スピンオフ編~東京都墨田区鐘ヶ淵・1000年以上の歴史を持つ古刹『多聞寺』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、東京都墨田区鐘ヶ淵の『多聞寺』です。

 

 

最寄り駅は

東武スカイツリーライン

『鐘ヶ淵』。

 

 

駅から徒歩8分

正式名称を

『隅田山吉祥院多聞寺』という

真言宗智山派の寺院です。

 

 

天徳年間(957~961年)に

現在の隅田川神社付近で創建され

『大鏡山明王院隅田寺』と称し

本尊は不動明王でした。

 

天正年間(1573~1593年)に現在地に移転し

現在の山号寺号に改称し

本尊も毘沙門天に変更され

文化年間(1804~1818年)には

隅田川七福神めぐりの一社に組み込まれました。

 

 

参道に入ると直ぐ右手に

3体の仏像を安置した上屋があります。

 

 

右側半分に安置されているのは

阿弥陀如来像と子安(子育て)地蔵。

 

阿弥陀如来像は1664(寛文4)年の造立で

墨田区の指定文化財になっています。

 

 

左側半分には

弘法大師坐像が安置されていますが

造立年は不明です。

 

 

上屋の先には

7基の庚申供養塔があります。

 

それぞれの造立年は読み取れませんが

最も古いものは1664(寛文4)年の造立とのことです。

 

 

山門は

1718(享保3)年に焼失し

現在のものはその後に再建されたものです。

 

多聞寺に残る

唯一の江戸末期の木造建築で

墨田区内最古の建造物と考えられています。

 

木造切妻造の四脚門で

現在では珍しい茅葺屋根になっています。

 

 

山門の再建年は不明ですが

『隅田山』と書かれた山門額の裏には

『明和九年奉納』と刻まれていることから

同年(1772年)の造営とする説もあります。

 

 

山門をくぐると右側に休憩場所があり

寺とは関係のないようなものが置かれています。

 

 

錆びたこの鉄塊は

1945(昭和20)年3月10日未明の

アメリカ軍による東京大空襲で被災した

浅草の国際劇場の鉄骨の一部です。

 

 

鉄骨の隣にあるのは

真っ黒に焼けただれた木片。

 

1991(平成3)年に

荒川区西日暮里でビルを新築する際に

地中より発見されたもので

1945(昭和20)年4月13日深夜から

翌14日未明にかけての空襲で焼かれた木です。

 

どのような経緯で

この焼けただれた木や前述の鉄骨が

多聞寺にあるのかは不明ですが

愚かな戦争の実相を伝える

歴史的な『証人』です。

 

 

休憩場所の向かい側には

ちょい悪な感じの狸がいます。

 

 

その奥には

リボンを付けた雌狸と

『狸』と書かれた石が置かれ

『狸塚』と呼ばれています。

 

 

江戸幕府が開かれる以前

この辺りは草木が生い茂る寂しいところで

牛松と呼ばれる松の大木がありました。

 

この松の根元に大きな穴があり

妖怪狸が棲みつき

人々をたぶらかしていました。

 

そこで

多聞寺の和尚と村人たちは

大きな松を切り倒し

穴をふさいでしまいました。

 

すると大地がとどろき

空から土が降ってきたりと

いたずらは激しくなるばかりです。


 和尚は本尊の毘沙門天に祈り続けましたが
 ある夜のこと和尚の前に大入道が現れ

『ここはわしのものじゃ。さっさと出ていけ』

そう脅かしました。


 和尚が一心に本尊を拝んでいると

毘沙門天に仕える童子が現れ

大入道を打ちのめしました。

 

 その翌朝

2匹の大狸が庭で死んでいました。


 和尚は哀れに思い

切り倒した松の木の根本に狸を葬り

塚を築いて霊をなぐさめたそうです。


 これが狸塚の由来で

多聞寺は別名『狸寺』とも呼ばれています。

 

 

狸塚の裏手には

日本映画の民主的発展に尽力した

映画関係者を追悼する

『映画人ノ墓碑』があります。

 

共同映画の創設者である

坂齋小一郎の没後

夫人の資金提供により

1992(平成4)年に建立されたものです。

 

 

本堂に向かって左手の庭には

真言宗の開祖である弘法大師の

入定1150年を記念して

1984(昭和59)年に建立された

『平和観音像』が立っています。

 

『入定』とは

弘法大師が永遠の瞑想に入っているという

真言宗に伝わる伝説的な信仰です。

 

弘法大師・空海は

835(承和2)年に入定し

高野山奥之院の弘法大師御廟で

現在でも入定していると信じられているそうです。

 

 

平和観音像の前には

1713(正徳3)年~1718(享保3)年の間に

造立された『六地蔵』が並んでいます。

 

総高約150cm

2段の方形台座の上に乗った蓮座に

約60cmの丸彫り地蔵坐像が6体並ぶ

『坐姿六態地蔵』と呼ばれる

都内でも珍しい形態になっています。

 

 

六地蔵は

仏教における

地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の

六道のどこにいても

救いの手をさしのべてくれるという地蔵尊です。

 

一番左の坐像の首には

何故か哺乳瓶が掛けられています

理由は聞き忘れました。

 

 

私の寺社ブログではいつものことですが

前説が長くなかなか本堂や本殿に辿りつきません。

 

今回もご多分に漏れずで

ようやく本堂が登場します。

 

現在の本堂は

1936(昭和11)年に落慶しました。

 

 

本堂の鬼瓦には

八角形に『水』の文字が。

 

明治維新後に

新政府が神仏分離が行うまで

多聞寺が

水神様として知られる隅田川神社の

別当寺であったことの証です。

 

 

本堂の屋根には

躍動感のある跳び狛犬が

対で置かれています。

 

 

 

1000年以上の歴史を持つ古刹で

関東大震災や戦災をも逃れた箇所もあり

区内では少ない

昔日の面影を残す寺院です。

 

多聞寺

東京都墨田区墨田5-31-13

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、東京都江東区木場です。