いつも光に包まれて・・・
  • 16Jan
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      乳がんの妻に寄り添うアドバイス

      久しぶりのダーリンです。新しい年を迎え、はや100日が過ぎました。トリミング前のボサ子のゆめちゃん。家でひなたぼっこ。トリミング後のゆめちゃん。かわいくなりました。乳がん仲間の参加者でダンナさんがこっちの細かな気持ちをわかってくれないので、ブログにフェニックスの場合はどう対応したか伴侶の立場で書いて欲しいとの要望がありました。そこで、今回は僕の体験を書きます。伴侶と言えども結局は本人ではないので、細かな気持ちを推しはかることは限界があります。特に乳がん発覚から手術までは一緒に心配しますが、手術後は、安心してしまって、伴侶側は後は元の生活に戻れると思ってしまいます。でも本人の方は乳房を失った悲しみや、手術後治療のつらさ、体調の変化等で前とは変わってしまっているんです。それを理解できずに溝が生まれるのだと思います。僕たちの場合も、「理解してくれない」と一時は険悪な状態になりました。感情が不安定となり、「離婚」の言葉すら出たこともありました。どうしたら妻の気持ちを理解できるようになるのだろうかと僕も悩みました。なんとか探り当てたのは、乳がんの妻を持つ夫の為に書かれた本でした。といっても日本ではそのような本はなく、AMAZONでアメリカから取り寄せた英語の本です。Beast Cancer Husband - How to help your wife (and yourself) through diagnosis, treatment and beyond.その中には、妻と一緒に乳がんについて知ること、そしてお勧めの方法として、妻が病院に行くときは必ず一緒に付き添うこと (Appointment Palとなること)が書かれていました(そして病院の帰りには一緒に食事をしたりデートをする)これに従って妻が病院に行くときは必ず年休を取って一緒に付き添うことにしました。効果はてきめん。一緒に病院に行くことで不安な気持ちに寄り添えるし、状況の共有もできます。おまけに堂々と会社から休みをもらえて妻とデートできるんですからいいことづくめです。もちろんそうしても本人の気持ちを完全に理解することはできませんが、寄り添うことはできます。14年の闘病の中で、本人が「来なくて良い」と言われた以外はずっと継続しました。おかげで溝を乗り越えて仲良くできたかなと思います。というわけで、ダンナさんへのアドバイスは、病院へ行くときは一緒についてゆくこと。そしてついでに食事をしてデートすること。奥さんの方も、「病院に不安だから付いてきて」と言ってみてはどうでしょうか?

  • 29Dec
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      3ヶ月が過ぎました

      ダーリンです。12月28日 仕事納めと共に丁度3ヶ月が過ぎました。わが家の祭壇からは、フェニックスが好きだった日の出と海を眺めることができます。週末はゆめちゃんと近くの海岸に散歩。ママがいない悲しさを共感して、夜は同じ枕で一緒に寝てくれます。月命日には、遠方からお花が2つも届きました。また、相変わらず食べ物の神さまに愛されているようです。生前と同じように果物を送ってくださります。フェニックスを失った2018年が終わろうとしています。でもきっと来年も心の中で生き続けてくれてくれますね。フェニックスに怒られないようにゆめちゃんと強く生きなくっちゃ。来年もフェニックスの意志を継いでブログを続けます。皆さんよろしくお願いします。

  • 09Dec
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      フェニックスの乳がん体験談音声

      ダーリンです。報告が滞りました。11月28日(水)の月命日、O先生の呼びかけでピンクリボン活動、乳がん仲間、患者会、ピアサポートの仲間によるフェニックスの偲ぶ会ランチを開催して頂きました。16名の方々が集まってくれました。フェニックスのピンクリボン活動の軌跡や当時の写真のスライド、ビデオ、音声等を聞きながら思い出を共有することができました。今回、フェニックスが行ったピンクリボン活動での体験談の音声とスライドを見つけたので、体験談の部分のみ、YouTubeにアップして以下に公開します。2008年1月のものです。前半にピンクリボン活動の説明、後半にリレーフォーライフのテレビ報道のビデオを紹介していますが著作権の関係ありカットして、体験談の部分のみとしています。体験談の中で伝えたかったこと .... 自分の体を大切にすること、がんになっても自分らしく生きること、そして「がんと闘う力は人とのつながり」... 貴重なフェニックスの音声と共に聴いてくれると嬉しいです。

  • 30Nov
    • ゆめちゃんと私の画像

      ゆめちゃんと私

      ダーリンです。乳がん発覚から1年間の投稿26話のブログアップが終わってしまいました。次はどうするか思案中ですが、この間、ゆめちゃんの写真を見たい!という要望があったので天気の良い日に海に散歩に行った時の写真をアップします。ゆめちゃんは平日は日中トレーナーさんに預けて夕方6時に受取。帰って来るとまずご飯。それから遊んであげて、夕食を食べていると舌舐めづりしてくるので、おやつをあげて、最後は歯磨きガム。夜はベッドに来て同じ枕で一緒に寝てくれます。ママがいないさみしさを共感して癒してくれます。ありがとう、ゆめちゃん。

  • 28Nov
    • フェニックスの始まり その26 最終話の画像

      フェニックスの始まり その26 最終話

      ダーリンです。最終話となりました。乳がん発覚から1年経ち、投稿も一旦区切りとなっています。フェニックスの言葉が今となっては初々しい限りです。この後も約14年に渡る長い闘いが続きますが、書き物としては2010年ブログ開始までは、講演原稿など以外は残っていません。それらを少し整理してまたシェアの検討をしたいと思います。それではフェニックスの始まり、最終話です。----------------"回復"11月になりました。気がついてみれば2004年も終わりに近づいてます。手術から丸10ヶ月が経過しました。「片胸」という自分の身体の状態にもずいぶん慣れて来ました。傷もかなり落ち着きました。抗ガン剤治療終了からも半年 が過ぎました。ガン細胞とともに痛めつけられてしまった正常細胞がようやく息を吹き返した!・・・そんなふうに感じられる今日この頃です。嬉しい!!話すだけで息苦しくなったり何か食べるととたんに指先が痺れて来たり急激に血圧が低下するような感じで目の前が暗くなったり・・・。とにかく疲れやすくて 以前の自分なら何の問題もなくできてたことひとつひとつに注意が必要となりいったい自分はどうなってしまったんだろうと不安に感じる日々が続いていまし た。食べたくないとは思わなかったから食欲がないとは考えなかったけど「おなかすいた~!」と感じることが全くない日々でした。それが10月の半ば頃からペラペラ話しても平気になり大きな声を出しても問題なく、あれっ?と気づいたら早足でサッサといつのまにか歩いていて・・・。そ れからは「自信」も出て来たし親友が免疫力UPさせよう!といろいろなところへ連れ出してくれ外出の機会が一気に増えました。コスモスの咲き乱れる海浜公園には3回行きました。ここ大好き!秋晴れのすごく気持ちのいい日。太陽の光を浴びながら真っ青な海を見渡せるコスモスの丘を ずっと私のことを支え続けてくれている親友と楽しくおしゃべりしながら歩きました。自然っていいな~。2度の台風に痛めつけられながらも頑張って健気に咲 いているコスモスの花にも勇気づけられました。そして「あ~、おなかすいた!」と感じるようにもなりました。髪の毛も順調に伸び今ではすっかり普通の ショートの人。坊主頭がなつかしく感じるくらい。まつげも濃くなりました。(追記:今はネモフィラやコキアの丘で有名になったひたち海浜公園。当時はコスモスの丘でした。)エアロも初級クラスに出始めました!50パーセント以下の出力で軽く流して動いていますがついつい楽しくなって思いっきり動いてしまいそうになっていま す。やっぱりエアロはいいな~。はやる気持ちを抑えて少しづつ少しづつ身体を慣らしていこうと思っています。私のガンはホルモン受容体があり医療データ的には生存率UPのため5年間の「ホルモン療法」をやった方がいいのですが副作用がひどく出てしまい身体だけで なく私の心が「ホルモン療法」を拒否してしまいました。ドクターと話し合った結果やめる道を選択しました。「再発」のハイリスク群なのに勇気ある行動で す。(笑)その代わり「再発」を防ぐために自分でできること、自分が身体に良いと考えることはできる限りマジメにやろう!と強く決意し実践しています。★充分な睡眠を取る ★バランスの良い食事を取る★働きすぎない★自然や芸術にふれる★楽しく生きる「命」がかかっていると思うと実践はそんなに大変ではなくまたそれが実践できる自分の恵まれた状況に深く感謝。おかげでガンになってからの私はかなり健康 的な生活を送っています。これで「再発」してしまったなら仕方ないです。そのときはそのとき。油断はしないけれど不安がらず「ガン」のことは忘れるくらい でこれから過ごして行きたいです。とにかく私の生活は以前とはすっかり変わりました。人間も変わったかな。外見も髪型が大きく変わったしなんだか新しく生 まれ変わったみたい?!ところで・・・この健康的な生活のおかげなのかなんだか最近「肌がキレイ!」とおだてられることが激増。思わぬ副産物にウフフ状態。ホメてもらうと気分もいいしますます元気になっていく私なのでした。--------終わり(全26話)

  • 27Nov
    • フェニックスの始まり その25

      ダーリンです。第25回。始まりももうすぐ終わりです。------------"遠征"大会シーズン! 皆さんいろいろな大会に参加して日頃の練習の成果を発揮されていることでしょう。ちょうど1年前、私は初遠征。仲間のひとりと北陸へ女二人旅。観光も温泉も楽しんじゃおう!と欲張りな私たち。ちょうどこのときは右ふくらはぎの肉離れが治りとにかく思いっきり動けるだけで嬉しくてたまりませんでした。当日は初秋の風が気持ち良い晴天。気分は上 々。一般サーキットに参加。一次予選のあいだはもう動けることが嬉しいし楽しいしでルンルン気分。二人揃って一次通過! わぁ~~~い!もう一回踊れる! 「今夜はこれで温泉にゆったり入って美味しいお酒も飲めるね~。遠くまで来て良かったね~。二次も思いきりやろうね!」と喜び合った私たち。そんなで二次予選もただただ嬉しいだけ。足も大丈夫だし良かった~!本当に気持ちよく動けました。一般女子サーキットは101名の参加。二次に進んだのも約60名。自分のレベルもよくわかってるし全くの無欲。しかし・・・ビックリ!こんな私がなんと「決勝」に残りました。嬉しいより呆然。たまたま関東から参加していたBASEの仲間二人とそして一緒に行った友達(BASE会員)の3 人だけが私の応援団。とても心強かった!あのときはビデオも撮ってくれて本当にありがとう!おかげでめったにない決勝進出の「証拠」が残せました。(笑)あれから1年・・・。先週8月29日に夫と仲間たちが仙台の大会に遠征しました。私も応援で一緒に出かけること決定。久々の遠出、台風の影響ですっきりしない曇天、参加者の熱気で酸欠ぎみの体育館観客席、ビデオ撮影に熱中してしまった 私・・・。やはり私の現在のエネルギーレベルを越えてしまったようで一次予選終了後だんだん調子が悪くなって来てついにつらくなってしまいました。トホ ホ・・・。体育館外の窓辺の長椅子で自然の空気に触れながらしばらく横になって休みました。1年前は一次、二次、決勝と踊っても平気だった私。体力に自信がありました。そんな私が一次予選の観戦だけで疲れてしまうなんて・・・。悔しくて悔しくて思わず涙がこぼれてしまいました。しかしすぐ立ち直った私!(笑) 30分ほど寝ていたら元気も回復。最近は自分の体調のコントロールにもすっかり慣れました。おかしい・・・つらい・・・ と思ったら即、身体を休める。それが身についた感じ。気持ちの切り替えもできるようになりました。できないことを嘆いていても仕方ないし、できることを喜 ばなくちゃ!「仙台」まで遠出もできたし、仲間たちと一緒に楽しい時間も過ごせたし、みんなの応援もできたし。ここまで回復したことに感謝!元気にエアロできるって素晴らしいことです。その喜びを表現できたら決勝ステージも夢じゃないと思います。1年前、審査員の先生方に「本当に楽しそうに動 いてたからすごく目立ってた。楽しい気持ちがすごく出てた」と言われた私。あのときは技術的にもBASEの競技スクールやスキルアップレッスンでたくさん のこと学んで少しづつ身について来てたと思います。技術的なことは日々のトレーニングの積み重ね。それプラス心からエアロを楽しむことが大切。今回観客席から一次予選を見ていて目が引きつけられたのは楽しそうな人!怖い顔、マジな顔して踊ってる人けっこう多かったです。9月2日は2ヶ月ぶりの「病院」でした。結果は「異常なし」!疲れやすかったり息苦しくなったり(台風が近づいているときは特に!「気圧」の影響をもろに 身体が感じる最近です)首と肩がすごく痛かったり胸のあたりがときどきクッと痛んだり・・・。これは「手術のせいだよ。手術してるからね・・・」というド クターの説明。胸には真横に20cmの傷。そうですよね~。こんなに大きく切って乳房も切除してさらに開いて腋や鎖骨あたりのリンパ節も取ったのだか ら・・・。何でもないわけないか~。左腕には「溝」。これは「抗ガン剤」のせいなのだとか。強い抗ガン剤を6回も入れたので血管が静脈炎を起こしつぶれて しまったのだそうです。こわ~~っ!でもとにかく「触診」もして「だいじょうぶ、何もできてないよ」って。ドクターのその言葉にホッとしました。あ~~~良かった!次回は3ヶ月後でいいそうです。その頃にはもっと元気が回復しているに違いないです。本格復帰もだんだん近づいて来たかな? 頑張りま~~~す!皆さんも自分の目標に向かって頑張ってくださいね。----------第25回終わり

  • 26Nov
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      フェニックスの始まり その24

      ダーリンです。第24話(全26話)。あと残り3話となりました。--------------"時間の経過"手術から7ヶ月が過ぎました! 傷もかなり落ち着いて来ました。そして抗ガン剤治療終了からも3ヶ月。6月に体調があまりに変で不安を感じて受診したと き、ドクターは「抗ガン剤でかなり身体が痛めつけられたんだから回復するのにはだいたい3ヶ月くらいはかかると考えた方がいい」と言いました。このときエアロをやったことを告白したんですよね・・・私。ドクターはチラッと呆れたような視線を私に向け「エアロぉ?????」と一言。シュン・・・・・・。「エアロはちょっと早かったかもね」とドクター。先生が目安で言った「3ヶ月」が過ぎたわけで確かにかなり回復してきたのを実感することができる今日この頃です。それで・・・7月31日には7ヶ月ぶりにBASEレッスンに夫が仲間と一緒に参加することにしたので私もくっついて赤羽のスタジオに行って来ました!私のためにこの7ヶ月間BASEレッスンに自分のみ参加することを控えてくれていた夫には深く感謝!病気の本人よりも支える家族の方がずっと大変かも・・・と思う我が家の状況です。何しろ私はちょっと体調が悪いと心配かけないように・・・と何も言わないで耐えるタイプとはほど遠く、とにかくあーだこーだと自分の不安を口に出し外に吐 き出すことで自分の気持ちを落ち着かせようとするタイプなのです。そばにいてそんなことばかり聞かされる夫のストレスは相当なものですよね~。先日、夫は会社の健康診断で年に一度の「人間ドック」でした。結果は「異常なし」。パチパチ。すばらしい!ホッとしました。大変な目に合っていても健康状態良好、そしてBASEレッスンにも復帰できたしメデタシ、メデタシ。私もBASE CUPに続きBASEのレッスンに「見学」でも復帰できて嬉しかったです。-----------第24話終わり

  • 25Nov
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      フェニックスの始まり その23

      ダーリンです。第23回。坊主頭の写真も出しちゃいます。------------"変身"抗ガン剤治療の副作用で抜け続けていた髪がやっと抜け止まったのが6月上旬。私の場合はすべて抜けずにところどころ中途半端に残りました。う~~っ、なんかいかにも「病人」ぽいしうっとうしい。そうだ!スッキリしよう!そう思い立ってすぐ美容院へ。はい、クリクリの坊主頭にしてもらいました。自分の頭の形をハッキリ見る機会に恵まれなんだか大照れ。まず親しい友人たちに見せるとこれがなぜか好評。おだれられるとすぐその気になる私。世間にそのまますぐその頭でデビューしちゃってもいいかな~と思いましたがいきなりだと衝撃的すぎる??とも思い小出しにして行くことに決めました。自分としてはけっこう平気なんだけどそうは言っても周囲の人々の反応も多少気になる私。まずは友人たちと一緒出かけたりするときにはウイッグをやめることに。あ~~~~なんて涼しいの!!今年は特に6月下旬から暑い日が多かったし。ふうっ、気持ちイイな~。一度ウイッグを取ってしまったら、あ~~~もうダメ。ウイッグがうっとうしくなってしまいました。7月に入り病院へ行く日。そうだ!この日を完全に坊主頭デビューの日にしよう!診察室に入る私。カルテから目を上げるドクター。その目が明らかに3秒間は私の頭に止まりました。う~~む。派手色ウイッグで登場したときにはぜ~んぜん気にも止めてない感じだったのに。衝撃的だったのかなあ?そう言えば今まで待合室で坊主頭の女性は見かけたことないかも。キャップやバンダナの人はいっぱい見かけるけど。大胆すぎた?季節的にグッドタイミング!ラッキーな私。だって涼しいです。こんなことでもなかったらとても勇気がなくて坊主頭は一生試せなかったと思うし。今は少し伸びました!「あ~毛根細胞元気なんだな~」って、こんなことでも嬉しくなります。最近では「この方がいい」とか「似合ってる」と言われることが 多く、う~ん手術前までのクシュクシュパーマのロングは間違っていたのか??と複雑な気持ち。6~7年はやってましたからね・・・。これから髪が伸びてもカットして今のヘアスタイルでこの先ずっと行ってしまってもいいかな、そうしようかなと時々考えてる自分がちょっとコワイ今日この頃です。おかげさまで7月の検査結果(血液検査・触診)は異常なしでした。ホッ。次回は9月です。ガン細胞にはこのままなるべくおとなしくしていてもらいたいと願う私なのでした。----------第23回終わり

  • 24Nov
    • フェニックスの始まり その22

      ダーリンです。第22回。フェニックスからの一般向けメッセージ。-------"「乳ガン」激増!"フィットネスジャーナル7月号で「乳ガン」が取り上げられています。読まれた方も多いのでは? 「乳ガン」は身近なものになって来ています。先月、「乳ガン学会」が開催されたのですがそこで「乳ガンの全国アンケート調査結果の報告」があり日本の乳ガンが現在どのような状況にあるのか調査結果の抜粋が発表されました。学会に参加された患者の方から聞いたところによると★ 30歳~60歳の病気で亡くなる人の中では「乳ガン」で亡くなる人の数が一番多い。★ アメリカでは40歳以上の女性の約70パーセントがマンモグラフィ検診を受けているが日本では約2パーセントのみ。★ アメリカでは「検診」で発見されることが多いので半数以上が「初期」であるステージ1以下で発見されている。★ 日本では約82パーセントが自分で異常に気づいて受診し「乳ガン」を発見。ということだったそうです。私の場合は全く「検診」を受けておらず自分で異常に気づいた時点で「乳腺外来」のクリニックへすぐ行きました。そしてそのクリニックで専門医による触診、 マンモグラフィ、超音波検査、細胞診をうけ「ステージ3」(ステージ0から4まであります)の「乳ガン」と診断されたのでした。このクリニックの先生が「乳ガンを早く見つけるために」と次のことを言っておられます。★ わたしも乳ガンになるかもしれないという意識を持つこと。(・・・・・この意識がゼロだった私。)★ 自分の乳房を良く知ること。つまり自己検診すること。(・・・・・ただなんとなく触っていても気づかなかった。インターネットで自己検診の方法を知って腋のしこりにまず気づいた私。)★ 自己検診で異常がなくても毎年乳ガン検診を受けること。(・・・・・乳ガン検診どころか健康診断を受けていなかった私。)「検診」を受けている場合も「検診」を受けているからと安心しないで自分で何か変だ・・・と思う場合にはすぐ専門医(乳腺外来のクリニックや乳腺外科。産婦人科ではないので注意!)を受診することも大切だそうです。自分のことをいちばんよくわかるのはやはり「自分」だと思います。自分が変だなと感じる感覚は決して無視してはいけないと思います。私の不幸中の幸いは「おかしい」と感じてすぐに専門医のところへ行ったことでしょう。早期発見できれば今の時代は温存手術で乳房を失うこともありません。自分を守るのは自分です。 大切な乳房を・・・大切な命を・・・みなさんが失いませんように!!自分を大切にしてくださいね。-------第22回終わり

  • 23Nov
    • フェニックスの始まり その21

      ダーリンです。第21回。BOSSとはエアロ団体BASEの代表者のニックネームです。-----------"ガンでも元気!"BASE CUP参加された皆さん、お疲れさまでした!BOSSとインストラクターの先生方、そしてお手伝いの皆さんのおかげで楽しい一日を過ごすことができたことに深く感謝です。絶対お得なイベントだと思います。今回参加できなかった方もぜひ次回は参加してみてくださいね。私は「観客」として過ごしましたがすべて見応えがありとても楽しかったです。そして・・・私はなんと!思いがけずBOSSから「最優秀敢闘賞」に選んでいただきました。BOSSの優しさに胸が詰まり涙がこぼれてしまいました。「乳ガン」と告知を受けたのがちょうど昨年12月BASE感謝祭の翌日。その日からずっとBOSSの優しい励ましに支えられここまで来ることができました。そしてチームメイトだったみんな、競技スクール1期生のみんな、インストラクターの先生方や多くのBASEのエアロ仲間からたくさんの励ましの言葉をいただきました。おかげで自分のパワーがどんどんUPして行くのを感じています。私は見ての通りあのように元気です。(笑) とにかく普通に生活しています。ただ激しい運動を控えているだけでエアロバイクをたまにこいだりストレッチしたり。動作はゆっくり気味になっているので以前の自分と比べてしまうとずいぶん弱っているように感じますが世間のレベルで考えたらもしかすると並以上なのかも?と思ったり。車の運転もしないので日常的に歩くことも多いです。TVドラマなどではガン患者はだいたいが必ず死んで行きますよね・・・。悲劇的に描かれることが多いからガン患者のイメージはかなり暗い弱々しいものにとらえられているのではないでしょうか?実際私も遠く離れて暮らしていて現 在の私の姿を見ることができない親戚や友人たちから「歩けるの?」とか「料理や家事はどうしてるの?できるの?」とたずねられ苦笑してしまったことが何度 かあります。「え~~~~っ、歩けるよ。私が手術したのは胸なんだし」と答えた私。「いや~~身近にガンの人を見たことないし・・・TVドラマとかで見るとベッドにつながれて苦しんでる姿ばかりだからそういうものなのか・・・と」と言われました。確かに「末期」になった場合や抗ガン剤治療中はTVドラマなどのイメージに近い場合もあるかもしれません。でも多くのガン患者がたとえ再発・転移した場合 でも手術や治療を受けながら日常の生活を元気に続けることができています。でもやはり「死」につながることもある病気であることも事実。私の場合もすでにリンパ節転移があったことや、年齢が比較的若いこと、病理検査の結果ガン細胞が活発なこと・・・などからドクターには「再発の可能性がか なり高い」と言われました。この先もなかなか気が抜けないのですがでも今のところ普通に過ごせています。全く「不安」に思うことがないと言えばウソになり ますがあれこれ考えていても仕方ないしとりあえず先のことは誰にもわからないわけだし・・・。わからないことに悩んでいるよりも「今」を大切に楽しく生きなければ時間ももったいないし、けっきょくのところ楽しく生きていればそれが生存率のUPにつ ながっていくのでは・・・と思っている私です。「ガン」とうまく共存して行ければいいのではないか・・・と考えるようになった最近です。ガンでも元気ですからね~~! これからもパワーの素になるような楽しいことにはどんどん参加したいと思います。またBASEのレッスンやイベントで皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。------------第21回終わり

  • 22Nov
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      フェニックスの始まり その20

      ダーリンです。20回目となりました。---------"心と身体のバランス"ラストの抗ガン剤治療が終了し浮かれてしまいました。とにかく嬉しくてはしゃぎ過ぎ。よ~く考えると終了したとは言え強い抗ガン剤(私の場合はCEFとい うもの)を6回も入れたわけで6回分のダメージが重なってるんですよね。あ~それなのに「これでもう元の身体に戻ることができる!」といつのまにか思い込 み期待もしてしまったおバカな私・・・。一気にいろんなことやってしまいました。当然スポーツクラブにも5ヶ月半ぶりに復帰!はい・・・エアロもやりました。もちろん以前の自分と比べたら半分以 下の出力で軽く動いただけ。しかしエアロ復帰初日を問題なくクリアしたために私の気持ちは一気に加速。今思うと身体の疲労にぜ~~んぜん気がつかずどんど ん突っ走りまさにアドレナリン出まくり状態。そして・・・そんな私の気持ちには実はとてもついて行くことができない現在の私の身体。ついにSTOPサインを出しました。 ある日エアロのレッスンを受 けたあとだんだん体調がおかしくなって来て・・・。どんどんつらくなって来て不安になった私は「過呼吸症候群」の発作でダウン。トホホ・・・。ふうっ。  ここまで行かないと止まれないそんな自分が情けなくなるし「自信」も喪失。反省して翌日から「引きこもり」生活。それなのに体調は回復するどころか風邪まで引いてどんどん悪化。咳も気管支喘息の発作のよう。こうなって来ると気分 もどんどん落ち込んでかなりのウツ状態。 そして再び自宅で夕食後にだんだん息苦しくなり動けなくなってしまいダウン。いったい私はどうなっちゃった の???と不安でおかしくなりそうでした。もしかしたら「ホルモン剤」のせい?  私のガンは「ホルモン受容体」がプラスなのでホルモン療法が効きます。「ホルモン療法」で5年生存率10パーセン トUPというデータあり。 スポーツクラブで倒れたときはホルモン剤服用をスタートして1週間め。エアロももちろん今の私の身体には激しすぎたのかもしれ ないけれどその次の1週間はおとなしく過ごしているにもかかわらずとにかく身体が変。全然回復する気配なし。抗ガン剤治療が終了してホルモン療法をスター トするまでのあいだは日に日に自分が元気になって行くのを感じてたのに・・・。自宅でダウンしてさすがに不安が募り急遽病院へ。この日は主治医の先生の外 来の日ではなかったので別の先生に診てもらいました。 血液検査と胸部X線検査をしたけど心配するような異常なし。ただやはり抗ガン剤の影響でまだ白血球が少ないまま。だから喉の炎症が広がったのかもと。抗ガン剤で弱っている身体にホルモン剤がきつすぎたかホルモン剤 自体が身体に合わないかということでいったん服用を中断して様子を見て主治医の診察を受けるようにと言われました。中断してから1週間くらいはたいして体調も好転せず外出するのも怖くなってしまいますます「引きこもり」状態。精神状態も不安定。本当に今振り返るとこの 時期が心も身体も今までで一番つらかったです。 しかしそれから日に日に楽になって来ました。そして主治医の診察予約の日がやって来て「そうか~そんなに ひどく出ちゃったか~。じゃあね、やめよう」ということになりました。よかった~~~。自分でも「やめます!」と言う決意をしてたので本当にホッとしまし た。そういうわけで今後は「無治療」。毎日元気に過ごせた方が絶対に生存率UPにつながると思ってる私です。 一般的にはホルモン療法の副作用は軽いと言われ ているのですが私の身体には合わなかったみたい。自律神経がめちゃくちゃに狂って行くのを実感しました。人間の身体って不思議!この原稿を書いている今はもうかなり元気です! いろいろ苦しんだけれどおかげでやっと今度こそ本当に病気の自分を受け入れることができました。今までは 手術する前の元気な自分に戻りたいとどこかやはり未練たっぷりだったと思います。でもそれは無理とわかりました。今の自分を受け入れてゼロからまたスター トして新しい自分をめざして行きます。というわけで BASE CUPはリレーレッスンだけでも参加したい!と張り切っていたのですが 今回は観客席から楽しむことに決めました。 フェニック スの正体を知っている皆さん、「え?どこが病気なの?」って感じの相変わらず元気そうな外見してますので(?)驚かないでくださいね。(笑) 会場でお会 いできるのを楽しみにしています!--------第20回終わり

  • 21Nov
    • フェニックスの始まり その19の画像

      フェニックスの始まり その19

      ダーリンです。第19回はネットを通じてJIMEさんとの出会いです。--------------"「エアロの輪」と「ネットの力」"入院中、私のこの「闘病記」を読んでBOSS経由で励ましのメールを届けてくださった方がいました。それは伊丹のJIMEさん。数回に渡るガンの手術を乗 り越え元気にエアロをされてるスゴイ人です。こういう同病のしかもエアロの先輩が寄せてくださった励ましのメッセージは本当に嬉しかったです。前向きに頑 張って行く勇気が湧いて来ました。皆さんもまだお読みでなかったらぜひJIMEさんの「ガン闘病記」を読んでみてください。 このHPのトップページで紹介されている「予防医学研究会」に アクセスして「PEOPLE」のところをクリックしてください。JIMEさんの不屈の精神は私だけでなく皆さんにも「勇気」を与えてくれるはずです。(追記:現在のリンク先は下記)https://plaza.rakuten.co.jp/jimesan/私はこの「ガン闘病記」を読み進めるうちに「あっ!この方が私にメッセージを送ってくださった方に違いない!」と気づきお礼も言いたくてBBSにカキコし ました。その私のカキコに同じ「乳ガン」を乗り越え競技に見事復帰されたOさんのご主人も励ましのレスを付けてくださいました。これもとても嬉しかったで す。希望が湧いて来ました。「競技」はもうダメだろうと諦めていたのですが最初から諦める必要はないし少しづつ頑張ってみようという前向きな気持ちに変わ ることができました。一度もお会いしたことがない今まで知らなかった人たちが同じ病気でそしてエアロの仲間ということで励ましてくれる・・・これほど心強いことはありません。エアロをやっていて本当に良かったです。JIMEさんから『これからも お互いに エールを送って ガンで苦しむ皆さんを応援して行きましょう。そのためにも 貴女は 絶対乗り越えて エアロガ ンチームのメンバーになって下さいよ』とのメッセージをいただきました。はい!時間はかかると思うけれどいつの日か復活して 「エアロガンチーム」の一員 として頑張りたいと思います。全国行脚をめざします。(笑) それが目標!「競技」もやってて良かった! どこかの「大会」でJIMEさんやO夫妻にお会 いできることを楽しみに頑張っていきます。もうすぐ 第2回BASE CUPですね。 サーキット参加される皆さん、応援してま~す!(追記:以下の写真は2007年にフェニックスがリレーフォーライフ芦屋にJIMEさんに会いに行った時のものです)---------第19回終わり

  • 20Nov
    • フェニックスの始まり その18の画像

      フェニックスの始まり その18

      ダーリンです。今日、フェニックス宛てに着払いの荷物が届いていました。何かとおもったらフェニックスが毎年集めていたアイリッシュドレスデンの2019年干支、イノシシの置物。天国から送ってくれたのかな。(左が今日来た来年の干支のイノシシ。右は今年の犬)それでは第18回です。----------"医療費と保険"長期に渡るガンの治療には費用がかかります。皆さんは「高額療養費支給」制度をご存じですか?現在の健康保険制度では毎月の医療費の自己負担額が一定額を超えると高額療養費の支給対象となり申請すれば一定期間のうちにその差額が払い戻されます。会 社勤務であれば特に申請手続きをしなくても会社の健康保険組合が自動的に処理してくれる場合もあります。そうでない場合は自分で申請する必要があります。入院が初めての経験だった私はいったいどれくらい費用がかかるのか全くわかりませんでした。皆さんの参考までに私が退院時に病院に支払った金額は約32万 円でした。自己負担3割でこの金額です。約2週間の入院です。でもこの「高額療養費支給」の制度のおかげでかなり助けられました。退院後は「抗ガン剤治 療」のため通院していましたが1回の抗ガン剤もとても高くてビックリ。ちなみに3万ちょっとです。初回はお財布に2万しか入ってなくて慌てて病院内の銀行 ATMにお金をおろしに走った私なのでした。 ホルモン剤も1ヶ月分で約6千円です。「ガン保険」の新聞広告やTVのCMがやたら目につく最近です。自分が「ガン」になる前は完全にたかをくくっていて「ガン保険」に入っていなかった私なの で「あ~入っておけば良かった!!!」と何度思ったことでしょう。たまたま郵便局で貯蓄代わりと思って入っていた生命保険に医療特約を付けていたため手術 費用や入院費をカバーすることができ胸をなでおろしました。「備えあれば憂いなし」っていうのは本当ですね。----------第18回終わり

  • 19Nov
    • フェニックスの始まり その17

      ダーリンです。第17回目となりました。-----------------"一段落"抗ガン剤治療ついに終了しました! 副作用もおさまって来て元気が戻って来ました。 あ~待ち望んだこの日がやっと来ました。もう3週間後にはやらなくていいのだと思うと本当に嬉しいです。いろいろご心配をおかけしましたがとりあえず一段落です。多くの方々に支えていただいたおかげで手術・抗ガン剤治療を乗り切ることができました。ありがとうございました! このあとはホルモン療法が続きますがとりあえず一段落です。さて、抗ガン剤治療で抜ける髪をじ~~~っと観察していて発見しました!抜けた髪の毛に治療の痕跡が見られるんです。1本の髪の毛に等間隔に「節」が入ったようになっているんです。そうなんです。抗ガン剤を入れるたびに成長が 抑えられ抜けてしまうかなんとか抜けないで踏みとどまった場合そこでいったんストップ。またそれから3週間普通の太さで伸び続けそしてまた次の抗ガン剤に やられて一瞬ストップ、って感じ。1cm間隔くらいでカクカクって感じになってます。へえ~~って感じ。大騒ぎしたまつげは意外に再生が速かったです。左目のまつげの一部分だけがすっぽり抜けてどうしよ~~と思っていたのですがその状態で踏みとどまりいつのまにかその部分に新しいまつげが生えて来ました。ほっ。おかげで「つけまつげ」は試さずに済んでしまいました。ちょっと残念?先日の外来受診時に入院中同室だった方お二人とお互いの退院後初めてバッタリ会いました。このお二人とも髪の毛はすっかりなくなってしまったそうです。私はけっきょく頭頂部と両耳の上あたりが禿げてますがその他の部分はかなり薄くなったものの残りました。 やっぱり元々の髪の量が多かったのかなあ?私はかなり喉の粘膜がやられてますがAさんは口内炎に悩まされたとか。Bさんは爪が紫のマニュキアを塗ったかのようになってしまってました。私は血管がボコボコ。ひとりひとり副作用の出方も当然違うのですね。お互いの「健闘」を讃え合ったプチ同窓会だったのでした。--------第17回終わり

  • 18Nov
    • フェニックスの始まり その16

      ダーリンです。今日はフェニックスの50日祭でした。いよいよ神さまになる日。両親と兄弟が来て祝ってくれました。当初雨の予想がフェニックスの計らいで晴れ。これからは天から見守ってくれます。それでは第16回です。---------"ゴールデンウイーク"4月30日は金曜日でゴールデンウイーク中の「平日」でした。そう、ちょうど私の6クールめの抗ガン剤治療の日。5クールめから3週間後のその日、予定通り治療を受けることになりました。まずいつものように白血球の数値を調べる採血検査。3400だったので抗ガン剤治療GOサイン。 3000切ると受けられないんです。「あ~~~今日で最後だ~~~」と思いながら点滴室へ。古い病院なので細長い部屋に細いベッドが10あってそれがカーテンで仕切られているだけです。しかしこのベッド、ちょっと太めの人だったら大変。ゴールデンウイーク中だからか抗ガン剤治療を受ける患者も少なめ。看護婦さんが私の治療のためにドクターに電話。 治療の患者が来るたびにどこかにいるドクターを電話で呼ぶシステム。うん? いつもの点滴担当してくれる先生はお休み? 代わりの先生?えっ? その先生も昼休み中? えっ? 誰? 耳がダンボになる私。現れたのは4月に来たばかりらしい研修医の先生。申し訳ないけど ガ~~ン。なんか不安。 とたんに心臓がバクバク。入れる薬の準備をしているのがカーテンごしに聞こえて来ました。ガチャガチャ。う~~~ん、なんか荒っぽい。 ますます不安。しばらくして「あっ、間違えた!」とその先生の声。 看護婦さんに新しい薬を薬局でもらって来てと指示してる。 点滴室に入ってから待たされることもうすでに15分以上。 しかも混ぜ間違えた????? も~勘弁して~~。先日読んだ「研修医による抗ガン剤投与ミスにより患者死亡」って新聞記事が頭をよぎる。私の不安は募るばかり。 しかし投与前に気づいてくれて良かった!!!そして・・・1~5クールめまで担当してくれた先生は神様だ!と思いました。ずっと一発で射してくれてたもん・・・。けっきょくその研修医の先生にはなんと4回も射されてしまったのでした。涙。私の血管が立派でずっと一回で射せてたわけじゃなくてもしかしたら「技術」の差? 翌日腕も腫れちゃいました。 ううう~~。今年のゴールデンウィークはそんなでそのあともずっと副作用で病人状態。玄関から一歩も外へ出ることもなく過ぎてしまったのでした。トホホ。しかしホントに患者としてはできるだけ慣れた上手なお医者さんや看護婦さんに身を任せたいと思っちゃいますよね・・・。経験を積まなければ慣れないし難し いところですが、とにかく我が身の「不運」(?)に泣きたくなったラストの抗ガン剤治療だったのでした~~~。------第16回終わり

  • 17Nov
    • フェニックスの始まり その15

      ダーリンです。フェニックスの第15話の掲載です。---------"新しい体験"今回の抗ガン剤治療後の副作用で新たに悩まされているのが「めまい」。1~4クールめと同様の副作用ももちろんあるのですが今回はなぜか頻繁にクラクラ来てます。あ~~~~天井が回ってる~~~~って感じ。そして・・・「まつげの脱毛」です!きゃああああああ。そうなんです。「まつげ」が!!!!!「なんとなく薄くなって来てる???」と少し前から思ってはいたのですが髪の毛同様、けっこう多かったまつげゆえ「気のせいかなあ?」と思える期間が長かった!しかし今回の治療後、まず母が「あれっ?まつげもけっこう薄くなって来たんだねえ」と指摘。うっそ~~~、やっぱり??? 夫に早速「薄くなってる?」と確認求めたらあっさり「うん」。あ~~~~~『現実』だったんだ~~~~~! トホホ。子供の頃、マッチ棒2本乗せられるのがけっこう自慢だったよな~、私。髪の毛が抜けてなくなることより「ガ~ン」度が大きかったです。親友たちは「薄くなってやっと普通になったって感じ。今までたくさんありすぎだったよ」となぐさめて(?)くれついでに眉毛にまで言及。「眉は減って良かったじゃん。今までゲジゲジ気味だったからそのくらいの方がいいよ。それに眉はどうせ描くんだしね~」と。眉も薄くなってるんだ~~~~~!うわっ、ホントだ。そう眉毛は問題ありません。私にとって問題なのは「まつげ」。う~ん。そうだ!「つけまつげ」がある!せっかくだから「つけまつげ」にも挑戦してみようかな。いや~ビックリしました。いろんな「つけまつげ」があるんですね。こんなに種類が豊富だなんて知らなかった。ただいまあれこれ物色中。ウイッグに続いてまた新しい世界を知ることができそうです。----------第15回終わり

  • 16Nov
    • フェニックスの始まり その14の画像

      フェニックスの始まり その14

      ダーリンです。第14話です。---------"かつらデビュー"4月9日に抗ガン剤治療5クールめを受けました。さすがに抗ガン剤が5回も体内に入ったら・・・うわあああ~~、来ました! ついに髪の毛がかなり薄くなりところどころ地肌が目立つ状態になってしまいました。でも2月1日に抜け始めて2ヶ月以上よくもったものです。今までも家の中では友人たちが遊びに来てくれるたびに、用意してあるウイッグをかぶって見せては 「なんか不思議と似合ってるのはなんで~???」というみんなの反応にかなりイイ気分になってた私。ウフフ。「ちょっと私にもかぶらせて~」という友人にかぶらせたり特に望まない友人にまでもかぶるように勧めたりして『変身ごっこ』を大いに楽しんでいたのですがいざウイッグ姿で初外出となるとちょっと緊張。急に気弱になり世間の人々の反応が気になりドッキドキ。だったら以前の自分の髪型と似たスタイルの物を選べばいいのに「どうせなら楽しんじゃおう!」って思考しちゃった私。私が選んだウイッグは・・・ショートでかなり派手色、若い子用ファッションウイッグなのです。だって5千円程度で買えちゃうんだもん。有名メーカーのもの や医療用となるとなんと10万円超えるのがざら。それでもって派手色はないしバリエーション少なくておもしろくな~~い。世間の人々の反応は・・・「髪切ったんですね~!」が多かった!!そう、ここ6~7年ロングだったから「長さ」の変化には当然気づかれてしまうのです。でもでもみなさんウイッグとは全く気がつかないみたい。うふっ。すばらしい!!おまけに誰も「色」の変化にはギョッとしない様子。なじんでる?????ふらっと入った洋服のショップの店員さんには商品見てたらいきなり「髪の毛、いい色になってますね~」と声かけられました。自毛に見えた?????なんだかすご~く楽しくなっちゃった私なのでした。----------第14回終わり

  • 15Nov
    • フェニックスの始まり その13

      ダーリンです。全部で26回のうちの半分になりました。-------"抗ガン剤の副作用"3月19日、抗ガン剤治療4クールめ終了しました!1クールめ&2クールめは副作用に悩まされたのは2日間程度だったので「な~んだ、この程度なら耐えられそう。私は軽い方なんだな、よかった~~~」とホッとしていたのですが甘かった!3クールめでつらいのが1週間に延び、そして今回4クールめは8日間!激しく吐いたりはしていないし食べることもできているからやっぱり軽い方かもしれな いのですがとにかく乗り物酔いが続いているような感じで気持ち悪くてモヤモヤ。情緒不安定でやたら泣けて来たり、遊びに来てくれた友達とペラペラおしゃべ りしてるうちに貧血のようになってしまったり、耳鳴りはするわ、喉が詰まったような感じで息苦しくなるわ・・・。ふ~~~っ。ちなみに指の爪も少し紫色に なってます。そうそう今回は頭痛もあった!涙・涙です。「脱毛」以外にざっとこんな感じの副作用が出ています。そしてこのほかにもうひとつ。「血管」が痛いんです~~~~~。痛みがあるのは点滴を入れる左腕の血管。右腕は腋のリンパ節を切除した関係で採血や点滴は 避けた方がいいということでいつもいつも左腕の血管を使うのです。抗ガン剤を入れると白血球も減ってしまうので白血球の減り過ぎを注意するために採血検査 しなければならないのです。たび重なる採血ですっかり血管が硬くなってしまいいつも採っていた腕の血管では採れなくなりここ3回は手の甲の血管から採って ます。エアロやってたおかげか私の血管はかなり立派!エアロの人って血管が浮き立って目立つ人が多くないですか?私の手の甲なんて血管がクッキリ。採血も一発OK。「抗ガン剤」の点滴の針を入れるのも今まで一度も先生を悩ませたことなし。点滴室で隣のベッドだった患者さんは3回も4回も射しなおされていたんですよ。ひえ~~っ。血管が立派でよかったあ~とつくづく思った私。血管が痛むのは「抗ガン剤」のせいだそうです。3種類入れている薬のうちのひとつがとても強い薬でその薬のせいで血管が痛くなるのだと医師の説明でした。 この薬、だいたい色からして毒々しい「赤」!赤い液体を全身に流しているわけで点滴終了後トイレに行けば尿も赤いです。血管からちゃんと全身に回っている んですね~。なんだか不思議。げっ、書いてるうちに思い出してそれだけでなんだか気持ち悪くなって来たような・・・。あ~抗ガン剤治療もあと2回です!!早く終わって欲し~~~~~~い。終わったら絶対に自分でお祝いしようと思います。最初に診てもらったクリニックの女 医さんに「とにかく抗ガン剤治療、最後までがんばるのよ!!」と励まされたワケがよ~~~くわかる最近の私です。やめたくなるもん。最後に・・・「脱毛」は・・・よっぽど髪が多かったのかなり薄くなったもののまだ残ってま~~~す。 以上、副作用報告でした。-----第13回終わり

  • 14Nov
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      フェニックスの始まり その12

      ダーリンです。12回になりました。--------"脱毛"抗ガン剤の副作用のひとつに「脱毛」があります。私の場合もちょうど2月1日からついに脱毛スタート。 患者仲間や乳ガン体験者の知人から 「抜け始めたらあっと言う間になくなった!」 とかいろいろ聞かされていたのでしっかり心の準備。入院前に短く切った髪をさらに短くショートにして備えました。 こんなに短くするのは小学生のとき以来。 しかもここ6~7年はロングだった私。 寒い!!ショートがこんなに寒いものだったなんて!!周囲は意外にも「ショートの方がいい」という声が圧倒的多数。 私のロングはいったい何だったの~~とちょっと複雑な思い・・・。う~~ん。ロングが気に入っていた私。さて脱毛スタートから1ヶ月経過。はい、私はまだ禿げてません。 患者仲間のほとんどは「ごそっ」とまとまって抜けるパターン。しかし私の脱毛パターンは違うんです。 全体から「ハラハラ」と少しづつ。抜け毛の季節の抜け毛の量が増えた感じ。毎日毎日「ハラハラ」と 抜け続けているのにまだ見た目は普通。う~ん驚異的!自分の髪の多さと根性(?)にビックリです。髪は多いとは思っていたけどこんなに多かったなんて!!! 看護婦さんには「なかには全部抜けずに髪が残った人もいたわよ~」と言われました。私の髪は果たしてこの先残るのか????? なんかまどろっこしいような・・・。朝起きると枕は髪の毛だらけ。シャンプーすれば「ああ~~っ」。タオルドライで「ギャ~っ」。 そんな感じの毎日がもう1ヶ月。ウイッグしっかり用意してるのにな~~。このウイッグ付けた私、けっこう好評なんです。ね、BOSS。 早く若い子ぶりっ子したい私なのでした。-----------第12回終わり

  • 13Nov
    • フェニックスの始まり その11

      ダーリンです。フェニックスは術後抗がん剤としてCEF(シクロホスファミド, エピルビシン, フルオロウラシルの3種類の組み合わせ点滴抗がん剤)を受けていました(3週間毎合計6回)。---------"抗ガン剤治療"2月6日に2クール目の抗ガン剤治療を「外来」で受けました。数々の副作用。吐き気に眠気に倦怠感。う~~~っ気持ち悪い。そして眠い。スッキリしないし元気が出ない。ただぼ~~っとしてるだけで時間が 過ぎて行く・・・。食欲も湧かないし・・・。手足が冷たい。なのに顔が めちゃくちゃ熱い。数日間は「病人」ぽくなってしまいました。ふ~~~~~~~っ。そしてまた3週間が経過。早い!2月27日に3クール目の抗ガン剤治療。やっぱり同じで数日間は「病人」モード。今回は治療数日前に突然の38度の発熱するし座骨神経痛のようになるしで 不安になった私・・・。いったい何なの~~~~~?手術後1ヶ月が過ぎ、傷も落ち着いて来たしなんとなく体調も良かったので歩き過ぎたのが良くなかった?????決して「歩き過ぎ」とは思ってなかった私。身体を動かしたくてウズウズして お散歩。 お天気も良かったし買い物がてらわざと遠回りしたりして。とにかく 連日歩いてました。そしたら発熱?????そもそも片胸なくてバランス悪いし、リンパ節切除した右腕で重い物持っちゃ いけなくて・・・。 買い物の荷物持って歩くのもバランス悪かったかな。 それで座骨神経痛?????ふ~~~~~~~っ。手術前の自分とは違うってことを忘れてるわけではないのだけれど ついつい・・・。深く反省しました。私の身体が「まだそんなふうに動くのは早いよ~~」とサイン出したのかなって 思います。昔のペースは忘れなくちゃ。すぐガンガンやりたくなる私。これからはゆっくりのんびり少しづつ・・・ですね!----------第11回終わり