スピンオフ編~東京都豊島区南長崎・漫画界巨匠たちの青春の日々を再現『トキワ荘マンガミュージアム』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は

東京都豊島区南長崎の

『トキワ荘マンガミュージアム』です。

 

最寄駅は

都営地下鉄大江戸線

『落合南長崎』。

 

駅から徒歩10分

『トキワ荘公園』と書かれた

アーチがあります。

 

この公園は

正式には『南長崎花咲公園』と言いますが

『トキワ荘マンガミュージアム』に因み

『トキワ荘公園』の愛称で親しまれています。

 

以下、本文中では

『トキワ荘マンガミュージアム』を

単にミュージアム

漫画家の先生たちについては

敬称略で進めさせて頂きます。

 

公園の西側の入口には

ミュージアムの看板と案内板があります。

 

直ぐにでもミュージアムに入りたいところですが

まず公園の中のあるものから見学します。

 

先ほどのアーチをくぐると

『トキワ荘のヒーローたち』の記念碑があり

住んでいた漫画家たちの

自筆の似顔絵、サインなどが書かれた

銅板が掲示され

その上には『トキワ荘』のミニチュアが

展示されています。

 

この記念碑は

ミュージアム開館の10年以上前

2009(平成21)年に

地元の方々の呼びかけで設置されました。

 

記念碑の脇の電柱には

『トキワ荘』があった

『椎名町五丁目2253』の

住所表示板が掲げられています。

 

記念碑の前には

懐かしの赤い丸ポストがあります。

 

この丸ポストは飾りかなと思いましたら

何と現役で1日2回収集されています。

 

公園の奥に見えるのがミュージアム

そろそろ入館しようかなと思いましたら

またまた不思議なものを見付けてしまいました。

 

1954(昭和29)年に登場した

日本初の鋼製電話ボックスです。

 

クリーム色のボディと赤い屋根から

『丹頂型』という愛称が付き

暗かった戦後色を一掃し街角を彩りました。

 

まだ貧しかった『トキワ荘』の住人たちは

部屋に固定電話を引く余裕がなかったため

雑誌編集者と連絡を取るため

公衆電話を利用していました。

 

この電話ボックスは

その雰囲気を伝えるために再現されたもので

電話機としての機能は果たしていません。

 

扉も固定され

中に入ることはできませんので

ガラス越しに電話機を撮影しました。

 

『10円玉一枚だけ』

1970(昭和45)年1月30日に

市内通話の料金が3分10円になりましたが

それまでは10円で無制限に通話可能でした。

 

10円玉一枚だけと言いながら

投入口のスリットは

10円用の他に5円と50円用があります。

 

不思議だなと思って調べましたところ

5円硬貨は10円硬貨より3年早い

1948(昭和23)年に発行され

この青電話が設置された頃には

10円硬貨の流通枚数が少なかったことから

5円硬貨の使用も可能にしたようです。

 

50円硬貨も使えましたが

おつりは出なかったようです

・・・損しますね。

 

遅くなりましたが

『トキワ荘』とミュージアムの

概要をお話しします。

 

『トキワ荘』は

1952(昭和27)年12月に

椎名町5丁目に建てられた

木造2階建てのアパートで

翌年には手塚治虫が2階に入居します。

 

押入れ付きの四畳半で

家賃は3000円だったそうです。

 

手塚治虫は1年間暮らした後

豊島区内の別のアパートに転居し

その後に藤子不二雄の二人が入居します。

 

余談ですが

『椎名町』という町名は

1966(昭和41)年まで存在していましたが

1948(昭和23)年に

町内で起きた『帝銀事件』(強盗殺人)の

イメージを払拭するため『南長崎』に改名され

現在では西武池袋線の『椎名町』駅に

その名と留めるだけになっています。

 

『トキワ荘』では

まだ駆け出しで貧しかった多くの漫画家が

青春時代を過ごしましたが

1982(昭和57)年12月に

老朽化のため惜しまれつつ解体されました。

 

豊島区は復活を望む多くの声を受け

2019(平成31)年1月

『トキワ荘』を再現したミュージアムの建設に着工し

2020(令和2年)3月に竣工しましたが

新型コロナウィルス感染症拡大の影響を受け

開館が3か月ほど遅延し

同年7月に一般公開が始まりました。


原則的には事前予約制ですが

来館者数に余裕がある場合には

予約無しでも入館できます。

 

余談になりますが

玄関の上の部屋だけにベランダがあり

この部屋には漫画家ではなく一般の方が

住んでいたそうです。

 

玄関で履物を脱ぎ

入館料を払った後に2階へ上ります。

 

階段は

オリジナルを忠実に再現していますが

手すりだけは当時は無かったそうです。

 

2階には

廊下を挟んで11の居室がありましたが

内9室が再現され

1室は常設展示室(ベランダのある部屋)

1室はエレベータホールになっています。

 

階段を上がり切った突当りには

男女共用のトイレがあります。

 

漫画家たちが暮していた時代には

まだ大便器は汲み取り式で

用を足すと土管を通って

1階の地中にあるツボに落ちる仕組みでした。

 

溜まった便の臭いがきつく

目が痛くなるほどだったそうです。

 

問題の土管もちゃんと再現されています

もちろん今は臭いませんが・・・。

 

トイレの隣にあるのは共同炊事場。

 

ガスコンロや鍋などの器具は各自が用意し

ガスを使うためには

月ごとに料金を支払う必要がありました。

 

しかし

まだ貧しかった漫画家たちの中には

ガス代を払えないため炊事場が使えず

パンばかり食べていた人もいたそうです。

 

共同炊事場の隣は22号室。

 

『トキワ荘』のリーダー格だった

寺田ヒロオが住んでいました。

 

22号室の向かいにあるのは14号室。

 

1953(昭和28)年から1年間

手塚治虫がこの部屋で暮らしていました。

 

手塚が転居した後に入れ替わりで

藤子不二雄の二人が入居し

1955(昭和30)年に

藤子・F・不二雄が

隣室の15号室に移るまでは

二人で共同生活をしていました。

 

藤子 不二雄Ⓐはこの部屋に残り

1961(昭和36)年まで

約7年間住んでいました。

 

こちらは15号室。

 

藤子・F・不二雄が

1961(昭和36)年まで住んでいました。

 

15号室の隣は16号室。

 

赤塚不二夫が

1956(昭和31)年から

1961(昭和36)年までの5年間

この部屋を借りていました。

 

当初はこの部屋で寝起きしていましたが

仕事が増え手狭になったため

1960(昭和35)年に

近所にある『紫雲荘』にも部屋を借り

そこも仕事場兼寝室にしていました。

 

16号室の前は20号室。

 

1958(昭和33)年から

1961(昭和36)年まで

よこたとくおが居住し

その模様が再現されています。

 

1959(昭和34)年から

雑誌『少女クラブ』で連載が始まり

ある程度経済的な余裕ができたのでしょうか

当時としてはかなり高価だった

ステレオプレイヤーを持っていたようです。

 

20号室の左隣は19号室。

 

日本の少女漫画の草分け的存在で

『女手塚』とも呼ばれた水野英子が

1958(昭和33)年に

半年ほど住んでいました。

 

水野英子がこの部屋に住んだのは

石ノ森章太郎、赤塚不二夫と『U・マイア』名義で

合作マンガを描くためでした。

 

まだ18歳だった水野英子は

故郷の山口県下関市から

柳行李のスーツケース一つで上京し

机や布団などの生活用品は

赤塚不二夫のお母さんや

雑誌の編集者が揃えてくれたそうです。

 

20号室の向かいには17号室。

 

石ノ森章太郎が

1956(昭和31)年から

1961(昭和36)年までの5年間

住んでいました。

 

押入れにある5段の引き出しには

マンガを描くための道具が収められていますが

当時のものかどうかは不明です。

 

17号室の右隣り

左列の一番奥にあるのは18号室。

 

石ノ森章太郎は

17号室の自室に加え

1960(昭和35)年から

1962(昭和37)年まで

この部屋を仕事部屋として借りていました

 

当時まだ石ノ森章太郎のアシスタントだった

山内ジョージがこの部屋に暮らしながら

原稿を仕上げる作業を行っていました。

 

入口の棚や室内には

映画のフィルム、雑誌、本などが

たくさん置かれていますが

ほとんどが石ノ森章太郎のもので

自室がいっぱいで置くことができず

この部屋にも置いていたそうです。

 

石ノ森章太郎は

1961(昭和36)年に

『トキワ荘』を転出した後も

この部屋を仕事場として残し

山内ジョージはこの部屋で

アシスタントの仕事を続けました。

 

『トキワ荘』に住む漫画家の殆どが

1961(昭和36)年に転居しますが

山内ジョージだけが翌年まで暮らし

漫画家としては『トキワ荘』最後の住人となりました。

 

この後

1階には展示室がありますが

今回は割愛させて頂きます。

 

最後になりますが

各部屋を照らした裸電球に

60年代頃までのTHE昭和を感じました。

 

トキワ荘マンガミュージアム

東京都豊島区南長崎3-9-22

南長崎花咲公園内

03-6912-7706

10:00-18:00

月曜日休館

入館料:特別企画展により異なる

事前予約はこちらから

 

次回は、本日15:00に街角アート編。埼玉県草加市の『アコちゃん』です