スピンオフ編~滋賀県近江八幡市・ヴォーリズ夫妻が愛した建物『ハイド記念館&一柳記念館』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は

滋賀県近江八幡市の

『ハイド記念館&一柳記念館』です。

 

本題に入る前に

このお二人について少しお話しします。

 

右の男性はウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏

左の女性は奥様の一柳(ひとつやなぎ)満喜子さん。

 

1980年に米国カンザス州に生まれたヴォーリズ氏は

1905(明治38)年に24歳の若さで来日し

八幡町(現、近江八幡市)の高校に

英語教師として着任します。

 

以来1964年に83歳で亡くなるまで

建築家、社会事業家、キリスト教伝道師として

日本を愛し続けました。

 

ヴォーリズ合名会社(現、近江兄弟社)の

創立者の一人として

メンソレータムを広く日本に普及させた

実業家としても知られています。

 

一柳満喜子さんは

1984(明治17)年に

一柳末徳子爵の三女として東京で誕生します。

 

1909(明治42)年、単身渡米し

1917(大正6)年に帰国するまで

アメリカで教育を受けます。

 

1919(大正8)年にヴォーリズ氏と結婚し

初めて近江八幡にやって来ます。

 

1941(昭和16)年

ヴォーリズ氏は日本に帰化し

満喜子夫人の姓をとって

『一柳米来留』と名乗りました。

 

『米来留(メレル)』には

『米国より来りて留まる』という

ヴォーリズ氏の洒落心が込められています。

 

それでは本題に移ります。

 

最寄駅は

JR琵琶湖線、近江鉄道の『近江八幡』。

 

駅から徒歩20分

『ヴォーリズ学園』の校門に至ります。

 

『ハイド記念館』は学園内にありますが

この門から入ることはできません。

 

20mほど離れたこの門が

『ハイド記念館』への入口になります。

 

学園開校日の10時~16時までは

予約なしで見学することが出来ます。

 

コロニアル建築風の洋館は

米メンソレータム社創業者である

アルバート・アレキサンダー・ハイド氏の

夫人から送金された3万ドルの寄付金を基に

ヴォーリズ氏自身の設計により

1931(昭和6)年に竣工しました。

 

ヴォーリズ氏と満喜子さんの

日本における教育事業に賛同した

ハイド夫人はこの時結核を患い病床にありました。

 

『近江兄弟社幼稚園』の前身である

『清友園幼稚園』の園舎として建てられてこの建物は

『ハイド記念館』と命名され

隣接して建設された講堂兼体育館は

『教育会館』とされています。

 

そもそもハイド氏とヴォーリズ夫妻は

どのような関係だったのでしょうか?

 

1913年夏

ハイド氏をコロラド州の別荘に訪ねたヴォーリズ氏は

世界的に有名な家庭薬メンソレータムの

発明に関する苦心談を初めて聞きました。

 

ハイド氏は

メンソレータム販売で得た利益を

キリスト教宣伝や社会教育に寄付し

最終的には90%を寄付金としていました。

 

そしてヴォーリズ氏に対し

日本でのメンソレータムの製造販売権を与えます。

 

玄関を入ると

2階へと続く洋風の階段があります。

 

玄関ホールの脇には

かつて園児たちが使用した

靴入れや荷物棚が並び

中央にW.M.V.のイニシャルが入った

古いトランクが置かれています。

 

William Merrell Vories

ヴォーリズ氏が来日した時に

持参したトランクかもしれませんね。

 

『清友園』と扉に書かれた部屋

この部屋は実際に保育室として

使われていました。

 

暖炉の前には

先生が座った椅子や

子どもたちのかわいい椅子

その脇には遊具の木馬が残されています。

 

こちらは保育室での食事風景

年代は不明ですが

洋風な食事が出されていることや

子供たちの服装から判断すると

1960年代ではないかと思われます。

 

『ハイド記念館』(右)と棟続きの

左側の建物が『教育会館』です。

 

現在でも『ヴォーリズ学園』の生徒たちが

講堂兼体育館として使用しています。

 

『ハイド記念館』をあとにし

2~3分程歩くと

和洋折衷の2階建ての木造の家があります。

 

こちらが『一柳記念館』

通称『ヴォーリズ記念館』です。

 

ヴォーリズ氏によって

『清友園幼稚園』の教師寄宿舎として設計され

1931(昭和6)年の竣工時から

ヴォーリズ夫妻の自宅として使用されていました。

 

1階部分のみ公開されていて

見学には事前予約が必要です。

 

瀟洒な建物の中には

ヴォーリズ氏が来日時に持参したピアノなどの遺品

資料などが多数展示されていますが

館内の撮影は許可されていません。

 

ヴォーリズ氏は

フランク・ロイド・ライト氏や

ジョサイア・コンドル氏ほどは知られていませんが

建築家としての功績には数知れないものがあり

『えっ!此処も?』という建物があります。

 

その一つとしては

京都市の四条大橋西詰の中華料理店

『東華菜館』もヴォーリズ氏の設計によるものです。

 

ハイド記念館

滋賀県近江八幡市市井町177

0748-32-3444

10:00-16:00

土日祝日及びヴォーリズ学園休校日は休館

入館料無料

 

一柳記念館

滋賀県近江八幡市慈恩寺元町11

0748-21-2456

事前予約及び時間指定制

月曜祝日休み

入館料400円

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、東京都豊島区巣鴨です。