スピンオフ編~東京都板橋区板橋・安産と子育ての神様『子易神社』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は、東京都板橋区板橋の『子易神社』です。

 

最寄駅は

都営地下鉄三田線『板橋区役所前』。

 

駅から徒歩5分

安産・子育ての神として崇敬されてきた神社です。

 

創建年は不明ですが

1674(延宝2)年の検地帳に

境内地が記されていることから

それ以前から祀られていたことが分かります。

 

『富士浅間神社』の分霊を勧請して

創建されたと伝えられおり

『子安宮』、『子安神明』とも呼ばれていました。

 

明治時代に入ると

維新政府による神仏分離令により

別当寺の『福正寺』から切り離され

社名も『子易神社』に改称されました。

 

鳥居の向かって左側にある小さな祠は

1695(元禄8)年に造立された

『胸突地蔵堂』と呼ばれる境内仏殿です。

 

寛保年間(1741~1744年)に

王子村(現在の北区王子)の長者が夜に子易の森を通った時に

盗人が長者を襲い胸を突き、長者は倒れてしまいます。

 

しかし
長者が起き上がると何の傷も負っておらず

傍らに立つ胸に傷があるお地蔵様を見つけ
お地蔵様が身代わりになってくれたこと知ります。

 

以来人々はこのお地蔵様を『胸突地蔵尊』と呼び
信仰を深くしたとのことです。

 

地蔵尊は公開されていませんが
右胸に親指大の傷がついているとのことです。

 

鳥居をくぐり境内に入ると直ぐ右手に

『子安観音菩薩御堂』へ続く階段があります。

 

神仏分離令により切り離された『福正寺』は

ほどなく廃寺となってしまったため

本尊の観音菩薩像を『子易神社』が預かることになり

この御堂を建立し安置することになりました。

 

『子安観音菩薩御堂』の階段の先には

社殿へ続く緩やかな階段があります。

 

社殿に寄り添うような形で手水舎があります。

 

現在の社殿は1917(大正6)年に改築されたもので

何故か柵が設けられ中に立ち入ることはできません。

 

建築様式はごく普通で特筆すべきはありません

・・・神様に怒られそうな言いぶりですが。

 

神楽殿も社殿同じく

1917(大正6)年に改築されました。

 

不思議なのは

神楽殿の裏に連結して社務所と住宅があることです。

 

あまり見たことのない造りです

・・・私が知らないだけかも。

 

こちらは社殿の隣にある境内摂社の『稲荷神社』。

 

『稲荷神社』の隣にある小さな祠は

境内末社の『諏訪神社』です。

 

境内の石垣は

1931(昭和6)年~1932(昭和7)年に

積まれたものでワイルドな感じです。

 

社殿の前には狛犬がありませんが

二の鳥居へ続く階段脇に置かれています。

 

マスクをしていて分かりにくいのですが

右側には岩乗りの阿形

腹部が膨れたかなりユニークなデザインです。

 

左側も岩乗りで吽形

マスクを外した顔を見たかったのですが

このご時世では無理は言えません

・・・コロナ終息後に再訪してみます。

 

破損した水盤が何気なく置かれています

・・・こういう光景好きです。

 

全国的には無名で小さな神社ですが

何か惹かれるものを感じました。

 

子易神社

東京都板橋区板橋2-19-20

 

次回は、本日15時に他人の迷惑を顧みず私の好きな曲をご紹介するMUSIC編。今回は、The Wallflowersの『One Headlight』です。