スピンオフ編~東京都新宿区四谷三丁目・消防の変遷を知ることができる『消防博物館』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は

東京都新宿区四谷三丁目の

『消防博物館』です。

 

最寄駅は

東京メトロ丸ノ内線

『四谷三丁目』。

 

駅直結の10階建ての建物の

2階以外の部分が博物館になっています。

 

因みに2階は四谷消防署です。

 

1階の受付で

入館証を受け取り首に下げます

・・・事前予約は不要です。

 

まず度肝を抜かれるのは

受付の左手に吊り下げれたヘリコプター

 

フランスのシュド・アビエーション社製の

アルウェットIII型で

東京消防庁に航空隊が設置された翌年の

1967(昭和42)に

ヘリコプター1号機として輸入され

『ちどり』と命名されました。

 

ヘリコプターの下を見ると

地下1階にはしご車が展示されています。

 

博物館のお薦めは上の階からの見学ですが

この光景を見るとつい地下に下りたくなります。

 

こちらが

上から見えたはしご車です。

 

右側にあるのは

『いすず・メッツ梯子自動車』。

 

1925(大正14)年に

車体とともに輸入されましたが

シャシが老朽化したため

1959(昭和34)年に

いすずの新型バスのシャシに

未だ使用可能だった

カールメッツ社のはしごを載せかえたもので

1971(昭和46)年まで活躍していました。

 

左側にあるのは

『ベンツ・メッツ梯子自動車』。

 

メルセデス・ベンツのシャシに

カールメッツ社のはしごを載せた車で

1955(昭和30)年5月に

丸の内消防署に配置され

1975(昭和50)年に

池袋消防署を最後に引退するまで

20年間活躍していました。

 

『スタッツ消防ポンプ自動車』

 

1924(大正14)年にアメリカから輸入され

第五消防署(現在の上野消防署)に配置されて

1953(昭和28)年まで活躍しました。

 

消防車にしておくには

惜しいほどの華麗なデザインは

当時の人々の目を引いていたそうです。

 

『マキシム消防ポンプ自動車』

 

1929(昭和4)年にアメリカから輸入され

神田消防署に配置されて

1953(昭和28)年まで活躍しました。

 

前掲のスタッツの華麗なデザインに対し

こちらはポッテリとしたスタイルで

愛嬌のある親しみやすい雰囲気です。

 

『ジェットファイター』

 

おもちゃではありません

1989(平成元)年に池袋消防署に配置された

遠隔操作式消火装置で

2004(平成16)年まで使われていました。

 

電話線等のケーブルトンネルや

地下街などの火災現場で

遠隔操作により消火活動を行っていました。

 

地下1階には

まだまだ展示物がありますが

さておいて5階に上がります。

 

5階屋外に展示されているのは

『アエロスパシアル・アルウェットIII型』。

 

フランス製のヘリコプターで

1972(昭和47)年に輸入され

『かもめ』と命名され16年間活躍しました。

 

機内に入り

操縦士の気分を味わうこともできます。

 

子供たちに大人気ですが

その隙間を縫っておじさんも楽しみました。

 

5階の屋内は

『消防の夜明け』と題され

江戸の火消を中心とする展示になっています。

 

『火消の纏』

 

江戸の町人のための本格的な消火組織は

1718(享保3)年に

南町奉行大岡忠相が作った『町火消』です。

 

『町火消』は

『いろは48組』と『本所深川16組』の

計64組で構成されていました。

 

火消の消火方法は

火災の広がりを防ぐために

まわりの家を取り壊してしまうとういう

乱暴なやり方でした。

 

各組はそれぞれの名を書いた纏を持ち

火事現場に近い家の屋根で振り回し

自分達の存在をアピールしていました。

 

『町火消』が組織される以前

1643(寛永20)年に

三代将軍家光が16の大名家を指名し

消防隊を作りました。

 

『大名火消』と呼ばれ

江戸城や武士の家を

火事から守るための組織で

実際には鳶職人などか作業に当たりました

 

大名は陣頭指揮に当たり

火事装束を着たそうですが

こんな姿のお偉いさんは

邪魔者でしかなかったでしょうね。

 

『車長持』

 

保険制度のなかった江戸時代には

火事の際には大切なものは

長持に入れて運び出し

自分で守るしかありませんでした。

 

このため

運び易いように

車付の長持が作られましたが

逃げ道をふさぎ

被害を大きくすることが多かったことから

1683(天和3)年以降

その使用が禁止されました。

 

3階は『消防の変遷』と題され

明治から昭和にかけての

消防の移り変わりが展示されています。

 

『馬牽き蒸気ポンプ』

 

1829年

イギリスのジョージ・ブライトンと

ジョン・エリクソンが

それまでの手押しポンプに比べ数倍の威力を持つ

蒸気機関を使ったポンプの製作に成功しました。

 

このポンプは10馬力

毎分900~1200リットルの水を

約30mの高さまで放水できるもので

消防機器の機械化第一号とされています。

 

この消防用蒸気ポンプが

イギリスで普及したのは1860年代ですが

東京府消防局は早くも1870(明治3)年に

イギリスから輸入しています。

 

展示されている蒸気ポンプは

1899(明治32)年に

市原ポンプ製作所が

国産第一号機として製作したものです

 

消防用蒸気ポンプは

輸入品も含め15台に達しましたが

石炭で火を起してから

放水に必要な蒸気圧力を得るまでに

約20分を要したことや

操作が複雑で使いこなせなかったため

次第に衰退してゆきます。

 

『市原式三連手動繰出式梯子』

 

梯子を全伸長すると15mほどになります。

 

『輅車(らくしゃ)』

 

火災現場では

輅車を引いてホースを延長しました。

 

ホースは1本60尺(約18m)

15本のホースが巻かれていました。

 

『二輪消防車』

 

東京消防庁は

交通渋滞が激しくなったことを背景に

1969(昭和44)年に

暫定的に二輪消防車の運用を開始し

2年後には3台を導入して

日本橋、牛込、小岩の3消防署に配置し

正式な運用を開始しました。

 

1976(昭和51)年まで活躍し

警察の白バイに対し

『赤バイ』の愛称で呼ばれることもありました。

 

『腕用ポンプ』

 

手押し式のポンプで

1911(明治44)年に製造された国産品です。

 

腕用ポンプの国産第一号は

ドイツから購入したものを解体、研究し

1844(明治17)年に製造されました。

 

『国産腕用ポンプ(乙号)』

 

1917(大正6)年頃から

小岩消防組第八部(現・小岩消防団第3団)が

使用していたもので

1分間の吸引水量が一石三斗(約234リットル)

水力は高さ十三間(約23m)あるそうですが

押す人は大変だったでしょうね。

 

『ガソリンポンプ』

 

1912(大正元)年

国産のガソリンポンプが開発され

蒸気ポンプより性能が高く

運転も簡便なことから

全国に急速に普及してゆきました。

 

展示品は1943(昭和18)年製のものです。

 

『消防博物館』には

6階と3階にも展示コーナーがありますが

長くなりますので(・・・十分長い?)

今日はここまでにしておきます。

 

消防博物館

東京都新宿区四谷3-10

03-3353-9119

9:30ー17:00

月曜日、年末年始は休館

月曜日が祝日の場合は開館し翌火曜日が休館

入場無料

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、中国上海市です。