「神戸ルミナリエ」は、永遠に。 | 大石よしのりオフィシャルブログ Powered by Ameba

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誠意・敬意・熱意をモットーに、希望の種を蒔き続けています。
大石欣則

コロナ禍、当然ながら、今年の開催は無かった。

毎年、しつこいくらい開催の賛否、日時、場所についての意見が散見されす。

 

「神戸ルミナリエ」は、あの場所でなくてはならない。

あの場所、神戸元町から三宮の南側、東西の旧外国人居留地。

1995年阪神淡路大震災の年に、「東京ルミナリエ」の開催が決まっていた。

当時、電通のプロデューサーだった神戸出身の今岡寛和氏が、イタリアの「ルミナリエ」に感動して、1995年冬に東京丸の内に誘致(設置)しようとしていた。

が、1月17日、生まれ育った神戸を、震度7の大地震が襲った。

目を疑うような街の崩壊と、人々の命の損失を目の当たりにした彼は、この「ルミナリエ」を神戸に持ってくることを考案。

東京の計画を捨て、現地のアートディレクターでもある、ヴァレリオフェスティ氏を説得して、神戸を開催地に決断した。

が・・・どこで、開催するか?

ヨーロッパの照明イベントを実施するには、それなりの街並み、そして被害の少なかった土地を選ばないと。

そこで、外国人旧居留地のオフィス、ブティック街に白羽の矢が立つ。

ガレリアのアーチは自立しないので、それぞれのビルにボルトを打たせてもらわないといけない。

一軒一軒、主旨を説明して、意義、効果、精神を語り回った。

けんもほろろの対応、意味不明な反応もあるが、今岡氏らの熱意に、街が動いた。

大丸神戸店を事務局とする、神戸旧居留地連絡協議会、神戸商工会議所を動かし、市や県が動く。

開催。

観たこともない照明アートに街は照らされ、感動の光となった。

「鎮魂と復興」の灯りは、下を向いてばかりいた神戸市民を上に向かせた。

想像以上の効果に2年目の開催に鼻息も荒く、実施ありきで話が進むが・・・警察、JR,地元商店街、観光客の意図・意見が異なる。

それでも、開催継続された。

これを機に、今岡氏は電通を辞して、フェスティ氏と、株式会社アイアンドエフを設立して、電通の事業ではなく、自らの事業として、電通を下請けに使い、継続開催に奮闘する。

それでも、毎年様々な意見がある。

クリスマスに消灯していた(本場では、キリストの生誕を祝うもの)当該イベントは、地元意見を聞き、前倒しに。

開催も2週間から、10日以下とする。 開催費用の捻出もままならないまま、ガレリアの長さは短くなる一方。

「神戸ルミナリエ」不要論の方とは一切交わらない意見ですが、「神戸ルミナリエ」は、あの場所で開催されるべきで、他の代替場所を探すくらいなら断念した方が良い。

新長田、ポーアイ2期などでの開催など、言語道断。

それらの場所については、別の施策を過去の委員会や会議で提言提案してます。

また、今岡氏、悲願の東京開催は、2000年ミレニアムの年に「東京ミレナリオ」として、丸の内で開催され、今も「丸の内イルミネーション」が、街を照らしている。

どんなカタチであれ、「神戸ルミナリエ」は、「ルミナリエ」と一括りに表現されず、あの場所で、「神戸ルミナリエ」で、生き続けるべき。

最盛期、5億5千万円の開催費用で、550万人が神戸に来て、550億の経済効果をもたらした。

当事、組織委員会メンバーだったボクは、一人100円を頂ける仕組みづくりを提案したが、今は100円募金に残っている。ちょっと違う、ショボい。

もっともっと、市民レベルに実行委員会を落とし込んで、いつも同じ顔ぶれの重鎮会議ではなく、あり方、実施部隊、組織を、再編されるべきです、「あの場所で」。

と、ボクは思う。

写真の説明はありません。