スピンオフ編~東京都台東区浅草・都内有数の観光地で知られていない事実『エンコと六区の由来』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、東京都台東区浅草の『エンコと六区』の由来です。

 

東京の芸人やバンドマンは

地名などについて

独特の符丁を使うことがあります。

 

例えば

銀座→『ザギン』、六本木→『ギロッポン』

浅草→『エンコ』などなど。

 

ほとんどのケースが

音の並び順を変えただけですが

浅草だけは違うようです。

 

私は

出身の高校が

浅草と上野の中間にあったため

友達どおしで粋がって

『今日はエンコにするノガミ(上野)にする』

などと使っていました。

 

『ノガミ』が上野の逆さまなのは知っていましたが

『エンコ』が何なのかは知りませんでした。

 

その由来を知ったのは

成人してかなり経ってからのことで

浅草出身の長老に

『エンコ』は公園の音を並べ変えたものと

教えて頂きました。

 

でも何故に『公園』?

 

今日は長老に教えて頂いた逸話を

お話ししたいと思います。

 

 

1872(明治6)年

政府は太政官布告により

都市公園の整備を示達し

これを受けて東京府は

『浅草寺』、『寛永寺』、『増上寺』

『富岡八幡』、『飛鳥山』を公園として指定し

整備を始めました。

 

『浅草寺』境内は『浅草公園』と命名され

当初は『浅草寺』境内、『仲見世』、『奥山』だけでしたが

順次拡大整備され

園内には遊園地、寄席、映画館など

娯楽施設も設けられました。

 

1886(明治19)年に開園式が催され

住所表示も『浅草公園地』とされたことから

浅草の芸人たちは

『こうえん』の音の並びを変え『エンコ』と

呼ぶようになりました。

 

 

公園の敷地は

北は現在の言問通り

東は馬道通り

南は雷門通り

西は国際通りに囲まれた

縦800m、横400mの広大なもので

一区から七区まで7つの区画に分かれていましたが

七区は後に除外されました。

 

こちらは北東の角に当たる

言問通り(右)と馬道通り(左)の交差点。

 

 

こちらは南東の角

馬道通り(右)と雷門通り(左)の交差点。

 

 

こちらは南西の角

雷門通り(右)と国際通り(左)の交差点。

 

 

こちらは北西の角

雷門通り(右)と国際通り(左)の交差点。

 

 

1947(昭和22)年

公共団体所有の社寺地財産処分の政府通牒により

東京都は公園地の指定を解除しましたが

1965(昭和40)年に住居表示制度が導入されるまで

『浅草公園地』の町名は残っていました

・・・現在は浅草一丁目と二丁目になっています。

 

今回は一区から六区まで

現在の状況をレポートします。

 

まずは一区から。

 

馬道通りから少し西に入り

『仁天門』をくぐり抜けます。

 

 

一区は

『浅草寺』本堂の周辺で

『仁天門』を入ると右手に『浅草神社』の鳥居

その先に『浅草寺』の本堂があります。

 

 

不信心者ではありますが

訪れる寺社に対して敬意は表し

参拝は怠りません。

 

 

『宝蔵門』や『五重塔』も

一区に含まれていました。

 

 

二区は

『仲見世』周辺になります。

 

 

『仲見世』に続く『雷門』も二区になります

・・・本来ならこの門から入るべきですが

今回は区画順に歩くため『仁天門』から入りました。

 

 

三区に移るため『仲見世』を戻り

伝法院通りとの四辻に至ります。

 

 

四辻を左に折れ

右側にあるのが『伝法院』になり

ここが三区になります。

 

『伝法院』には

素晴らしい池泉回遊式の庭園がありますが

残念ながら非公開になっています。

 

 

『伝法院』境内で唯一参拝できるのは

水子地蔵尊のある『鎮護堂』です。

 

 

水子地蔵尊の背後に

池泉回遊庭園が広がっていますが

垣根で隠され見ることはできません。

 

 

伝法院通りには

飲食店や土産物屋が軒を連ね

内外の観光客に人気のスポットになっています。

 

しかし、2014(平成26)年

台東区が伝法院側の商店(画像左側)に対し

不法占拠を理由に立ち退きを迫っています。

 

私が知る限りでは

この仮設の商店群は

1970年代後半頃から存在しています。

 

どのような経緯があるのか知りませんので

軽率な発言はできませんが

30年以上放置していた区に問題があるようにも思えます。

 

 

閑話休題

 

次は四区に移ります。

 

伝法院通りを抜けると

変則的な五差路があります。

 

伝法院通りから来て

この五差路を右に曲がります

・・・画像では左方向。

 

 

曲がった所にある通りは

最近人気の『ホッピー通り』です。

 

まだ午前10時前ですので閑散としていますが

後2時間もすれば賑わいを見せ始めます。

 

資料が不足しているので明確ではありませんが

画像左側は三区、右側は六区だったようです。

 

 

『ホッピー通り』は通称で

正式には公園本通りと言い

唯一『公園』の名が残っている場所です。

 

 

現在『WINS』がある辺りが四区で

6区画の中では一番小さいエリアだったようです。

 

 

『WINS』の先にあるのが

日本最古の遊園地と言われる『花やしき』

・・・1853(嘉永6)年の開園です。

 

 

『花やしき』から『西参道』あたりが

奥山と呼ばれる場所で五区になります。

 

五区には『ひょうたん池』がありましたが

公園地指定解除後に埋め立てられ

現在はその面影はありません。

 

 

『花やしき』の西側にある『ひさご通り』には

1890(明治23)年に建てられた

12階建て煉瓦造りの『凌雲閣』ありましたが

1923(大正12)年に発生した

『関東大震災』で崩壊しました。

 

 

最後に六区に参ります。

 

先ほどご紹介した『WINS』の前の通りは『映画館通り』で

かつては日本でも有数の歓楽街でした。

 

現在では通りの左右を

『浅草六区』と呼んでいますが

『WINS』の向かい側

画像では左側が六区でした。

 

もうお気づきでしょうが

かつてこの辺りが『浅草公園地第六区』だったことから

現在でも六区と呼ばれてます。

 

 

昭和初期には

30軒近い劇場や映画館がありましたが

2012(平成24)年に最後の映画館5館が閉鎖され

現在は演芸場とストリップ劇場が

それぞれ1館存在するだけになりました

・・・四区には大衆演劇の『木馬館』があります。

 

その一つが

1947(昭和22)年に開館し

現存する最古のストリップ劇場とされる

『ロック座』です。

 

開館当初からカタカナ表記だったそうですが

由来が『六区』であったことは明白です。

 

 

そして

もう一つ『六区』の名を継承しているのが

国際通りに面して建つ

複合商業施設『浅草ROX』です。

 

 

まとまりのない記事になってしまいましたが

浅草散策の折に思い出して頂ければ幸いです。

 

次回は、本日15時に他人の迷惑を顧みず私の好きな曲をご紹介するMUSIC編。今回は、Tom Petty & The Heartbreakersの『Refugee』です。