スピンオフ編~中国東北地方・かつて存在した半官半民の国策会社『南満州鉄道』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、中国東北地方の『南満州鉄道』です。

 

 

『南満州鉄道』は

20世紀初頭から

第二次世界大戦終結まで

中国の遼寧省、吉林省、黒龍江省に存在した

日本の半官半民の国策会社で

通称『満鉄』と呼ばれていました。

 

以下

本記事内では満鉄と記述します。

 

日本の傀儡政権である『満州国』

そして傍若無人の限りを尽くした『関東軍』とともに

満鉄が中国東北地方で犯した罪は

計り知れないものがありますが

ここではそれに敢えて触れず

満鉄の残した足跡をご紹介します。

 

 

満鉄は

日露戦争終結後の

1905(明治38)年に締結された

『ポーツマス条約』により

ロシア帝国から日本に譲渡された

『東清鉄道南満州支線』を経営する目的で

1906(明治39)年に設立された特殊会社でした。

 

本社を遼寧省大連市に置き

当初の営業キロ数は

同省の旅順から吉林省長春市までの

約760㎞の本線を含む

約1100㎞でした。

 

 

こちらは

満鉄時代の旅順駅

日本からの玄関口でもあった

旅順港の近くにあります。

 

 

こちらは

現在の旅順駅。

 

かなり改装されていますが

当時の面影は残されています。

 

ただし

ほとんどの列車は大連止まりで

旅順を発着する列車は

一日数本しかありません。

 

 

新京市(現在の吉林省長春市)に

本社機能が移転するまでの27年間

本社だった大連の建物は

もともとは日露戦争以前に

ロシアが商業学校として建設したものです。

 

 

建物群は

ほぼ原型のまま残っており

現在は中国鉄路総公司(国鉄)の

『瀋陽鉄路大連分局』として使用されています。

 

 

総裁室があった建物は

『大連満鉄旧址陳列館』として

一般に公開され

満鉄関係の写真や資料が展示されています。

 

 

完全予約制で

館内の写真撮影はNGですが

廊下の撮影のみ許可して頂きました。

 

 

大連市内には

満鉄関係の建物が多く残っていますが

まず最初に見るべきは

大連駅だと思います。

 

 

こちらが満鉄時代の大連駅

ほとんど現在と変わっていません。

 

1937年の竣工で

日本人が設計したものです。

 

ところでこの駅

何処かの駅に似ていませんか?

 

 

東京の北の玄関

上野駅をモデルにしたと言われています。

 

 

こちらは

市中心部の中山広場に建つ

『旧大連ヤマトホテル』。

 

ヤマトホテルは

満鉄が沿線の主要都市で展開した

高級ホテルブランドで

1907年に開業した

大連ヤマトホテルが旗艦店でした。

 

中国に返還された後は

3つ星ホテルの『大連賓館』として営業していましたが

2017年10月末から休業しています。

 

2005年に宿泊したことがありますが

インターネットはつながらない

シャワーのお湯が出ないなど

本当に3スターホテルなのかと思いました。

 

2019年末には営業を再開するとのことでしたが

2018年夏に訪問した際には工事は手つかずで

現在どんな状態かは不明です。

 

 

最盛期には

社員数が40万人とも言われた満鉄は

社員のための福利厚生施設も充実していました。

 

ただし

これらの施設を利用できるのは

日本人と中国人高級社員のみで

一般の中国人は利用できませんでした。

 

旧大連本社の斜め前に建つ

バロック建築の建物は

1914年に満鉄が建設した図書館です。

 

現在でも市民のための

図書館として機能しています。

 

 

旧満鉄大連病院

現在は大連大学付属中山医院。

 

 

旧満鉄中央実験所

現在は中国科学院大連化学物理研究所。

 

 

旧満鉄調査部

満鉄発足の翌年1907年に設置された部署で

当初は満鉄経営のための

中国東北地方の政治、経済などに関する

基本的な調査研究を行っていましたが

その後の日本の中国進出に呼応し

中国全土を対象とする本格的な研究も

行うようになってゆきました。

 

当時の日本が生み出した最高のシンクタンク

そう称賛する人もいますが

他国への侵略に加担した機関であることは

拭い去ることができない歴然とした事実です。

 

 

市内の要所要所に

満鉄社宅跡もあり

現在でも市民の住宅として使用されています。

 

こちらは

市北部の『甘井子』地区の旧社宅群。

 

この辺りはかつては日本人街で

このような建物が点在しています。

 

 

1932年

日本が捏造した傀儡政権である

満州国が成立し

吉林省長春市に首都を置き

『新京』特別市と改名しました。

 

これに伴い

満鉄本社も翌1933年に

本社機能を新京に移転し

満州国の交通部の管轄になりました。

 

 

本社を新京に移すと時を同じくして

新京-大連間に満鉄初の特急『あじあ』が登場します。

 

最高時速110㎞

700㎞の距離を8時間半で結び

当時最新の超高速列車として

世界的にも注目を浴びました。

 

 

満州国になってからは

満州国国有鉄道の全路線の運営が

満鉄に委託され

東北三省の鉄道は全て

実質的に満鉄の経営になりました。

 

営業キロ数を格段と伸ばした満鉄は

これに対応するため大幅な組織改革を行います。

 

従前の鉄路総局、鉄路建設局などを統合し

1936年に鉄道総局を新設し

本部を奉天市(現在の遼寧省瀋陽市)に置きました。

 

 

拡大する路線のなかで最も重要だったのは

新京とハルビン間の240㎞を結ぶ『京浜線』で

1935年には前述のあじあ号の乗り入れが

始まっています。

 

こちらは京浜線の終点『ハルビン』駅

1903年にロシア帝国が建設した駅舎で

1909年に駅頭で伊藤博文が暗殺されました。

 

 

ロシア帝国が建設した街だけに

満州国に編入されるまでは

ヨーロッパ人の姿が多かったようです。

 

 

2017年に完成した現在のハルビン駅

新築ですが旧駅舎のデザインを

踏襲した設計になっています。

 

 

大連、新京、奉天とともに

満鉄の重要な拠点となったハルビンには

関連する施設が多くありました。

 

こちらは

満鉄のハルビン支社だった建物。

 

もともとは

ロシアの東清鉄道の本社だった建物で

現在は中国鉄路総公司の

『哈爾賓(ハルビン)鉄路局』になっています。

 

 

ハルビン駅前に建つ

旧ハルビンヤマトホテル。

 

1903年にロシアが

『中東鉄路賓館』として営業を開始し

1937年からハルビンヤマトホテルとして

満鉄に経営が引き継がれました。

 

現在は

『龍門貴賓楼酒店』という

3つ星ホテルになっています。

 

 

アールヌーボー建築の館内は

大理石のエントランスホールなど

当時のままの良い状態で保存されたいます。

 

 

ハルビン駅近くにある

旧満鉄ハルビン病院

現在はハルビン医科大学付属病院になっています。

 

 

日本が中国東北地方で犯した悪行は

許しがたいことですが

残された建物を

負の遺産として捉えることなく

有効に活用している中国のしたたかさには

一種の敬意を払わざるを得ません。

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、東京都台東区下谷です。