだから

あなたが定時に帰ることが正しいと思ってるのと同じように

ここで自分と違う考えの方がオカシイ!俺は正しい!これでは苦しいのです

じゃあどうするかって自分なりに考えなきゃ

「お先に失礼します、みなさんが頑張ってる中自分だけ帰らせて貰うのは悪いので、これをどうぞ」って差し出しを置いていくのも良いですし、なんか工夫すればそれだけで済むことです

やってることさえできれば良い、勉強さえ出来れば良いってのは学生までです

社会はそういう所じゃないかな

人間関係で悩んでる人ほど真面目な人が多いです

自分では精一杯頑張ってるのに認められない…みたいな

だからその頑張りをちょっと別の方に向けると一気に良くなりますよ

気遣い、工夫次第です





今日も話のまとまりがなく、ダラダラとすみません

少しでもみなさんのためになれば幸いです。でわでわー
こんばんは~

今日も図書館で本を読んでいたんですが

読書中ってずっとその本に集中してるかと言えばそんなことはなく

文字を目で追いながら、頭の中では別のことを考えてたりするんですよw

多分読書アルアル、だよね?

その時に先日父が言ってた

「最近の若者は『マジっすか!?』て言うだろ。あれが気に入らん」的なことを言ってて

その時は軽く受け流したのですが

その自分なりの解釈がパッと浮かんだのです!

これは感覚的なことなので文章に起こすことは至難の業なのですが、

とにかく忘れてた頃にいきなり来て、自分なりには納得できる回答なので凄くスッキリした感じとなっておりますー、はいっ!w

まぁ多分、頭の中で少なからず引っかかっていたのでしょう



それで、私なりの考察ですが、

まず何が問題かと言うことですよね?

表面的にはその言葉遣い。

一般的に言われてる「若者言葉」の代表格じゃないでしょうか、マジ?は。

それを目上の人に何のためらいもなく言うから角が立つ

そして何かと言えば、マジすか?、マジすか?

相づちのようにそれを連発されては会話をしている方としても張り合いがありませんよね

これらは目上とか年下とか関係なくあると思います

でも実際は「若者ではない」人達が良く疑問に思っている

私も昔は「最近の若者は…」と嘆いていましたが、そもそも自分も世間的にはそこに属している身なので、そう言える口ではありませんので、それは例外としましてw

でも真面目な話、コミュニケーション文化崩壊の抑止的義務じゃないかな?なんて

先ほど申した通り、表面的にはあまりよろしくない言葉ですが、会話としてみた場合に

相づちのようにマジすかを連発されたり、それ一辺倒ってのも気分がいいものではありませんよね?

同意出来なければ素直に「いや、これこれじゃないですか?」と言えばまた議論が深まりますし、「それってどういうことですか?」と聞けば関心が向けられていることを実感すると供に話し甲斐もあるじゃないですか?

そういう会話の抵抗が全くないのってひどく虚無的だと思うし、この問題の核心部分がこれではないかと思いました

極端に言えば、真面目な仕草や表情で「マジですか?」と言われたらここまでの問題定義には発展してなかったと思うのですよ

それを軽率に使っちゃうから「最近の若者は言葉遣いが悪い!」なんて言われちゃう…

多分、その若者は表情も態度も軽率ですよ。見なくても分かります

よって、そんなことを言っている「若者ではない」人達がいたら、「ああ、コミュニケーションにおける文化崩壊の抑止的義務を果たされているんだな」と思い込むと、若者としても少しはモチベーションが保てるのではないでしょうか?

今日は以上です、でわでわ~