‟怒りに禁止”をかけると何がいいのか。 | 繋ぐ命、育む愛。魂意識革命®︎

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愛と育みと安らぎの居場所の専門家/家族、家系、遺伝的体質、遺伝的運勢、意識と現実化の最高峰メソッド魂意識革命®︎創始者/魂意識革命協会代表/人権力子育て®︎/Polaris Core®︎スキンケア創設者

悪徳宗教ほど

 

‟怒りを手放しなさい”

‟怒ってはいけない、どんな時も平常心”

‟嫌なことをされてもやり返してはいけない”

‟人に嫌なことをされたからって怨むのは、

その怨みが自分に還ってくるだけですよ、だから平常心”

 

 

 

 

とかいう気持悪い洗脳をします。

 

 

とくに

 

「怒り」から先に

「悪いこと」として封じます。

 

 

これをすると何がいいのか、

 

 

というと

 

 

「怒りを禁止している人は必ず爆発するからいい」し

 

「全自動、‟道徳警察”になってくれるからいい」

 

 

 

んです。

 

 

 

 

 

 

ここで出て来た

 

 

犯罪者になりそうな勧誘オバサンの子孫は、

 

 

私にかつて、

 

 

「もっと穏やかな口調で喋ったほうがいい」

 

「怒ってはいけない、

怒らないで話す練習をしたほうがいい」

 

 

という

 

 

説教をタレてきたことがありました。

 

 

 

しかしながら、

 

 

その時のからして

 

 

すでに

 

 

目が吊り上がっていて、

 

 

顔面が真っ赤に激昂していて、

 

 

怒りがうずまきすぎていてパンパンになっていて、

 

 

我慢、抑圧、

内側でふつふつと煮えたぎる私への怒り

 

 

自分は抑圧しているのに

こいつは何でも思った通りに全部喋る

相手が誰であろうと思った通りに喋る

 

 

 

という憎悪

 

 

煮えたぎっているのを感じていました。

 

 

で、

 

 

結局どうなったのかというと

 

 

 

また別の機会には

 

 

 

誰も何も話し掛けてもいないのに

 

 

勝手に2階から降りてきて

 

 

私に対して

 

 

「殺すぞ!死ね!!この悪魔の手先め!!」

 

 

と言いながら襲いかかってこようとしたので

 

 

恫喝、恐喝で、

 

 

警察に厳重注意をされていました。

 

 

 

前にも書いた通り

 

 

私は自分の権利と子供の人権を守るために

 

 

もう二度と勧誘しないことと、

縁を切ることと

4歳の時の謝罪

 

 

を求めて普通に会話していただけ。

 

 

にも拘わらず

 

 

そんな猛獣みたいに

プツン!!と来て

いきなり襲いかかるくらいになってしまっていたんですよね。

 

 

 

 

 

「もっと穏やかな口調で喋ったほうがいい」

 

「怒ってはいけない、

怒らないで話す練習をしたほうがいい」

 

 

 

という説教も、

 

 

見事全部ブーメラン。

 

 

ここに追加で追加するとしたら

 

 

 

赤の他人に対していきなり襲いかかるくらいなら

どこか施設にでも入って矯正するか、

 

 

精神科、心療内科にかかったほうがいい

 

 

 

ということくらいですがね。

 

 

 

プツンと来る人って

 

 

必ず普段から我慢と抑圧と禁止があるんです。

 

 

宗教はそれがわかっているから

 

 

だから「怒ってはいけない、平常心で」

 

 

ということをあえて教えとして説いて

 

 

人間をさらに扱いやすくします。

 

 

みなさん

 

 

見たことがあるでしょう?

 

 

道徳警察。

 

 

 

 

自分が日頃から

抑圧していることを

 

 

他人がやっていると

一気にここぞとばかりに暴徒化して糾弾するやつのこと。

 

 

 

これを一番しやすいのが

 

 

 

「怒り」を禁止することです。

 

 

そして

 

 

「怒り」が正当に使える人だと

 

 

都合が悪いんですね。

 

 

なぜなら「枠に収められないから」

 

 

 

怒りが使える人の場合

 

 

 

私みたいに

 

 

子供までターゲットにされた時には

 

 

正当に激怒できる。

 

 

 

そうすると

 

 

それまで植え付けられて

脅されていたことさえも

 

 

愛する人を守るためなら

あっさり飛び越えることができるんです。

 

 

 

そして、

 

 

私の人生をいつも守り続けてきてくれたのもまた

 

 

「怒り」だった。

 

 

何があっても理不尽なことは絶対に受け入れない。

 

 

そう決めて生きてきたから

 

 

だから性被害に実際に何度も遭いそうになっても

 

 

どんな時も全部無事。

 

 

ちゃんと相手から必用なものは回収して清算しきって

 

 

次に進んできたんです。

 

 

 

 

みんな

 

 

 

日本は戦争に負けたという印象が強いけど

 

 

世界的に見ても絶対に敵に回したくないほど強かったのを知っていますか?

 

 

知らないなら

 

 

歴史は改ざんされているいう前提で世の中を見てみたほうがいいです。

 

 

日本人にはとくに

 

 

「大和魂」というのがありましたよね。

 

 

あれって何だと思います?

 

 

 

 

愛する人を

何があっても絶対に守り切る力

 

 

そのためなら

 

 

命をも惜しまず、

 

 

自分が玉砕して

隣にいられなくても

 

 

 

大切にしていた

‟信念”を

残された人へ繋いでいく力

 

 

 

のことです。

 

 

 

あのパワーのことです。

 

 

 

それが純粋な怒り

 

 

怒りの本質こそが「愛」です。

 

 

 

 

 

さて、

 

 

 

じゃあ反対に

 

 

 

怒りを封じるとどうなるのか?

 

 

というと

 

 

平常心

 

 

と言っている人ほど突然激昂するし

 

 

暴言と暴力に走るんです。

 

 

 

そして、

 

 

 

本当は大切にしなければいけない

 

 

本当のことを言っている人ほど

 

 

自分が抑圧して見ないようにしてきた闇をあぶりだすし

 

 

それが追い詰められているように感じる被害者意識に繋がって

 

 

 

 

その結果

 

 

 

自分を苦しめているのは

こいつなんだ!

 

こいつを殺さなければ

 

 

 

 

ということになるんです。(こわ)

 

 

 

本当は、

 

 

自分の一番の愛(愛する人を守る純粋性の「怒り」)を殺したのは

 

自分なのにね。

 

 

 

 

 

だから

 

 

 

怒りを封じると

 

 

こうして

 

 

 

感情の誤作動

 

思考の誤作動

 

 

真の敵の改ざん

 

 

が簡単になるんですよ。

 

 

 

 

だから邪魔なのね。

 

 

 

何にも屈することなく

 

 

 

怒るべきところで激怒できる人が。

 

 

 

一番「自我」で「正気」でいるための力が怒りだから。

 

 

 

怒りなんて持たれていたら

 

 

私のように肉体だけ呪詛にかかっていても、

 

 

魂までは奪えないし扇動できない、

 

 

だから必ず報復(本当のことまで暴かれて露呈されてぐうの音も出ないくらい、言い訳ができないくらい完膚なきまでに偽物だとバレてしまうこと)されるのがコワイから

 

 

だから早いうちに、

 

 

 

なるべく赤ちゃんか幼児のうちに

 

 

早急に脳の第6チャクラを封じ、

 

 

その上で「怒りを手放しましょう」

「怒ってはいけないよ」

 

 

 

ということを言うんですよ。

 

 

だって普通に考えてみて?

 

 

 

私達って、もともとゴキゲンな存在だからね。

 

 

いちいち自分から人を害さないし。

 

 

害された時は正当な怒りを持って必用な対応を受け取るけれど、

 

 

害されない限り怒りなんてないよね。最初から。

 

じゃあ

なんでそんな人間に対して

 

気持悪い「平常心」を説くのでしょうか。

 

それが素晴らしいと説くのでしょうか。

 

 

それは

 

 

都合が悪いからですよ。

 

正気でいられたら困る。

 

疑問に思われたら困る。

 

枠に収められないと困る。

 

扱いにくい、洗脳できない。

 

呪詛にかかりにくい。

 

扇動できない。

 

傀儡にならない。

 

弱体化できない。

 

子孫も懐柔して

 

その代から以降は

全部乗っ取れる予定だったのに

 

懐柔できない。

 

 

どうにか理由をつけて奪わなれば!!

 

これが神さまの求めていることだって言って洗脳しなければ!

 

怒りはいけないこと

怒りがあるから戦争が起こると教えなければ!!

 

 

という具合でしょうか。

 

 

 

違いますからね。

 

 

害するヤツがいるからそれに立ち向かって‟愛する人を”、‟育みの日常を”、‟団欒を”‟家族の笑顔を”‟一番の奇跡を”守ろうとする人がいただけ。

 

 

 

 

 

「真の怒り」を持てるのは

 

 

大切な人、守りたい人がいる人だけです。

 

 

 

 

 

我慢と抑圧とうっぷんを

 

 

誰かの傘下と傀儡に成り下がって

 

 

自分の人生を生きていないから

 

 

溜めに溜めまくったものを爆発させて

 

 

 

誰かが偽物の「大儀」を投入したら、

 

 

全員で「そうだそうだ!!!」といって、

 

 

「架空の絶対悪」を決め込んで

 

 

そして「この絶対悪ならどんな目に遭わせてもいい」

 

 

 

と扇動するのだから

 

 

 

 

ヒトラーと同じなんですよ。

 

 

 

 

日頃から怒りを抑圧させていれば

 

 

イザという時に

 

 

どこまでも残虐性を発揮させることができる。

 

 

 

これが

 

 

歴史上でも繰り返してきた真実です。