対談<3>育児、舅姑、家庭の悩みを越えて~成熟した魂の使命~2極の世界を超越し次なる挑戦へ

ブーケ2A.Yさん 三重県 30代 接客業
ブーケ2R.Mさん 京都府 40代 家業手伝い


A.YさんとR.Mさんは、2022年12月、同じころに愛を見出されました。初対面でしたが瞑想会でお互いの話を聞き、愛を見出したときのイメージがとても似ている、自分の話を聞いているようだと感じられたようで、今回は、対談をしながら人生やそれまでの瞑想の取り組みのこと、これからの在り方について、意見を交流するため、対談という形でインタビューを行いまとめました。(編集部 えみ)

ーこの瞑想を始めたきっかけを教えてください。

A.Y:私は小さなころ、自分の中にいる存在を神様と名づけ、その存在といつも話していました。家の近くの大木に自分の中の神様を反映させお祈りをしていました。両親や先生、友だちなど接するひとの感じていることがわかるので自我をださない子でした。けれどもそれが、辛いということもなく自然なことでした。

誰とでも分け隔てなく仲良く付き合い、特に親しい人がいるということもありませんでした。数年前に見つけた卒業文集の将来の夢の欄には、人を傷つけない人になりたい、傷つけてしまった時には素直に謝れる人になりたいと書いてあるのをみて、あー昔から何かになりたいとかはなく、どんな風になりたいしかなかったなぁと思いました。

R.M:私もA.Yさんと同じく木に話しかけたりしていました。私の場合は嫌なことがあった時、近所の山の中にある木に会いに行って、手を当ててじっとしてたら元気になるということがありました。当時、小学生のころは悩み事がいっぱいありました。

対人関係が苦手で友達がいることにはいるのですが、一線をひいているようなところがあって仲良くなりきれず、少し寂しい子どもでした。それで小学校2年生ぐらいのときにクラスの全員に無視されたことがあって、誰に話しかけても、誰も答えてくれなくて。終わりの会で泣きながら、先生やみんなにそのことを言うと、次の日から普通に喋ってくれるようになりました。

それまで私は言いたい事をなんでも素直に言っていたらみんなが引いちゃって、それから無視されるようになり、そこから言いたいことを言わんとこうと思って生きてきました。それから、私は木に話しかけるようになりました。

この瞑想を知ったとき、はじめて取り組んだ項目が「人から無視されたら」ということだったので当時のことがトラウマになって人から無視されることに敏感になり、大人になってからも無視をされるたびに深く傷ついていたのだと、今となっては振り返ります。

A.Y:私の場合は、理由もなく呼ばれているような気がして木に会いに行っていました。半紙でお供え物をつくったりして。そしていつも神様とお話して、穏やかに過ごしていました。自然の中で育ったので、自然界や神々に対する愛情は自然に持っていたと思います。

私は結婚してから、夫の不倫が発覚し、その時は死にたいと思うくらい悩みました。分かってから聞いたところ、結婚前から二股状態だったとのことでした。その後相手と別れるといいながら続いていることを知り、問いただしたところ、私と子どもより相手の方が好きと言われ心がずたずたになりました。

そこからは、とにかくこの事で心を痛めるより、自分を立て直そうとバシャール、エイブラハム、算命学にはまっていきました。そして、すべて起こることは自分のせいだということが腑に落ちました。算命学から自然を学び、その後、禅、東城百合子さん、常岡一郎さんの考えに触れました。

それから3年ほどして、この『愛から生きる悟りへのブログ』を見つけました。その時の感想としては、惹きつけられるという一言です。はっきりした理由はなく毎日なぜか惹きつけられて、全ての記事を読みました。愛から生きるということを実践している人がいるということを知り、直接聞くと何か分かるんじゃないかと思いメールで問い合わせをしました。

ちょうどそのころ、明仁天皇の最後の公務、伊勢神宮訪問をたまたまテレビで見て涙が止まらなくなりました。そして、なぜかこの人は愛の人だなぁと思い、私も愛の人になりたいと漠然と思うようになりました。そうやって思っていたところ、アメブロのおすすめにこのブログがあがったのを目にして、私も愛の人に近付くことが出来るかもしれないととても興味を持ったのです。

ブログを書いているえみさんからメールで瞑想を教えていただきました。そのときには、はじめに夫の不倫のことを瞑想してみました。それまでに真理を学んでいたので、悲しい気持ちはほとんど残っていなかったのですが、思い返すと少しだけ胸が痛みぎゅっとなる気持ちがあったので、瞑想を教えていただいて、それがなくなったのには驚きました。

この瞑想でも応用されている「宇宙の法則」(👉①この世は2極でできていること ②出したものが返ってくること)については、それまでに読んだ本の中にも書かれていてすぐに理解できて実践ができました。

けれども巷では「よいものを求めよう、よい感情を感じていよう」と教えてくれていることが多く、この瞑想法のように、よいものを手放すという考えはなかったので、それはとても斬新で「面白い!!」と思いました。それからえみさんや、せんせーとも実際にお会いし、瞑想グループの皆さんの交流会にも参加して、せんせーのところにお伺いして瞑想を学び始めました。

R.M:私もはじめは高校時代の友人のみどりちゃんが連絡をくれてインタビュー記事<12>を読ませてもらい、当時はヒプノセラピーのブログなどを読んでいたこともあって、身近な友人が瞑想や精神世界の勉強をしていると分かって私も瞑想をやってみたいと思いました。そしてえみちゃん(高校時代の友人)からテレパシーで瞑想に誘われて、少しずつ様子を見ながらこの2極の瞑想を始めていきました。

そのときに「人から無視されたら」ということをテーマに瞑想のやり方を教えてもらいましたが、人前で感情を感じたりすることも恥ずかしいのでおうちに帰って一人で瞑想しながら泣いていました。はじめのころはこれが大きなテーマになっていて、人からどう思われるかなどを中心に瞑想をすすめていました。

ー愛を見いだすまでの苦労を教えてください

A.Y:私は、子育てが本当に苦手でした。えみさんとお話していたときにふと、昔は7人も8人も子どもがいたものだから、と言われたとき「もう最悪!」と思いました。そんな過去生もあったのかもしれません。今生では、子どもはひとりですが、それでさえも本当に苦手でした。子どもに付き合って公園に行ったりすることも嫌で。

その後、子どもの癇癪がはげしくなったり発達の遅れを指摘されたりするようになりました。しかしこの瞑想法を教わっていましたので、淡々と瞑想したり自分にやってくる情報をただやってみるという感じで取り組むことができました。瞑想もしながらですが食事を見直して、お菓子やジュースの量はすごく減らしましたし、野菜や自然食品、添加物に気を付ける食事に変えていき、子どもの状態は落ち着いていきました。

このようにして私は、苦労したということもなく、何か起こったとしても「苦労」とは思わずに淡々と対応していくタイプでなんでも受け入れられるので、瞑想を一生懸命しないといけない状況にはなりませんでした。ただ、せんせーのところに通うと「瞑想しなければ」という思いばかりがあり、焦りになって苦しく感じられたので、距離を置くことで平穏に暮らせて、困りごともすぐに解消できてと、これが私にはあっていると思いました。

2極のよい感情のほうも残しておきたかった、きれいなものを見たら感動し、おいしいものを食べれば喜んで暮らしたかったのです。そこで、愛を見出すことには苦労はなかったのです。瞑想も歯磨きのようにさらっと流れるように、パッとできるので、これでいいかなという思いで過ごしていました。

R.M:私もA.Yさんが言われるように、子育てに悩んだ時期もありました。一人目の子が生まれたころに実の父が事故で亡くなって、母に頼るのを遠慮して精神的にきつい時期もあり、そんな中で義理の家族との関係には長い間、悩んでいました。私は京都の古い家(お店)に嫁ぎ、仕事でも生活でも義理の家族と一緒にしなければなりませんでした。

そしてこの瞑想に出会い、私は家族を通して自分の問題を見つめることが出来ました。私の瞑想の実践方法は、“感情を深掘りする”ことです。

(例)「人に嫌われたら」を瞑想する場合
⇒人に嫌われたら…どう感じるか、出てくる感情を素直に書き出す。
悲しい、つらい、苦しい、絶望する…などなどたくさん出てきます。
⇒そして一つずつの感情を確かめます。

悲しいなら、なぜ悲しいと感じるのか。
⇒それを言葉にしてノートに書き殴っていきます。すると、悲しい理由が見えてくるのです(見えないこともあります)。それは思い掛けない理由であったり、どこから出てきたのかわからないことだったりすることがあるのです。

それは、自身の奥深くにいる存在との真の対話であると感じます。私はそんなことを感じていたの?と驚くことがあるのです。これは私が瞑想を始めて随分経ってから見つけた方法でした。

自分のことを自分にきく。ある意味新鮮で、ある意味懐かしさを感じる体験でした。その方法を見つけてから、私は感情を感じ尽くすことにハマりだしました。日常にフッと湧いてくる感情にフォーカスして、「いまなんでそう感じたの?」と自身にきくことが楽しくなってきたのです。すると必ず自身は答えをくれます。

そしてひたすらその感情に寄り添う。寄り添うことが苦しいときもありますが、その時はその感情を抱きしめて「いいよ。大丈夫だよ。」といってみる。苦しい感覚はだんだん姿を変えていきます。苦しくたっていい。私はそれを愛す。

という広ーい気持ちで私は自分に寄り添っています。それが私のいまの瞑想方法です。いつかまた瞑想の仕方が変わるかもしれませんが、自分の感情を目を逸らさずに見つめる。私のハートはいまはそれを求めているように感じます。愛を見出してからは、愛に聞くという感覚で真理へ自身を導く答えを愛が返してくれます。

ーそうしてみなさんそれぞれに取組みやすい方法を確立していくのですね
では、愛を見出したときのことを教えてください。


A.Y:ある日ゴミをポイッとゴミ箱に捨てたとき「このこも愛だ〜」という感覚が全身に響き、そこから見るもの見るもの全てが愛だったんだと気付きました。その日から数日間は景色が違って見えました。すべてのものにただただ感謝でした。そこからはそれもふつう?になり、今はひともものも植物も‥いろんなものが同じ?と思う感覚になりました。

最近では野菜を育てているので、野菜には虫も出てきますが。虫の立場に立って、この葉を食べたいんだろうとか。野菜が病気になってしまったら、育てる側としてはがっかりしますが、その病原菌たちにとってはここで過ごせていいなとか。いろんな立場について考えるようになり、自分にとってよいわるい、などということにこだわることはないのだと分かるようになりました。

R.M:私は昨年の夏にお義父さんへの嫌悪感が頂点を超えました。瞑想しても無くならない嫌悪感があり、この想いの本当の正体は自分への嫌悪感でした。お義父さんは私だ。私は私を愛していない。私は私を赦せない。そのことに気づいて、私は私を愛すことにしました。

すると、あんなに憎かったお義父さんを愛すことができるようになりました。それからです。ある日、車の助手席に乗っていて、ふと歩道の隅に立っている大きな樹が目につきました。西陽をうけて、黄金色に輝く(ように見えた)その樹を見たときに、「愛だ」とわかりました。これらはただただ愛であると。道路横の蔦が絡まった生け垣も愛だ。あ、そっか、みんな愛だったんだと気づきました。

とても不思議だけど、全く違和感なく当たり前のことだったのだと納得しました。

なぜ愛を見い出せたのか、今思うと、瞑想をするということはもちろんなのですが、私の場合は、同じ思いを持つ方達との交流が大きかったです。京都の瞑想会のみなさんとのエネルギーの交流と、あと、自然を体感するということも必要でした。常に全てが自分である、起こることは全て必然であるということの意味がわかるようになりました。

ーその後の変化、目標、現在の状況について教えてください

A.Y:今私は、ただこの瞬間瞬間を丁寧に生きようと思っています。日々湧き出る気持ちを瞑想しすべてきれいにしていきたいです。現在、まだわたしにはなぜ気付く人と気付かない人がいるのかが分かりません。身近な例としては、私は数年前に夫の不倫をきっかけに、精神世界の学びがあり、成長することができましたが、同じように不倫問題からさらに泥沼にはまっていく人もいるわけです。

さらに言うとこの2極の世界はなぜこのようにして作られているのかと思えてならないのです。せんせーがこのブログの中でも書いてくださっていましたが、
 

 

 

神は自分自身を知るためには神ではないものを創り出そうとしました。しかしすべてが神なので神でないものは創れません。神が創り出すものもすべて神になるからです。神は自分を分割していくしかありませんでした。自分を小さく小さくしていけば神を見失ってしまうだろうと考えました。そうやって分割してできたのが、この宇宙と人間です。この宇宙は、2極の分離を体験するために創られました。2極とは、上と下、金持ちと貧乏、健康とその反対、好きと嫌いと言うように相対的な体験を言います。そのようにすることで人類は自分は神ではない、という認識をしながら2極を体験できるようになりました。


とあり、私にはどうしてこのような2極の世界になっているのかと思うと、悲しくて悲しくて、憤りを覚えます。私は今平和で幸せに暮らせますが、世の中にはそうでない人もたくさんいて、その人たちに何をしてあげることもできない無力な自分というのを感じ、それならなぜ神はこのようにして世の中をつくったのかと思えるのです。皆が真理に気付くことができ、自分以外の人やものや地球のことを考えて過ごすことができたら、どれだけ良い世界になるのだろうと考えます。しかし実際はそうではない。

R.M:気付く気付かないということは、ある程度魂が決めているのですよね。みなさんそれぞれにタイミングがあるので同じ時期とは限らないですね。私たちはみな気付く時期に来た魂なのでしょうけれど、エゴの抵抗や今までの癖があり変わりにくいのだと、せんせーもよくお話されます。

さっきのせんせーの記事から、

この2極の体験は、丁度みなさんが子供の頃にやっていたゲームに例えられます。親に初めて買ってもらったテレビゲームは夢中になってするでしょう。「お風呂に入りなさい。もう寝る時間ですよ。」と母親に言われても聞こうともしません。しかし何度も何度も同じゲームをやっていくと誰でもいつかは飽きてきます。それでもやり続けないといけないと、今度は楽しかったゲームも苦痛に変わってきます。つまり輪廻転生の輪から抜けられずにうんざりする人生を送り続けなくてはいけなくなります。2極を十分に体験した人は、成熟した魂なので次の段階へ進みます。それは2極を手放すということになります。この2極はそれそれの魂が体験したくて選んだ2極なので、それを超越するのも自分にしかできません。

 

このように続きますが、私はもうまさにこの通りだと感じていて、このゲームの世界に飽きちゃいました。もういっか、もう十分ですわ〜、という感じで、だったら愛から生きよう!と思うようになってきました。

京都の瞑想メンバーの皆さんが、10月ごろから次々に愛を見出されて行って、私のなかで焦りもあって、実際には、少し早めに「愛を見出しました」と言ってしまったような気もしていまして、今頃になってようやく、もうこの2極の世界に飽き飽きしてきたこともあって、愛を見出した実感もわくようになってきました。それもこの瞑想によって体験をしつくすことができたからだと思います。そうでなければ、中途半端になってしまってきっとこの地球界に未練を残したと思うからです。

 


R.M:ライトワーカーやスターシードという言葉を聞いたとき、私もその役割をもって生まれてきたのではないかと感じたり、せんせーからもそのように教えを受けることがあります。バーソロミューの本やアセンデッドマスターの言葉も以前は読み切れなかったのですが今では自然に入ってくるようになり、そのように生きたい、自分で愛を広げていきたいと思います。

一方で自分自身を卑下してしまう気持ちがあってなかなか勇気を持てないでいます。そこから、卑下することの対義語を調べてみると「尊大」という言葉が見つかり、意味としては「ひどく偉そうに人を見下した態度であること。」とあり、それを見て、あっ、これって私のしてきたことだなぁ・・・、とくよくよとらわれて、その結果、心にトラウマを抱えてしまいます。威張っている人を見ると嫌悪感を感じてしまいます。

実はそれが義理の父だったんです。そういう人を見ると、「そんなんしてたら大事な人を失ってしまうよ」と思ってイライラしてしまうのです。そこからまだ抜け出せない、身内ということで近い人なだけに苦しい気持ちが繰り返されてしまっている現状もあります。卑下も尊大も、マイナスのワードなので、それぞれの理想をもう一度見つめなおしてみることや、より具体的に状況設定して瞑想することで超越していこうと思います。

ところで話は変わりますが、A.Yさんは宇宙人の夢を見たり宇宙人のことが気になったりしますか?私は前からとても気になっていました。友人のえみちゃんは小学校の頃から知り合いだったのですが、天使(系の宇宙人)のように見えたり、そういう存在や宇宙へのあこがれというのは昔からありました。

えみちゃんから「R.Mちゃんには本来の魂の持っている個性がみえて導く役割があるのかもしれないね。今、瞑想をすすめて、まだ持っている課題もクリアにしていくことで、より純粋な感性をもって人々と接したり、よりフラットに人を見ていくことで、相手の本当の姿が見えるようになれば、それだけできっと世界がごろっと変わって見えるかな、キラキラした世界になるね✨」と話してくれてそんな風になれたらいいなと希望が見えました。

A.Y:私は宇宙人みたいとよく言われます。なぜかは分かりませんが。でもR.Mさんがスターシードやライトワーカーという言葉を言ってくださって、しっくり来た感じはしています。スターシードについて調べてみると共感できることが多くて驚きました。その中でも、スターシードの使命は地球のアセンション、地球の次元を上昇させるために地球に転生してきたということ。次元を上昇させるため、とか、地球のためと言われると、目的がはっきりしたように思います。誰かにアプローチしてその人が気づくかどうかはわからないけれど、私がそのようにしていくことが地球のためになるのですね。

なぜこのような2極の世界なのかと嘆くよりも、環境破壊、戦争、貧困など、辛いことからも目をそらさずそこに対する深い理解と私の稚拙さゆえに生じている怒りや悲しみを瞑想で見つめ、すべてを赦し愛せるようにとせんせーからもアドバイスをいただき、ようやく瞑想をしていくことの意味が理解できました。また、こうして悲しみや怒りを感じられるのも愛が大きいからだと言っていただいて、その愛にふさわしい意識レベルが必要となるので、意識レベルを上げるために瞑想をしていくのだと理解できました。

また、昔から神様と対話できることもいまもう一度見つめなおしてみて、今の私ならどんな会話をするか、またこれから人々と接していく中でも、相手の気持ちを考えたうえで、どんな言葉で成長を促せるかということや助けになれるのかということを意識していくことで、神が返してくれる言葉を受け取ってみなさんのお役に立っていきたいと思う気持ちもあります。近ごろでは「私に何ができるだろう」と自然に考えられるようになってきました。

R.M:私もせんせーからは、地球の向上のため、愛と光を広げていく役割をもって生まれてきているんだから「できる!」と励ましをよくいただきます。自分の問題を解決して、本来の役割に沿って生きられるようにと、今更ではありますが本腰を入れていきたいと思います。また、このブログインタビューでいろいろな人の体験を読ませていただくことで、刺激を多くいただき、たくさんのライトワーカーやスターシードの皆さんの営みを尊く感じるとともにここにご縁をいただいたことにあらためて感謝をしています。

以前、A.Yさんからの言葉で、愛を見出した後に「自然に感謝の気持ちが生まれてきました」とお話されていて、私はその時に自分には感謝が足りていないと感じましたが、今ようやく、全ての出来事やあらゆる存在にもありがとうございます、と感謝の気持ちをもてるようです。

私は近頃思うのですが、この地球の美しさに青々とした緑豊かな女神のような美しい地球の自然に惹かれて生まれてきたようにも感じてきました。けれども、この地球界にこだわらずより美しいものを求めて宇宙へ羽ばたいていきたいという希望がいまは胸にあります。

今日はA.Yさんと対談することができ、貴重な機会をいただきました。ありがとうございました。

A.Y:R.Mさん、私の方こそありがとうございました。お互いに考えたり意見を聞いたり、参考になるお話も多く励みをいただきました。ありがとうございました。

ー編集部より(とこ)

お二人ともこどもの頃から自然を慈しむ心をお持ちで、自然からの愛を一身に受けとって成長されてきたのですね。そんなお二人だから、愛を見出された状況が似ているのはうなずけます。ゴミや樹をただ「愛だ〜」・・・ってちょっぴりほのぼのとした愛を見出された瞬間。お二人の優しくて穏やかなお人柄から想像できます。
地球の次元を上昇させたり、自分や周りの波動をあげる役割のスターシード、ライトワーカー。これにとらわれる必要はありませんが、自分のお役目を思い出し自覚して、意識を高めていくきっかけになりますね。もう2極を十分に体験してきた地球。地球を争いや破壊のない、愛と光にあふれた新しい段階「愛の星」にするために、自らが純粋な愛にかえって、見返りを求めずただ全体のために生きる。とてもシンプルなことですが、まだ2極を楽しみたいという「エゴの抵抗」を見抜いて瞑想していくことで成長します。お二人の対談から、またさらに愛の光の輪が広がって地球が輝いていきますように✨
【参考】https://lani.co.jp/111274

 

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