Ladies and Gentleman♡
数ヶ月前の話なんですけどね、
突然、帰る家がなくなったんですよ(笑)
正しくは、「もう帰らないと自分で決めた」、なんですけどね。
家にいたら、冗談抜きで死ぬんじゃないかって思ったから、帰るのやめちゃった。
10数年ほど前にもあったんすよ。
自分の家なのに、そこにいると生命の危機を感じるっつーことが。
その時は自分が我慢するしかないと思って、毎日自分の存在を踏みにじられる とか ひねりつぶされる みたいな思いで、それでもそこにとどまり続けることしか出来なかったんだけど、
今回は、いやいやこりゃいかんでしょと判断した次の瞬間にはお財布持ってすぐに家を出ていた(笑)
冬だったからコートもちゃんと着てね。
自分の瞬発力に拍手喝采だよまったく。
ナイス判断♡
昔は「たすけて」って、誰にも言えなかったんだけど、今回はちゃんと人を頼ることができたんだー。
この10年で、ちょっとは成長したのかも。
いまは新しくおうちも見つけて、毎日帰れる場所があるんだけど(ありがたや)、
前の家を出てからしばらくの間は、帰る場所がなくなっちゃってたの。
毎日、「今日はどこに泊まろうかなっ」って考えて、都心部をうろうろ。
住所不定無職だよー!
でも、家がなくても、意外と普通に生きられるもんだなって思った。
はたからみたら、その時のわたしって、どん底の崖っぷちだったと思うんだけど、
渦中にいる間、もちろんすごく苦しくもあったんだけど、反面意外と余裕だなって思ってる自分もいて。
その気になればサバイバルできるじゃんわたしw みたいな。
その時はひとりになりたかったし自由に使えるお金をたまたま持ってたから、毎日行きたいホテルに泊まってたんだけど、
きっとお金がなかったらなかったで、どうにかしてサバイバルしてたんだろうなー。
つらかったでしょって言われるけど、べつに外から見るほどつらくない。
よくがんばったよねーって言われるけど、べつにたいしたがんばってない。
だっていつかはこうしたいと思っていたから。
わたしは本当は自由になりたいんだ!というフラストレーションの高まりが、自分でも戸惑うような形とタイミングで、臨界点に達したってだけのこと。
でもひとつ言えるのは、本当に感謝してもしきれないくらい、お金に救われたなあってこと。
お金を持ってなかったとしても、まあなんとか頭使って生きていたんだろうけど、
その時じゅうぶんなお金がなかったら、
きっともっともっと、追い詰められていたと思うんだよね。
なんだかんだで、自分はちゃんと守られてるんだなって思う。
そしていい歳してこんなアホなことしてるわたしを、誰も嫌いにならないでくれて、それどころか力を貸してくれて、本当にありがてえなって心底思ったよね。
あーわたしって、ひとりで生きてるわけじゃなかったんだなって。
それともうひとつ思ったのが、一見「いやいやそれハードすぎでしょ、わたしにはムリだわ」ってことでも、いざそこに突入してみるとなんだかんだ人ってがんばれるんだなってこと。
わたしの場合、深刻そうな文章が書けないので(単に好まないだけでもある)、そのときの自分と他者との切迫した様子を描写するのはやめとくけど、
まあとにかく大変だったよ(笑)
それでも、「あー意外とわたしって必死になれるんだな、とりあえず生きてるし」って感じで。
必死になることとか めちゃくちゃがんばることを、なんとなく怖がって行動しないでいたけど、
壁を壊すことって、べつに言うほどたいしたことじゃねーな。
こう思えたことで、人生って本当はめちゃくちゃイージーなのかもしれないなって、見方がガラッと変わったんだよね。
大変なことを大変だと思わずに、普通になりふりかまわず必死になれたら、人生って本当にちょろいと思うんだよね。
だから、最近のわたしの合言葉は
『人生イージーモード』
または
『人生ちょろいな』。
何度となくブログにも書いてはいるんだけど、何かを変えたいと思ったときに、わたしの顕在意識での仕事は「こうなると決めること」、そして「意思を強く持つこと」。
そうするとそれに必要な情報や出来事が集まってきて、タイムラグはあれど必ずなりたい自分になれるから(タイムラグがもどかしいんだけどね〜)。
うん、理論上はこれでいけるはず。
とりあえず数ヶ月試してみます。
最近まで気付かなかったけど、振り返るとわりとハードモードで過ごしてきたわたしの人生。
イージーモードに設定を変更してみて、これからどうなるか、楽しみです(ほくほく)。