土曜日はとても暖かかったので、久しぶりにじーじとお散歩。
この時はまだ、じーじの後ろの桜は一分咲きといったところ。
一緒に歩いてみて、じーじはやっぱり、ものすご~くゆっくりしか歩けない。
この間徘徊した時は、いったいなぜあんな遠くまで歩くことができたのか?
不思議でならない。
今日、いつものように晩ごはん、晩ごはんと焦って準備をしていた私。
これまたいつものように6時きっかりにダイニングに現れたじーじ。
まだ晩ごはんできてないいんだけど、とイラっとした私に
「きれいな夕日だなぁ。」
とじーじ。
日が長くなってきたので、西側のカーテンを閉めていなかったので、
夕日が良く見えていた。
いつも時間に追われ、家事をこなすことで精いっぱいな私。
夕日を見ることなんかなかった。
じーじは私に、こんな素敵な夕日の存在を気づかせてくれました。
認知症だから何もわからないのではない。
何気ない日常の中で、普段となんら変わらない夕日を、
きれいだと感じる心を、じーじは持っています。
もちろん、薬物療法が必須なくらい大変な認知症の方もいます。
でも、認知症だからといって、人間性を否定すべきではないはず。
こんなふうに、認知症のじーじと接することができるようになったのも、
私自身の気持ちが落ち着いているからだと思います。
そして何より、じーじの認知症の段階が進み、これまでの暴言・介護拒否・徘徊・こだわりが少なくなり
穏やかな状態になったから。
明日は仕事が休みなので、じじばば連れて花見に行ってこようと思っています。
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