赦しという概念を学ぶこと | 自分で考えて生きる

 

 

 

リビングから見上げるお空に癒されます。

なんて美しんだろう。

お月様と星のコラボがあまりに美しい配置で

大好きなワインを飲みながら幸せなひとときでした。

 

ふっと、思ったことは、愛以外の経験を私はしたいということだった。

愛とは、知覚が完全に消滅することであることだと概念的に学んだが

それがどうゆう事かを感じられる経験が起こり、嫌なこともこの世界は起こるし

避けられない、けれども、綺麗な空を見たり、美味しいものを食べたり

育みを経験すること、絆を経験したり、助けを経験したり

私は、こうゆう経験がとても好きで、

愛だけになるよりも、嫌なことは起こる世界で

逃れられないけれども、見たり、感じたり、経験することは

やっぱり自分にとっては楽しいことだなと思っているということ

それは別に悪いことでもなかったということ。

 

別に悪いとは思っていないけれども、どこかそれがいけないことのように

感じたりが消えて楽になっていたこと。

 

悪いことが起こる理由についても考察が深まり、この世界を

大変な世界とは思わなくなってきていること。

 

辛いことは実に多いけれども、頑張っているうち、悩みが解決していたり

見える景色が変わっているので、嬉しいこともあり

この世界は自己を否定することで作り出された根元から考えるに

確かに、不完全な世界でこの世界に完璧は得られるはずもなく

ただ、それが知っていくと逆に面白いと感じられる。

 

 

 

あいみょんが自分が馬鹿にされたことが

どれだけ悔しかったのか

 

その思いのたけを

 

自分が売れてから聴衆の前で泣きながら歌っている姿の動画を

見ている人の動画をチラッと耳に入り

 

 

馬鹿にされるって人間が求めている経験の対極にある経験

 

この胸糞悪い、悲しい経験に対して自分の中から禍根を「恨み」でもなく「憎しみでもなく」

 

禍根を残さない方向で事物に対処していく生き方は、大変なことだなと感じた。

 

水に流す対処ではなく、根底的に、自分の心の中にその要因を見ていく

 

という見方で対処をしていく。

 

レベルを間違えば、生き方が曖昧になり、

 

どっちつかずの半可通の学者のようになってしまう。

 

 

 

不愉快なことは、大概、身からでたサビのレベルも多いが

 

真面目に生きていくことで、身から出たサビではない困難は

 

乗り越えていくと、外側に影響を受けなくなっていくように思うのは

 

実践をし続けているパートナーの感情の取り扱いについて

 

成長し成熟していく姿からも感じる。