自己探究の楽しさ | 自分で考えて生きる

トマトの出来があまり良くない。

それなりに美味しいのだが、皮が硬いめ・・・

この土地では2回目のチャレンジだが、どうも、トマトの育ちが悪し。

 

葉山の土のでは、プチトマトは最高に簡単だった。
しかも、皮も薄くて、甘いプチトマトが沢山できた。

苗木の当たり外れもあるので、一概に言えない部分もあるけど

来年は今年よりも、上手にできたらいいな〜。

土壌改善を工夫してみようと思う。

 

でも、パクチーは、スクスク育って、しかも香りもしっかりあって、美味しく育って嬉しかった。

 

 

 

大好きなシークワーサー、良さげの苗木が出ていて、購入して地植え

実がいっぱい付き出して、楽しみ!!!

 

 

とあるお気に入りのポッドキャスの一つの中のお話で

ゲストの方が、自分がバリバリビジネスをしていた頃の自分を回想して

話して話の中に以下のような話があった。

 

端的に他者との関係がうっすい。笑
ほんとに薄くて・・・・。
ちゃんとワンオンワンをやったりとか
インフォーマルランチとかをやったりとか
飲み会に行くとか、コミニケーションの接点をいくら沢山設けても
基本的に自分は、心を閉じていたので、誰とも仲良くなった覚えがない。
表面上、沢山お話ししているんですよ。言葉も交わしているですけれども
なんか・・・・なんでしょうね、三国志とかに出てきそうな
兄弟の契りのようなものはないなっていう・・・・。

 

まさに、ビジネスの世界を生きる人を見ていて、こうゆう印象を抱くだろうな・・・

っていうお話だった。

 

違和感を覚えたからこそ、

この方ご自身が、そうゆう自分、そうゆう人間関係には、

いつしか、ご自身で違和感を感じて、

そうゆう働き方をするビジネスの領域、人間関係からは外れた

ビジネス展開で自分のビジネスを行っているのだと思うけど

 

大多数は、やっぱり、生活のために働くための働く人間関係が労働次元は多いかなと感じている。

悪いわけでもないし、劣っているわけでもないと思っているけど

とにかく、つまらない人間関係だな〜って思う。

自分は全く興味も関心も持てない次元だ。

 

私はそれを人生の主にしたいとは思わないこともあり

そうゆう状況があっても、その中にいようとは

思わないのだが

 

 

人って色々いるんだなって思う。

 

コースの概念を勉強し出したことで、

それは自然とレベルという概念を学ぶ導入に繋がり、

それをきっかけに哲学書を読んでみたり

人文学を勉強している人の話に触れるようになって

思想について、視点について生きる次元について、レイヤーについて、

自然とそうゆうものを学んでいくようになって、そうゆうことなのか・・・

と自分の体験と合わせて理解が起こって、面白い!!って思う。

 

人はあまり興味がないジャンルみたいで、へ〜〜こんなに面白いのにな〜って

自分は思うけど、圧倒的に少数なんだな〜〜って。

 

人間の性格の悪さについて、指摘したり、突っ込んだり、
議論できることって私にとって凄く面白くて
考察が深まって、嬉しいのだ。
 
どんなに綺麗にしていても性格の悪さってあるから
それについて正直になって話せる人間との出会いは
最高に嬉しい。
 
肉体って存在するように見えるし、意思があるように見えるけど
究極、唯識論の簡単な問いを投げかけられただけでも、
自分なんてものはいないということが証明できてしまうようなもので、
でも、その事実について、受け入れたいとは思わない人があっという的に多いんだなって

受け入れていくと、違う経験が起こって

その経験って何か広がりを感じるので、

特に、金銭が発生するとか生活が楽になってようなものでは

ないのだけど、凄く楽しい経験なので、いいのにな〜って個人的には思う。笑