ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回は放浪編、ビーフカツからもその他食べ物からも離れ、1970年代に海外を旅していた頃のことをテーマにします。今日は、イランの話です。
イランへはバグダッドから陸路で入りました。
イラン・イラク戦争が勃発する前でしたが両国の関係は既に冷え切っており、バグダッド・テヘラン間の直通バスも運休になっていました。
バグダッドからイラク側の国境まではバスが通っていましたが、国境の緩衝地帯にはバスもタクシーもありません。
炎天下を歩くこと1時間近くようやくイラン側の国境に到着。
そこからはイラン側のバスで一路テヘランへ。
イラン革命まではまだ数年ありパフラヴィー国王が健在。
親米国であったためかテヘランの町は欧米人で溢れていました。
一緒に写っているのはスコットランドから来たカップル。
スコットランド訛りの強い英語には閉口しました。
バザールです。
当時の中近東のバザールは何処でも活気があり、そして怪しげでした。
ゴレスターン宮殿。
近世イランの最高水準の建築物で、18世紀から20世初頭までカジャール朝の宮殿でした。
2003年にはユネスコの世界遺産に登録されています。
伝統的なペルシャ工芸に西洋的な要素が巧みに取り入れられています。
シャンデリアも純西洋式ではなく、ペルシャ的な要素が加えられています。
テヘランではバックパッカーが集まるアミールカビールホテルに泊まっていました。
8人のドミトリーで1泊50セント(150円)。
ちょっとしたことがあってひげを落としました。
詳細は内緒です。
テヘランに数日滞在した後、1月11日の記事でも書きました通りイギリス人ヒッピーのバスに便乗し、アフガニスタンとの国境に近い町マシュハッドに移動しました。
マシュハッドは、裏通りに入るとTHEアラビアという感じでした。
マシュハッドには1泊しただけでアフガニスタンへ。
ご興味あればこちらをご覧ください。
放浪編は今回で3回目になりますが、時を遡るようなっています。
次の放浪編ではシリアのお話をします。
多分3月に。
次回は、明日2月23日(金)に番外編。中国ハルビン市の『范記永』をテーマにします。