雨の中の通院で驚いたこと | ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

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娘に迷惑をかけまいと、老老・認認介護で限界まで二人暮らしを頑張った両親。でも、遂に限界突破。仕方なく実家に戻ってきて始めた在宅介護。一人っ子のため否応なくやらざる負えない。
平成27年4月じーじは旅立ちました。令和2年1月末、ばーば特養入所しました。

本日、こちらは午後から雨が上がったのだが、午前中の激しく雨が降りしきる最中、

ばーばを連れて月一度の定例受診の為、かかりつけ内科へ。


病院の入口までは、車いす用のスロープと階段があるのだが、

まだばーばは、手すりにつかまりながら階段を一段づつ登ることができている。


といっても、私は片手で傘を差し、もう片方の手でばーばの身体を支えながら、

階段を登っているので、びしょびしょ。


ばーばにはカッパを着せ帽子をかぶせ、完全防備で行ったのに、

自分は完全無防備。


考えが甘かったね。



病院は雨だからか、空いていた。


病院内に入るや否や、ばーばはある一人の女性を見つけ

「○○さん」

と、声をかける。


振り返った女性は、嬉しそうな笑顔でばーばのところに歩み寄ってきた。


私も知っている近所の人だ。


私の小学校の頃の同級生のお母さんだった。


ばーばが私を産んだのは、高齢出産の35歳なので、

だいたい同級生のお母さんは、ばーばより5歳から10歳くらい若い。


その人は、まだご自分で通院もできているし、

旦那さんと二人で暮らしているそうだ。



何が驚いたかって、ばーばがその人の名前と顔を覚えていたことだ。


私が小学生の頃、PTA活動で一緒になり、とても親しくしていたのは知っていた。


私が実家に戻ってきてからも、その人とは近所のスーパーで会う時などに、

ばーばの近況は伝えていたが、ばーばとその人が実際に会う機会はなかった。


だから、かれこれ10年ぶりくらいの再会になるのではないか?


やっぱり、昔のことはしっかり覚えているもんだね。


うちの長男のお嫁さんのことは、その場は覚えていてもすぐに忘れてしまうのに。


新しい記憶は、全くばーばの記憶には入らない。


うちの長男が結婚したことも、何度も何度も写真を見せて記憶の刷り込みをしているのに、

忘れてしまう。


じーじが死んだことも、毎日毎日亡くなった日のカレンダーを見せては、

記憶の刷り込みをしている。


ばーばの記憶は、ある意味ものすごく正直。


自分の興味のあるものしか、記憶しない。


自分の兄弟たちの近況には関心がないのか、記憶しない。


あっ、でも、気に入っている九州の妹のことだけは、常に気にしている。


そして、ばーばが大好きなうちの二男のことは、しっかり記憶している。



残念なことだが、じーじが亡くなって二か月。


ばーばがじーじのことを話題にすることは、ほとんどない。


仏壇に向かって手を合わせることも、ほとんどない。


今、この瞬間を生きているばーばには、過ぎ去った事より、

自分が生きるための「ご飯」の方が、大切なようだ。


これも、ばーばの認知機能の衰えによるものだろうが、

私たち家族に迷惑をかけるものでもないし、ま、いいんじゃないかな、と思う。


こんな感じで、ばーばの認知機能も衰えていってますが、

介護に支障が出ることは無いので、様子見です。


あえて、積極的に認知症治療はする予定は無いです。


今のところ。







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