本日、こちらは午後から雨が上がったのだが、午前中の激しく雨が降りしきる最中、
ばーばを連れて月一度の定例受診の為、かかりつけ内科へ。
病院の入口までは、車いす用のスロープと階段があるのだが、
まだばーばは、手すりにつかまりながら階段を一段づつ登ることができている。
といっても、私は片手で傘を差し、もう片方の手でばーばの身体を支えながら、
階段を登っているので、びしょびしょ。
ばーばにはカッパを着せ帽子をかぶせ、完全防備で行ったのに、
自分は完全無防備。
考えが甘かったね。
病院は雨だからか、空いていた。
病院内に入るや否や、ばーばはある一人の女性を見つけ
「○○さん」
と、声をかける。
振り返った女性は、嬉しそうな笑顔でばーばのところに歩み寄ってきた。
私も知っている近所の人だ。
私の小学校の頃の同級生のお母さんだった。
ばーばが私を産んだのは、高齢出産の35歳なので、
だいたい同級生のお母さんは、ばーばより5歳から10歳くらい若い。
その人は、まだご自分で通院もできているし、
旦那さんと二人で暮らしているそうだ。
何が驚いたかって、ばーばがその人の名前と顔を覚えていたことだ。
私が小学生の頃、PTA活動で一緒になり、とても親しくしていたのは知っていた。
私が実家に戻ってきてからも、その人とは近所のスーパーで会う時などに、
ばーばの近況は伝えていたが、ばーばとその人が実際に会う機会はなかった。
だから、かれこれ10年ぶりくらいの再会になるのではないか?
やっぱり、昔のことはしっかり覚えているもんだね。
うちの長男のお嫁さんのことは、その場は覚えていてもすぐに忘れてしまうのに。
新しい記憶は、全くばーばの記憶には入らない。
うちの長男が結婚したことも、何度も何度も写真を見せて記憶の刷り込みをしているのに、
忘れてしまう。
じーじが死んだことも、毎日毎日亡くなった日のカレンダーを見せては、
記憶の刷り込みをしている。
ばーばの記憶は、ある意味ものすごく正直。
自分の興味のあるものしか、記憶しない。
自分の兄弟たちの近況には関心がないのか、記憶しない。
あっ、でも、気に入っている九州の妹のことだけは、常に気にしている。
そして、ばーばが大好きなうちの二男のことは、しっかり記憶している。
残念なことだが、じーじが亡くなって二か月。
ばーばがじーじのことを話題にすることは、ほとんどない。
仏壇に向かって手を合わせることも、ほとんどない。
今、この瞬間を生きているばーばには、過ぎ去った事より、
自分が生きるための「ご飯」の方が、大切なようだ。
これも、ばーばの認知機能の衰えによるものだろうが、
私たち家族に迷惑をかけるものでもないし、ま、いいんじゃないかな、と思う。
こんな感じで、ばーばの認知機能も衰えていってますが、
介護に支障が出ることは無いので、様子見です。
あえて、積極的に認知症治療はする予定は無いです。
今のところ。