スピンオフ編~福岡県北九州市小倉北区・森鴎外が1年半暮した日本家屋『森鴎外旧居』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は

福岡県北九州市小倉北区の

『森鴎外旧居』です。

 

最寄駅は

北九州モノレール『平和通』。

 

駅から徒歩5分

結界が張られたような

2本の石柱が目印です。

 

木造瓦葺平屋建

詳細な建築年は不明ですが

1897(明治30)年頃に

軍都と化した小倉の町に

建てられたものと言われています。

 

東京大学医学部を卒業した森鴎外は

旧陸軍軍医となり

ドイツ留学、日清戦争出征、台湾勤務などを経て

1899(明治32)年6月

旧陸軍第十二師団軍医部長として小倉に赴任し

当地で3年ほど勤務しますが

この家で始めの1年半を過ごしました。

 

床面積186㎡の日本家屋は

6つの部屋と土間で構成されています。

 

一番奥にある8畳の書院造りの部屋は

鴎外が書斎として使用し

床の間の前に小さな手習机を置き

軍務のかたわら執筆活動を続けていました。

 

鴎外が居住していた時の床の間の掛軸は

軍人勅諭だったと言われていますが

現在は『天馬行空』と書かれたものになっています。

 

鴎外が

現在の豊前市出身の発明青年で

若くして逝去した矢頭良一を悼み

遺族に贈った自筆の書です

・・・こちらは複製です。

 

『源高湛(みなもとのたかやす)』は

鴎外のことで諱にもなっています。

 

『天馬行空』は

思考の柔軟性を表す言葉で

機械式計算機を発明した

矢頭良一の柔軟な発想を

讃え惜しんだものと思われます。

 

書斎の前には小さな庭があります

決して凝った作りではありませんが

執筆に疲れた鴎外を

癒していたのかもしれませんね。

 

8畳の部屋に続く4畳半

鴎外は単身で小倉に赴任したため

来客時以外には

この4畳半の部屋と書斎にした8畳間を

主に使っていたそうです。

 

裏側には簡素な縁側があり

隣の6畳半の部屋につながっています。

 

6畳半の部屋の障子の擦りガラス

富士山や田園風景の向こうには

裏庭の花壇が借景され

何とも言えない趣きがあります。

 

こちらが裏庭

作庭自体は凝ったものではありませんが

飛び石の配置に微妙に惹かれます。

 

裏庭の片隅にある井戸

なかなかいい石組みです。

 

土間は

表から裏に抜けることができる

『通り土間』になっていて

鴎外に関する年表や資料が展示されています。

 

通り土間の奥の部分はお勝手で

風呂桶も置かれていますが

隣の浴室にあったものを

展示用に移したようです。

 

土間に続く6畳間には

屋根裏物置に上がる釣り階段があります

・・・見学はできません。

 

華美さはありません

贅を凝らしたものでもありません

しかし、質素な造りに

鴎外の人柄を感じることができます。

 

森鴎外旧居

福岡県北九州市小倉北区鍛冶町1-7-2

093-531-1604

10:00-16:00

月曜日、第3木曜日、祝日の翌日は休館

 

次回は、本日15時に他人の迷惑を顧みず私の好きな曲をご紹介するMUSIC編。Extremeの『More Than Words』です。