渋谷占いサロン愛月です!(対面/スカイプ)
「バカの壁」という本がありましたが、
たしか、この本のキャッチコピーは、
「話せばわかるなんてウソ」
人は、自分に都合の悪い話は
頭に入らないように出来ている、
その壁を、バカの壁と呼ぶそうです。
バカ、とは
ここでは、「見えていない」「盲目の」というニュアンスでしょうか。
さて、タロットには、バカと呼ばれるカードがあります。
言わずと知れた、「愚者」「フール」ですね。
わたしは、タロット講座にて、
タロットをリーディングする際は、
「愚者の位置から眺める」とお伝えしています。
私が言う愚者=「バカ」は、
利口になろうとしない
=一般的な価値に沿って向上することに興味がない
良い人と思われなくても気にしない/ バカと言われても気にしない
=評価を気にしない
過去の経験から学ばない
=過去や前例にとらわれない
こんなフリーな人物像です。
*講座での愚者の説明には、寅さんと山下清をモデルにあげさせてもらってます。
一見、養老孟司先生の言う「バカの壁」と
私の言う「バカ」は、違うようですけど、
実は、見る側が違うだけで、
共通するんだと思います。
例えば、タロットに関して言えば、
タロットの読みが、イマイチなのは、
バカ(=常識からフリー)になれないのが
理由の一つとしてあげられます。
・・・イマイチとは、
タロットは、時に、人間の思惑を超えた予想外の答えを提示しますが、それが読めないことです。
そして、
どうして、バカになれないか?というと、
それは、利口でいたいから(一般的な価値にしがみついている)です。
無知の知と言われるように、
実は、自分がバカだとわかっている人の方が知性があるわけなのですが、
そうすると、わたしの言うバカは、養老孟司先生の言う見えている状態。
わたしの言う利口とは、
自分がハマっている信念体系が
当たり前過ぎて、気がついていない状態。
・・・つまりバカの壁に阻まれている。
占いに来る人や占い師に例えると、
これが幸せと信じているものが、
どこから来て、
なんでそれが良いと思うのか?ということすらわかっていなく、知ろうともしていない状態。
例えば、
結婚して幸せになる!という
一般的な幸せの価値に従っていて、
素直に
それを欲しがるが、
元々、自分の考えではないので、
そのままそれを受け取っても
偽りの幸せだ、ともわからない人。
または、
金持ちになることや
自己実現するのが幸せだというような、
誰かが唱えている考えを素直に信じていて、
尚且つ
それを信じていないとやってらんない状態。
これが、私が言うバカになれない状態(利口に、良くなろうとしている)なのですが、
養老孟司先生の方から見たら、
それは、見えていないバカ。
(本の中では、そこまで重いテーマでなく、自分に関係ないことは頭に入ってこない、というような感じだったかと思いますが、そこからタロットの世界に当てはめて私が推測の上で、この話を展開しています)
養老孟司先生は、隠者の側から見ていて、
わたしは、フールから見ますが、
しかし眺めている対象物は
同じ「教皇(法王)」です。
バカの壁は、誰でも存在するでしょうが、
タロットリーディングにとっては、邪魔です。
しかし、残念なことに、
それは、当人には決して見えない壁なんです。
では、どうやって壁の存在に気づくのか?
私の講座では、
タロットで占った内容を添削する際に、
壁を外から叩きます。
ですから、何度でも質問してくださいとお願いするのです。
私だって壁はあるでしょうが、
少なくとも、タロットにおいての人様の壁には気がつくでしょうし、
また、私も「バカ」でいつづけるために、
今でも、ことあるごとに、
自分の先生に、確認をしています。
先生にも壁は存在するかもしれませんが、
私の壁には気がついてくれるでしょう。
バカの壁を壊すには、
そうやって、リーディングに他人の目を入れる覚悟を持ってください。
しょっちゅう、崩壊してもらってください。
自分では壊せませんから。
ヘンな質問しているんじゃないか?などの羞恥心も、
良いアドバイスを出して有り難がられようとか、
上手いって言われたいなど、捨て去ること。
鑑定は閉ざされた空間だからといって、
自分の主観で判断して、
自分が偉くなっていては、壁は厚くなるばかりです。