るんるんキャラ弁
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月命日


本日

母の月命日3回目をむかえました。



お寺に母のとこへ行ってきました♪

何だか1人で泣いてしまったから
母が心配しちゃったかもしれないです( ̄▽ ̄;)


母が天国へ旅立ってから
凄く気が張っていたのか

なぜかどこか母が近くにいる感じがして
前より近くに感じるくらいでした。


納骨前でもあったから
福岡へ行けば
いつでも骨つぼを抱きしめることができたのもあったのかもしれません。


四十九日が終わってから
口に出すことができなかったけど...

落ち着きつつあったからか
寂しい感じがやたらしてたんです。


だけど、みんなが心配してくれてた時期に
なかなか元気に過ごせていたから

なんか言えなくて...


姉妹のラインでも
妹のどっちかが寂しがってると

励ます方だったし
プラスに取れることは取らないと

母が悲しむって思ってたから
寂しがるタイミングを逃しつつ過ごしてました( ̄▽ ̄;)💦



そんな時に
私が愛してやまないバンド🎶

THE イナズマ戦隊のツアー初日が長崎でありました。


母のことがあったから
先行エントリーも
いちおやっておこう!

行けないかもしれんけど
その時は誰か行く人がいるだろう!なんて思いつつ。。


でも母は行かせてくれました。


そして整理番号も神番がきて
母のおかげだと発券後
父の目を盗んで遺骨を抱きしめてお礼を言ったものです(笑)。


そんなライブの日。

私はやっとたくさん泣けました。
こんなに泣いたことないってくらい
イナ戦のライブで泣きました(;^_^A



でも、なんだかスッキリした...

って言葉がしっくりくるわけではないけど

言葉をあんまり知らない私だから
一番しっくりくる感じ...かな??


帰りに旦那氏に

実は四十九日が終わってから
寂しくなってたって話ができました。

同じようにライブ中
涙してた旦那のも同じ想いだったってことを話ながら

お互い音楽バカでよかったね!
なんて話ながら帰りました。


6月、父の誕生日なんで
父の日と誕生日を兼ねて
集まれる家族でお祝いしようと思ってます。



そんな父が先週の土曜日
長崎に突然来てると電話がありました。

父は行動が先の人なんで(笑)。


せっかくだから
福岡帰る前にごはん食べようって誘って
初めは私と二人で食べてました。


私の結婚式のDVDを渡してたのを
観たらしく

動く母を観るのが辛かったと言ってました。


この頃は10年後に死んでしまうなんて
思いもせんかった。。

って言ってました。




「死んだって未だに思えんとさね。
   一人になると考えてしまうしさ。
   仕事もきつかけど
   そっちの方が...もっときつかとやもんな~」


って目を潤ませる父を見るのが辛かったです(*´;ェ;`*)

おしぼりで涙をぬぐう姿を見て涙する娘。

くるくる寿司でこの親子は何をしてるんだ(笑)。


そして三女が姪ッ子連れて
隣のテーブルでわいわい食事をし

息子も出かける前に寄ってくれ
父と楽しく話してくれてました。


父にも笑顔が戻ったものの
母と過ごしていた場所で
母がいない時間を過ごすのは

たまらんだろうなって再確認です。



父は45年母と過ごしていた訳で...

私の想像を越える辛さと日々戦ってるんだろうなって思います。


父は調理師なので
食事の心配はしなくていいけど

やっぱ
男の人が残される姿を見てしまうと

1日だけでも
旦那氏より長生きしないといけないなって思ってしまいました。



私の前で
声をあげて泣いた姿を見せてしまったから

もしかしたら
弱い姿を見せやすいのかな?っても思ってます。


だから



とてつもなく父が愛しいのです。



あんなに怖くて強くて大きかった父が

たまらなくかわいいです(笑)。




そんなギャップに母もメロメロだったのかな?なんて思ったりヾ(≧∀≦*)ノ〃



初盆過ぎたら
父にも長崎に帰って来るよう言ってみようかと思ってます。


たまに
おセンチなったりして

妙に悲しく涙しちゃう時もあるけど

私はそれが悪いこととも思わないし
無理をしたくもないので

そんな時はしっかり泣くようにしようかと...
そんな時はしっかり悲しもうかと...


でも
その後に笑えることが一番大事なんじゃないかと...


そんな風に思ってます。



『やまない雨はない』

美しい虹はそのあとに架かるから(σ≧▽≦)σ




たくさんのありがとう




癌という病気は
本人、家族に辛い思いをたくさん与えるものなのかもしれません。


ガンに関わらず
家族を亡くすと何でもそうなんですが


悲しい、辛い想いだけでなく
必ず何かを残してくれます。



母からの贈り物は大きかったです。

家族の絆も深まりました。

父のことも愛しく想います。





私の友達が
おじさんをガンで今年始めに亡くした子がいました。



その子に話をした時
私以上に泣いてくれてました。


そして
自分の経験を踏まえて
私に言ってくれた言葉があります。



『ガンを治そうと思わないこと。
  ガンとうまくつきあっていこうとすること。』


おじさんのガンを治そうと自分は苦しんだし
体に良いもの、良いことを無理強いしてしまってたってこと。




『どんだけのことをやったとしても
 必ずこれは絶対に後悔する。
 タラレバがでる。
 だから、その後悔をなるべく小さくしてほしい。』

ということ。


この言葉は常に頭に入れておくようにしました。


おかげで何かをする時
できることをしてる時

これでも後悔はする!

なんて思ってできました。



同じ末期がん状態だったから
説得力もありました。


助けられた言葉は他にもたくさんあります。


『たくさん食べて
    たくさん寝て
    たくさん笑う』


これもあんまできんかったけど(笑)

できるだけ意識してやってました。
特に笑うってことを多少無理しても
やってました。




そんな言葉たち...ありがたいです。



葬儀が終わって
やることはたくさんあって


そんな中
父は

「おまえたちはよくやってくれた。
  俺が思ってた以上に大人になってくれてた。

  これからも家族、力を合わせてがんばっていこう!」


なんて言ってくれました。

びっくりしたけど
嬉しかったです。



父は銀行でお金をおろすことをしたことない人だったから

全てがわからない。


貯金も暗証番号も支払いも( ̄▽ ̄;)

全て母まかせだったから( ̄▽ ̄;)


母の口座が凍結したり
年金の手続きや
生命保険の手続き


やることが次から次へあるんですね(^o^;)




ほぼ次女がやってくれてたので感謝です。




全てが終わって
私は大学病院の室岡さんへ電話をしました。



母が室岡さんへ電話した翌日に亡くなったこと。

葬儀が終わったこと。

室岡さんたちには
こんな形の出会いだったけど

この出会いに心から感謝していることを。



室岡さんは
母と一度も会ったことないけど

どんなお母さんだったか想像できるって言ってくれました。


本当に本当に最後まで
神対応でありがたすぎました。



母のようにはなれないとは思いますが(^o^;)

母のような母親に、女性に
すこしでも近づけるよう

毎日を過ごしていけるようがんばります!!




手術も抗ガン剤さえもできなかったし
27日間の闘病生活だったので


何もしてあげれなかったけど
たいした情報もブログを通して伝えることもできませんでしたが



こんな母がいたってことが
残せてよかったです。




同じような時期に
お父様をを亡くされた方のブログをリプログさせていただきます。






伝えベタな私の文章を見ていただいた方がいたことに感謝します。




最後に...

父と母の娘でよかった。

妹たちが妹たちでよかった。

孫たちが孫たちでよかった。

義弟が義弟でよかった。

旦那が彼でよかった。



私は愛する家族が大好きです!

家族は私の誇りであり宝です❤











大きな母の愛


母の肉体とのお別れがやってきました。


みんなが思いの丈を伝えながら
父が孫たちに

「みんなでばあちゃんありがとー!って言おうで!」

なんて言うて孫たちは
父のせーの!に合わせて言ってました。



義弟が

「お母さん!(次女)に会わせてくれてありがとー!」


って言ってた言葉が私は一番感動しましたが。。



火葬後の自分が一番恐怖ではありました。


どんだけ崩れ落ちてしまうんだろうか。。。


なんて。。



案の定
待合い室みたいな所へ行くまで

息子に肩を抱かれたり
エレベーターで頭ポンポンされたり


どっちが親かっちゅうくらい
慰めてもらいつつ

「お母さんは長生きしてね」


なんぞ言ってくれたりしてました。





しかし。。。


なんでしょう。。。


時間が経つにつれ
なんだか。。。


悲しいというか。。


不安というか。。



そんな感情がわかないと言うか。。。



胸元がぽかぽか温かいのです。



気のせいかな??

ん???



ってずっと思っており
旦那氏と外に出て
二人の時にその話をしてみました。




私「なんか。。ずっと。。
   この辺があったかいとさね~」


旦「!!!俺もっ!!!」


私「えっ??まじで??
   なんか安心感に包まれてるような温かささね~」


旦「わかる!わかる!!!



    。。お母さんばいっ!!
    これお母さんじゃない??」



私「。。。。やっぱすげーな。
   叶わないな~」



と、空を見上げ
母の大きな大きな優しさを噛み締めてました。

なんだか
自然に笑顔になれた時間でした。


かたちを変えてまでも
家族のことを想ってくれてんだと。。


母らしいと。。


それから
全て終わって
斎場へ戻って当日小学校の卒業式に出席できなかった

三女の娘の卒業式を家族でやりました。



花が余っていたので
斎場の方がまとめとくと言われ

できればかわいい花で花束を作ってほしいと事情を話していたので


花を渡し
みんなで『卒業おめでとう!!』

って言って。。


母のそばで卒業式できて
母は嬉しかったかな♪


斎場の担当の方は

うちらだけで
いろいろやったことを

なかなか稀なケースで
よくがんばったって褒めてくれました。



わからないことだらけで
みんなで力を合わせてがんばったと思います。



全てが終わって。。


からもたくさんのことをしないといけなかったけど

その日の夜は
みんなで居酒屋に母の写真と共に

お疲れ様会で居酒屋に行きました。


その時かな。。

次女に胸元があったかいことを言うと自分もそうだと。。


姪ッ子たちまでも


「そうそう!!
   ばぁばがギューッてしてくれてる感じがすると!」


なんて言うてました。



きっと
みんなを抱きしめてくれてんだなって思った夜でした。


リプログは
キスマイ好きの三女の
葬儀当日のことを書いたブログです(*^.^*)




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