スピンオフ編~中国吉林省長春市・いろいろ考えさせられます『偽満皇宮博物院』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、中国吉林省長春市の『偽満皇宮博物院』をテーマにします。なお、『満州国』は、『満州国』と『満洲国』の二通りの表記がありますが、本文では『満州国』としました。

 

 

長春市は

吉林省の省政府所在地

都市人口350万人の大都市です。

 

第二次世界大戦終戦までは

新京と呼ばれ

五族協和、王道楽土の理念の下に建国された

日本帝国の傀儡政権である

『満州国』の首都でした。

 

こちらの城のような建物は

満州国を実質的に支配していた

関東軍の司令部でしたが

現在は中国共産党吉林省委員会になっています。

 

 

今回ご紹介する

『偽満皇宮博物院』へは

軽軌4号線が便利です。

 

 

最寄駅は

『長春站北』駅から2つ目の

『偽皇宮』。

 

何故『偽』の文字がついているのか

そう思われるのではないでしょうか?

 

中国政府は

満州国が日本の傀儡であるとし

正式な国家として認めていません。

 

このため

満州国に関する説明をする際には

『偽満』または『偽満州国』と

『偽』を冠した形で表記します。

 

 

政治的なことはさて置き

偽満皇宮博物院に向かいましょう。

 

駅から外に出ると

長い中国風の塀が続きます

この中が偽満皇宮博物院になっています。

 

 

まずはチケットを買うのですが

物凄い人出

・・・今は新型肺炎の影響で閑散としている筈ですが。

 

 

 

入場券を買うだけで

相当の時間が掛かりそうですが

裏技があります。

 

こちらのサービスカウンターに

パスポートを提示すると

外国人は優先的にティケットを購入できます。

 

 

ティケットを買ったら

こちらの正門から入場します。

 

 

右の門柱には

『偽満皇宮博物院』の看板が。

 

 

左の門柱には

『長春溥儀研究会』の看板が

掲げられています。

 

 

門をくぐると

『偽満洲国皇宮』と書かれた石碑が。

 

日本帝国が

満州国皇帝に迎えたのは

清王朝のラストエンペラー溥儀。

 

その溥儀が

新宮殿完成までの仮宮殿として

執政した宮廷府でした。

 

 

こちらが新宮殿になる筈だった建物ですが

太平洋戦争の勃発により工事が中断され

溥儀が中に入ることはありませんでした。

 

戦後

中国政府が工事を継承し

現在では『地質宮』と呼ばれ

吉林大学朝陽校区になっています。

 

 

こちらは若き日の溥儀

1922年に『婉容』を皇后に迎えた頃の写真です。

 

1912年の清王朝崩壊とともに

皇帝を退位していましたが

中華民国政府による優待条件により

『大清皇帝』の尊号を保持し

北京の紫禁城で引き続き暮らしていました。

 

 

こちらは皇后となった婉容。

 

満州国皇后になった後

関東軍に

自由の無い閉塞的な暮らしを強いられ

皇后としての振る舞いも許されない状況にあったことから

阿片中毒に陥りました。

 

日本敗戦後

溥儀の逃亡により取り残された彼女は

中国共産党軍(八路軍)に逮捕され

各地を引き回された上

最終的には1946年に

吉林省延吉の監獄内で

阿片中毒と栄養失調により

孤独の内に死亡したと言われています。

 

 

偽満皇宮博物院に入り

まず正面に見えるのが

『緝熙楼』

溥儀や婉容が暮らした建物です。

 

 

建物の二階部分に

実際に二人が生活した部屋があります。

 

こちらは

溥儀の寝室。

 

関東軍の意向が反映され

皇帝としては質素な生活を

強いられていたことが窺えます。

 

 

溥儀の書斎

私のような庶民から見れば

とても豪勢な部屋ですが

一国の皇帝の部屋とすると・・・・・

 

 

溥儀専用の理髪室

お抱えの日本人理容師が

溥儀の調髪をしていたそうです。

 

 

婉容の寝室

溥儀の寝室よりさらに質素です。

 

 

婉容の客間

関東軍による

実質的な軟禁状態にあった彼女には

この部屋を訪れる客がいたのでしょうか?

 

 

こちらは『謹民楼』

溥儀が執政、来賓接待等の

公務を行った建物です。

 

 

『吉岡安直執務室』

関東軍参謀だった吉岡は

1階に執務室を構え

溥儀を意のままに操っていました。

 

 

『西便殿』

御学問所とも言い

執務、勉学

満州国官吏や外国使節との

非公式に謁見に利用した部屋です。

 

溥儀は

満州国皇帝に即位した直後は

清王朝の祖業の回復のため

この部屋で政務に熱心に取り組みましたが

日本による満州国の実質的な植民地化が進むにつれ

自分が操り人形に過ぎないことに気付き

政務への意欲を失い

この部屋に来ることもなくなりました。

 

 

『謹民殿』

玉座を有する公式謁見場所。

 

1934年3月1日

溥儀は彼の一生で

3回目となる皇帝即位式典を行い

満州国皇帝になりました。

 

 

『賜宴殿』

溥儀が

日本や満州国の高官に

宴を賜った部屋です。

 

 

『同徳殿』

謹民楼とは棟続きになっていて

溥儀と最後の皇妃『李玉琴』が

生活する場でした。

 

 

『ビリヤード室』

ビリヤード好きだった溥儀は

宮廷内の学生相手にゲームに興じましたが

学生たちはその都度わざと負け

彼の機嫌を取っていたそうです。

 

 

『映画ホール』

ときどき家族を伴い

映画を見ていたそうです。

 

上映されたのは

満州映画協会、通称『満影』が製作した

日本の国策映画だけ

・・・どのような気持ちで見ていたのでしょう。

 

 

映画ホールには

溥儀と李玉琴のための

立派な椅子も用意されています。

 

 

『叩拝間』

溥儀が執務し

日本と満州国の官吏の謁見

来賓との会見などを行う部屋でしたが

正式に使用されたことは

一度もなかったそうです。

 

 

溥儀という

プライドが高く優柔不断な人物

そして彼に人生を狂わされた女性たち

彼らを操った日本と関東軍の所業

知れば知るほど複雑な気持ちになりました。

 

どのような思想を持つかは別にして

日本人として今一度向き合う事柄を

教えてくれる施設です。

 

偽満皇宮博物院

中華人民共和国吉林省長春市寛城区光復北路5号

86-431-82866611

5~9月 8:30-17:20

10~4月 8:30-16:50

年中無休

入館料 一人80元

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、メキシコ・メキシコ市です。