母テツコの母
祖母のお墓参りに行ってきました。
ここ数年で家族がお星様になられた方も多いかもしれませんね。
亡くなられた方はこの世とあの世の行き来をしているらしいですよ。
私も、専門の方に何人か見ていただきましたら、
肩の上に祖母がいるよ
おばあちゃんが腰をさすってるよ
と教えてくれることが多く、天国と私のそばを生きしているようです。
お墓には、眠っていませんという曲がヒットし、お墓が売れなくなりました。
それでも、お墓参りに行って、お墓を磨きながら話しかけると、心がスッキリするものです。
祖母は、お茶、お花の先生もしており、俳画も晩年は力作を残したのですが、
祖母の影響もあり、私は書道の道に進むことができました。
母方の祖母の家は、四国で大きな乾物屋さんでお商売をしていました。
香川県ですが、御門跡さんが行き来したりして、大きな宴会場があったり、日本画で有名な方が書いた障子の絵があったり、門跡さん方がお泊まりになられる場所があったり、地下では、爆薬を作っていたりしたようです。
その時に住んでいた家の間取り図を先日書いてもらいましたが、名古屋ではなかなか考えられないような概念の広いおうちで、面白かったです。愛知県でも少し離れたところに行けば、池や井戸や離れなどあるかもしれませんね。
祖母は養女に行ったのに、お商売を継ぐことなく、サラリーマンの祖父と結婚をして、私が小学校1年生の時に祖父が亡くなりました。私も幼いながらにショックを受けていました。この世から可愛がってくれた身内がいなくなるというのは、幼いながらに、非常に辛いものです。
3人の子供を大学まで行かせて、地元でしたが、長女の母は愛知県立女子大学(今の愛知県立大学)、叔母や叔父は金城大学、名古屋大学へと進み、活躍、、
専業主婦で、子供3人に恵まれ、好きな俳画もできて、毎日俳画を描いて、雅号をもらい、岡山から大阪まで習いに行き、幸せな人生だと思いましたが、人生の後半では、施設での様々な人間関係で苦しんだようです。私もその時にいっぱい施設に遊びに行ってあげればよかったのになと後悔しています。
日ごろの報告を終え、お花などを捨てに行き、桶を洗って戻しに行って帰ってくると、テツコ、
このようなスタイルで写真を撮っていましたので、珍しいです。
今回のお花が気に入ったようです。
この曲の思い出教えてくれました。
母は、大学の首席として、代表で、卒業証書取りに行く時に、この曲がかかっていたそうです。
場面場面の瞬間もよく覚えているんですね。
歳のせいか、性格のせいか、忘れ物も多かったり、うっかりしていることが多かったり、
年々話が噛み合わなくなることもありますが、
認知症が進むと、人が変わったようになるそうです。本当に辛いですよね。
ひどい認知症にならないで欲しいなと思いました。