スピンオフ編~東京都墨田区両国・地元では吉良上野介は名君です『吉良邸跡』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、東京都墨田区両国の『吉良邸跡』です。

 

 

最寄駅は

JR総武線、都営地下鉄大江戸線の『両国』。

 

 

JR 駅から徒歩5分

なまこ壁に囲まれた

小さな一角が『吉良邸跡』です。

 

1702(元禄15)年に

赤穂の四十七士が討入りした

吉良上野介義央の江戸上屋敷があった場所で

現在は墨田区立『本所松坂町公園』として

一般に公開されています。

 

 

吉良家の江戸上屋敷は

元々は鍛冶橋(現在の東京駅八重口近く)にあり

吉良義央もそこで生まれました。

 

『忠臣蔵』で知られる江戸城内での刃傷事件のあと

赤穂浪士が吉良邸に討入るとの噂が立ち

周囲の大名屋敷から苦情が出て

1701(元禄14)年8月に

鍛冶橋の屋敷は幕府に召し上げられてしまいます。

 

長男の上杉綱憲の屋敷に一時身を寄せ

同年9月に本所松坂町の

松平登之助の屋敷を拝領し移り住みました。

 

その結果

江戸城近くの屋敷から比べると

討入りが格段に容易になったという

皮肉な結果となりました。

 

 

1934(昭和9)年に地元の有志らが

旧邸内北辺部の一部を購入し東京市に寄贈

翌年に市が公園として開園したのが始まりです。

 

その後1950(昭和25)年に墨田区に移管され

現在に至っています。

 

本所松坂町の吉良邸は

2550坪(約8400㎡)あったと言われ

『本所松坂町公園』は約98㎡しかありませんので

当時の86分の1に過ぎません。

 

 

入口の脇には

『赤穂義士遺跡 吉良邸跡』と彫られた

立派な石碑が建っています。

 

 

門を入ると正面に

吉良義央の座像が置かれています。

 

2010(平成22)年の建立で

愛知県西尾市の吉良の菩提寺『華蔵寺』にある

寄木造の座像の姿型そっくりに造られています。

 

『華蔵寺』の座像は

1690(元禄3)年

義央が50歳の時に自ら造らせたものです。

 

 

吉良上野介と言えば

『忠臣蔵』では悪役に仕立てられていますが

領地の三河吉良(現、愛知県西尾市吉良町)では

新田の開拓や塩業の発展に尽力するなど

善政の殿様として今でも敬われています。

 

 

赤穂四十七士は

1702(元禄15)年12月14日

・・・新暦では1703年1月30日・・・

主君浅野内匠頭長矩の無念を晴らそうと

吉良邸に向かいます。

 

『忠臣蔵』では『討入り』とされていますが

幕府は四十七士の行為を『仇討ち』とは認めず

『押し込み』の罪を犯したと位置づけ

全員に切腹を申し渡しています。

 

寝込みを襲われた吉良側は

ほとんどが寝巻姿で応戦したため

完全武装の赤穂浪士に敵う筈はなく

20名(一説には15名)が犠牲になりました。

 

こちらの碑には

犠牲となった20名の俗名が刻まれています

・・・さほど古いものではないようです。

 

 

義央は襲撃時に寝室を抜け

台所脇の炭小屋に身を隠したため

捜索に当たった赤穂側は

なかなか見つけることができませんでした。

 

しかしながら

赤穂浪士の一人茅野和助が夜具に手を入れ

まだ夜具が温かい事を確認すると

寝所から離れてそう時間が経っていないと判断し

再び捜索に当たり炭小屋の中で義央を発見します。

 

義央は脇差を抜いて抵抗しますが

武林隆重に切り捨てられ

首を討ち取られます。

 

浪士たちは邸内にあった井戸で

義央の首を洗い持ち帰り

『泉岳寺』の浅野長矩の墓前に捧げます。

 

その時に首を洗った井戸が

『みしるし洗いの井戸』として

公園内に残されています。

 

因みに『泉岳寺』は後日

預けられた義央の首を僧二人に持たせ

吉良邸に送り返しています。

 

『泉岳寺』には

『首一つ』と吉良側が書いた

その時の領収書が残されているそうです。

 

 

公園の一角には

『松坂稲荷大明神』が祀られています。

 

 

江戸時代はじめに

本所松坂町にあった江戸幕府の資材置き場

御竹蔵の水門内に鎮座した『兼春稲荷』で

赤穂浪士による討ち入り以後に

吉良邸跡へ地所清めのために遷座しました。

 

1935(昭和10)年に『上野稲荷』と合祀され

『本所松坂町公園』の開園と同時に

現在地に遷座されました。

 

 

公園の前には

『飯澄稲荷神社』が鎮座しています。

 

 

由緒は不明ですが

この一帯が吉良邸であったことを考えると

吉良の屋敷神だったのかもしれませんね。

 

 

公園の前を東に100m程行った

とあるマンションの側面に

高札のようなものが立っています。

 

 

近づいて見ると

吉良邸裏門跡と書かれています。

 

討入りの時には

大石主税以下24名が

裏門を叩き壊して

邸内に侵入したそうです。

 

 

『忠臣蔵』の登場人物については諸説ありますが

どちらの側から見るかによって

正反対の評価になりますので

この記事では極力避けました。

 

吉良邸跡(本所松坂町公園)

東京都墨田区両国3-13-9

通年開園・24時間入園自由

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、兵庫県神戸市中央区です。