お母さんよく頑張ったね!ほんとうに奇跡をたくさん見せてくれてありがとう! | 女っぷりと運を上げる美の魔術師KAYOKO 人生を変えたい!っと思った時に来たい開運美容レッスンNO1を開講中

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 KAYOKOです^ ^

いつもブログを見ていただきありがとうございます



今日は悲しいことなんだけど
大好きなお母さんが亡くなりました





89歳を無事にむかえた矢先でしたが
これだけ寿命を延ばしてもらって

母親もわたしたちもやり切った‼️と
その一言で

とても幸せな気持ちと感謝に溢れています!







足が悪かった母親が
2012年に車椅子になり介護がはじまり

車椅子で快適に過ごせる家を建ててあげたい
という思いから 

2017年に車椅子で介護する方もされる方も快適に過ごせるための家を新築で建てました







建てている最中に誤嚥性肺炎になり
生命が危なかったことが何回もあったのですが

何度も奇跡を起こし、
奇跡の回復をし

あれから無事に5年間も
母親は娘たちが自分のために建てた家で過ごせました🥹




先週の木曜日の
朝方、眠りながら

息を引き取っていて
誰も気づかないときに亡くなっていました。

こんなに頑張って長生きしてくれて感謝しかない‼️





それも最期は苦しまずに逝ってくれて安心した

/
独身の若い時は1番怖いものや恐れていたものがいつか来るだろう母親の死だった
\

わたしが16歳で
父親が51歳のときに亡くなってから

母親ひとりで38年間もがんばって生きていてくれた〜





わたしが16歳のときに父親が
亡くなったときはわたしが
反抗期真っ盛りで

なんにも父親に親孝行できなかった
わたしは

神さまに毎日毎日、
母親はどんなに手がかかってもいいから

長生きさせてください!と
お願いした




父親に親孝行できなかった分、母親には
じゅうぶんやってあげたいことをやらせてください!と。




あれから38年間
たくさんの後悔ないくらいの
思い出を作れて

後悔ないくらいの親孝行ができた。









親孝行を後悔なくやれてなんて
幸せなんだと思う



そして38年間も1人で待ってた寂しかっただろうお父さんにも感謝!



5年前危なかった時も、お父さんに
まだお迎えに来ないでと伝えた。





きっとお父さんがまたあれから5年私たちに
託してくれたんだと思う。




奇跡的な回復して
母親のために建てた自宅で十分に家族と過ごせた。




最後は何よりも自宅で自分のベッドで苦しまずに
息を引き取れたことがなによりも安心した





姉が朝方5時半には確認したときには
生きていて

ヘルパーさんが朝6時半にきたときも
ウツラウツラしながら起きていたとのこと。





姉が8:30くらいに確認したときは
息をしていなかったようで 
わたしに息をしていない!!と連絡が来て




そのときの連絡を受けたわたしは

"あー!苦しまないで良かった"

と、いう感情と




なんでその前の日曜日の
母の日に会いに行かなかったんだろう?!!と
ちょっぴり後悔した〜

最後に会ったのが5月10日水曜日に
息子と会いに行き

私たちが来たときにニコニコして元気そうにしていたから
まさかこんなに早く亡くなるとは思わなかった




昨年の11月に脱水で入院した時は
もう高齢だから年内もたないかもしれないって言われてたので、

その時から覚悟はしていたのだけれども

12月の初旬に退院してから
家に帰ってからはとても回復をしてきていて
顔色も、痩せちゃった体も元に戻り

随分と奇跡的な回復をしていた。




年内もたないかもって言われてから
5ヶ月以上も自宅で過ごせて

本来は病院で死にそうだったから
絶対に病院では死なせたくない

ましてやコロナの関係で
ほとんどお見舞いはできないし孫たちは
子供は病院に入れない。

とにかく家族で囲んであげたい。

自宅で看取ってあげたい。




家族で囲んで安心な思いで
自宅で看取りたい思いで

姉は介護休暇半年取り、

私はしばらく仕事をセーブして

母親にかけていたんだけれども
またミラクル起こして回復してきたから

私もまた仕事をバリバリしだし
姉も6月から復帰する矢先だった。

ちょうど、姉の介護休暇が6ヶ月

11月の危ない状況から何とか自宅に帰ってきて、私たちと最後に過ごす時間を取るために
この6ヶ月母親は頑張っていたのだろう~





わたしも子どもたちも退院してからは
たくさん話しかけて

いつお別れが来ても大丈夫なくらい感謝と、愛情を伝えてきた〜

覚悟ももちろんしてきた。




そうとうやりたい放題遊びたい放題
やってきたわたしは

10代20代半ばまではとにかく遊んだ。
やりたいことやりまくった。

しかし、母親が64、65歳くらいになると
父親が亡くなってから52歳から
長年デパートで立ち仕事で足が痛いという
母親に仕事を辞めさせてあげたい。

私が養ってあげるから、仕事辞めてイイよ!と言ってあげたかったから

20代後半は別人なくらい路線変更をし
28歳から起業をし

毎日3時間睡眠もないくらいに働いて

29歳で会社にし
母親を専務にしてお給料を上げて

たくさんパーティーや食事、旅行に連れて行った。







孫たちとの思い出もたくさん作れた!

世界一幸せなお母さんにしてあげたい!って
思ってきた〜



いまは自分にもお母さんにも
お疲れ様と、お父さんにも長い間待っていて
くれてありがとうと伝えたい!




金曜日、土曜日、日曜日、火曜日と
前から決まっていた仕事とイベント、運動会
をこなし
あとは明日葬儀だー。



明日は最後のお母さんとの思い出だ!




思い残すことのないように思いを伝えてこよう!




私たちは後悔ないくらいに
全てやりきっていたので

とにかくお母さんには
"よく頑張ったね!"と

褒める言葉しかない!

たくさんの奇跡の生命力とたくさんの思い出をありがとう!お母さん!