スピンオフ編~東京都豊島区雑司ヶ谷・寺か神社か謎が残りました『鬼子母神堂』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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全国各地のビーフカツを紹介している超変人の超マニアックなブログです。最近は国内、韓国、中国などのB級グルメについても書いています。

ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は、東京都豊島区雑司ヶ谷の『鬼子母神堂』です。

 

最寄駅は

東京メトロ副都心線『雑司が谷』

または

都電荒川線『鬼子母神前』。

 

余談になりますが・・・最近多い(?)

地下鉄の駅名は『雑司谷』ですが

住所は『雑司谷』です。

 

もう一つおまけを・・・いらない(?)

都電の停留所名は『きしじんまえ』ですが

『鬼子母神堂』は『きしじんどう』です。

 

閑話休題

 

都電電停から徒歩1分

『鬼子母神堂』への参道入口が現れます。

 

参道はケヤキ並木になっていて

古いもので樹齢400年ですが

徐々に若いケヤキに植え替えられ

古い巨木は4本のみになっています。

 

参道の突き当りを左に曲がると

『鬼子母神堂』の境内が見えます。

 

雑司ヶ谷の『鬼子母神堂』は

1561(永禄4)年に

清土(現在の文京区目白台)で掘り出された鬼子母神像を

1578(天正6)年に

現在地に堂を建てて安置したのが始まりです。

 

境内に入り石畳を進むと

左右に石の仁王像があり本堂を護っています。

 

オフィシャルのウェブサイトによれば

『盛南山』という寺の観音堂にあった像が寄贈されたもので

丈と幅が同寸という珍しい形とのこと。

 

『盛南山』がどこにあるのか

または、どこにあったのか調べましたが

分かりませんでした。

 

また

丈と幅が同寸とのことですが

私の目にはそう見えませんでした。

 

本堂の手前右手には手水舎がありますが

コロナ禍のため手水はありません。

 

手水舎の先にあるのは『大黒堂』

扉が閉まっていますが開けて参拝することができます。

 

堂内には

雑司ヶ谷七福神の大黒天が祀られています。

 

大黒天は色々な寺社に祀られ

豊作の神様であることは知っていましたが

鬼子母神の旦那様だったとは初耳でした。

 

本堂の前にある豊島区の説明板によれば

現在の鬼子母神堂は

拝殿、相の間、本殿で構成される権現造りで

本殿は1664(寛文4)年に

拝殿と相の間は1700(元禄13)年に

それぞれ建立されたと書かれています。

 

確かに権現造りのようですが

権現造りは神社建築様式の一つ。

 

雑司ヶ谷の『鬼子母神堂』は

南池袋にある日蓮宗の寺院

『威光山法明寺』の飛地境内にあるので

神社ではないと思っていました。

 

江戸時代までは

寺が別当寺として神社を管理していましたが

明治政府による『神仏分離令』により

別当寺制度は廃止されたはずなのですが。

 

帰宅後に調べましたが

寺院なのか神社なのか分かりませんでした。

 

まあ、それはそれとして

参拝を続けましょう。

 

本殿に掛けられた『鬼子母神』の扁額の

『鬼』の字にはツノがありません。

 

『鬼子母神』は

仏教を護る『天部』の一尊です。

 

『天部』とは

仏教において天界に住む者の総称で

『帝釈天』、『大黒天』、『弁才天』

『韋駄天』などが存在しています。

 

『鬼子母神』は500人の子の母で

これらの子を育てるための栄養を付けるため

人間の子供を捕え食べていました。

 

これを見かねた釈迦は

彼女が最も愛していた末子を

托鉢用の鉢に隠しました。

 

半狂乱となった『鬼子母神』は

世界中を7日間駆け抜け探しましたが

見つけることができず釈迦に縋ります。

 

釈迦は

『多くの子を持ちながら一人を失っただけで

お前はそれだけ嘆き悲しんでいる。

ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか。

戒を受け、人々をおびやかすのをやめなさい

そうすれば末子に会えるだろう』と彼女を諭し

彼女が承諾し、三宝に帰依すると

隠していた子を戻しました。

 

かくして彼女は仏教の守護神となり

子供と安産の守り神になりました。

 

『鬼子母尊神』が祀られている本殿では

僧侶が読経中でしたので

やはり仏教の寺院なのですね。

 

堂内の見学は

コロナ禍のため平日のみで

予約が必要です。

 

本殿内の『鬼子母尊神』の撮影は禁止ですが

本殿の近くには

石造りの『鬼子母神』像が置かれています。

 

本殿の正面と側面左右の梁は

朱塗りの邪鬼に支えられています。

 

本殿の背面に接して

反対向きに祀られているのは

妙見菩薩を祀る『妙見堂』。

 

明神鳥居で結界が張られた

小さな祠です。

 

ここでまた神仏習合が現れ

頭の中が混乱します。

 

こちらは『法不動堂』。

 

金剛不動尊が祀られています。

 

境内入口近くには

『武芳稲荷堂』があります。

 

『鬼子母神堂』が建立される前からあった

この地の地主神で

もともとは一坪にも満たない木造の堂宇でしたが

1967(昭和42)年に

現在の堂宇が建立されました。

 

1971(昭和46)年には鳥居25基が

1974(昭和49)年には神狐2体が

それぞれ奉納され

商売繁盛、開運隆盛にご利益があるとして

崇められています。

 

『武芳稲荷堂』の隣には

『鬼子母神の大公孫樹』。

 

樹齢700年以上の大公孫樹で

幹周8m、樹高30m以上

いまだに成長力を持続しています。

 

寺院なのか神社なのかなどなど

よく分からないところもありますが

興味深いものが多くありました。

 

鬼子母神堂

東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20

 

次回は、本日15時に他人の迷惑を顧みず私の好きな曲をご紹介するMUSIC編。今回は、Dieselの『Goin' Back To China』です。