第34話|愛された名前

 謎の剣士は、ゆっくりと剣を下ろした。

 戦意が消えたわけではない。
 ただ、もう――斬る必要がなかった。

 

 月明かりの下、スカーレットを見下ろし、薄く笑う。

「……誤解するなよ」
 

 声は穏やかだった。
 だからこそ、余計に冷えた。

 

「最初から、父上を殺すつもりなんてなかった」

 スカーレットの指が、わずかに震える。
 

「一目見れば、それで十分だった」
「それは……嘘じゃない」

 

 剣士は視線を逸らし、どこか遠い場所を見る。

「顔を見たかった」
「声を聞きたかった」

「……それだけだった」

 短い沈黙。
 

「でもな」

 剣士の瞳が、再びスカーレットを捉える。
 

「父上は、私を見て――戸惑った」
「それだけで、胸がいっぱいになった」

 

 唇が、歪む。

「それなのに」

 声が、低くなる。
 

「父上は、お前の名前を呼んだ」

 スカーレットの心臓が、強く打つ。
 

「『どうしたんだい? スカーレット』」

 その一言を、剣士は何度も噛みしめるように繰り返した。
 

「優しくて」
「心配そうで」
「……ああ、本当に」

 

 肩が、小さく震えた。

「笑っていたよ」
 

 剣士は、嗤った。

「それを見た瞬間、全部が壊れた」
 

 感情が、堰を切ったように溢れ出す。

「どうしてだ?」
「どうして、あの時――お前じゃなくて、私だった?」
「どうして、私だけが“いらない”と判断された?」

 

 剣士は、胸元を押さえる。

「お前は、何も知らずに」
「何も奪われずに」
「ただ、愛されていた」

 

 その瞳に、狂気が宿る。

「……耐えられると思うか?」
 

 答えを待たず、剣士は続けた。

「父上の剣を奪った」
「突き飛ばして」
「斬って、斬って、斬り続けた」

 

 笑みが、広がる。

「楽しかったわけじゃない」
「復讐でもない」

 

 だが――

「それでも、笑った」
 

 スカーレットは、言葉を失っていた。

「父上を殺した瞬間」
「私は、確かに“見られていた”」

 

 剣士は、静かに言う。

「……最高だったよ」
 

 夜風が吹き抜ける。

「父上を亡き者にして、死者の国に戻った時」
「もう、目的らしい目的はなくなった」

 

 剣士は肩をすくめた。

「私は、さまよう骸みたいに生きていた」
「死ぬこともできずにな」

 

 そして、ゆっくりとスカーレットを見据える。

「ただ一つ、想像していなかったことがある」
 

 口角が、吊り上がる。

「――お前が、死者の国に来ることだ」
 

 狂気的な笑み。

「なあ、スカーレット」
 

 まるで、待ち望んでいたかのように。

「今度は、お前の番だ」
 

 姉と妹。
 奪われた者と、奪われなかった者。

 逃げ場は、もうなかった。

 

 

 

 

 

『第34話|愛された名前』 終了
 第35話へ続く

 

第33話|血の記憶は、私のもの

謎の剣士は、剣を下ろしたまま、スカーレットを見つめていた。

 責めるでもなく、嘲るでもない。
 ただ、どこか懐かしいものを見るような目。

 

「……お前は、覚えているだろう」

 低く、静かな声。
 

「父上が殺された、あの日を」

 スカーレットの喉が、ひくりと鳴った。
 

 忘れたことなど、一度もない。
 血の匂いも、崩れ落ちる身体も、床に広がる赤も――
 夢に見ない夜の方が、少なかった。

 

「……覚えて、いるわ」

 そう答えるのが、精一杯だった。
 

 剣士は、わずかに微笑んだ。

「そうか」

 その瞬間、世界が、静かに反転する。
 


 気づいたとき、私は――息をしていた

 それが、何よりも異様だった。
 

 手が動く。
 足が、床を踏む。
 胸が上下し、空気が肺に入る。

 

 生きている。

 視界に映るのは、見覚えのない部屋。
 だが、なぜか知っている。

 ここは城。
 ここは、あの人のいる場所。

 

 ――父。

 足が、勝手に動いた。

 扉を開けると、男が振り向いた。

 王の服。
 柔らかな表情。

「どうしたんだい? スカーレット」
 

 その声を聞いた瞬間、胸の奥が、きつく締めつけられた。

 優しい声だった。

 困惑しながらも、心配している声。

 私に向けられたことのない声。
 

 それだけで――
 十分だった。

 

(ああ……)

 これが、父の顔。
 これが、父の声。

 

 私は、ようやく“見た”。

 満足が、胸に広がる。
 それと同時に、意識が遠のいていく。

 

(もう、いい……)

 だが。

「……スカーレット?」
 

 その名を呼ばれた瞬間、何かが、弾けた。

「――違う!!」
 

 叫びは、私自身のものだった。

 次の瞬間、身体が動く。

 父の剣に手を伸ばし、奪い取る。

 父は、目を見開いた。
 

「な、何を……」

 言葉は、最後まで続かなかった。
 

 突き飛ばす。
 床に倒れる。
 無防備な身体。

 

 剣を振り下ろす。

 一度。
 二度。
 三度。

 

 血が飛び散る。
 悲鳴が、悲鳴にならない音になる。

 

 私は、笑っていた。

 可笑しくて、仕方がなかった。
 

 こんなにも――
 簡単に壊れるのかと。

 

「はは……はははははは!」

 笑い声が、部屋に響く。
 赤に染まった床。

 動かなくなった身体。

 これで、終わりだ。

 そう思った瞬間、世界が、再び揺らいだ。
 


 
スカーレットは、息ができずにいた。

 頭の中に流れ込んできた光景。

 剣の重さ。
 血の温度。
 父の声。

 

 私は殺していない――自分の身体で、父を殺した。

 膝が、崩れる。
 

「……う、そ……」

 震える声で呟くと、剣士は静かに頷いた。
 

「嘘ではない」

 淡々と。
 

「私が見て、感じて、笑った記憶だ」

 一歩、近づく。
 

「そして――お前の中にも、残っている」

 スカーレットは、顔を上げられなかった。
 

 否定できない。
 あの夜の感覚が、確かに胸の奥にある。

 

 剣士は、優しく言った。

「安心しろ」
 

 その言葉が、何よりも残酷だった。

「父を殺したのは、私だ」
 

 微笑みながら、続ける。

「お前は、ただ――私に身体を貸しただけ」
 

 スカーレットの視界が、滲む。

 世界が、音を失う。
 

「……じゃあ……あなたは……」

 問いは、最後まで形にならなかった。

 

 

 

 

 

『第33話|血の記憶は、私のもの』 終了
 第34話へ続く

 

果てしなきスカーレット ifストーリーまとめ

――「父殺しの疑惑」を背負った王女が辿る、もう一つの可能性


はじめに:このifストーリーを書く理由

映画『果てしなきスカーレット』は、
シェイクスピアの『ハムレット』を下敷きにしつつ、
死者の国というファンタジー世界を舞台にした意欲作でした。
 

しかし視聴後、強く残った感情は
感動よりも虚無感だった、という人も少なくないのではないでしょうか。
 

  • 重いテーマを扱っているはずなのに、物語やキャラクターがどこか軽い

  • 「罪」や「選択」が物語の核心に届く前に処理されてしまう

  • 登場人物の行動が、世界観の都合で動いているように見える

こうした違和感については、
すでに第1部の記事で詳しく整理しました。
 

そして、その問題提起の延長として生まれたのが、
この if(もしも)の物語 です。
 

このまとめ記事は、
「原作を否定するための二次創作」ではありません。
 

原作が描こうとしたはずの問いを、
もう一度、別の形で最後まで描き切るための再構築した妄想ifストーリー

そのための入り口として、
ここにまとめています。

 

 

 

 

 


このifストーリーが描こうとしているもの

このifストーリーの中心にある問いは、非常にシンプルです。

「罪」とは誰のものなのか?
 

原作では、
父を殺したのはクローディアスです。

父を殺され、王位だけでなく命を奪われた王女スカーレット
そして主人公は何を選ぶべきなのか――

それらが物語の途中で曖昧になっていきます。

本ifストーリーでは、
その曖昧さを“構造そのもの”に組み込みました。
 

  • 主人公スカーレット自身が「父殺しの疑惑」を背負う

  • 彼女自身も、真実を確信できない

  • 正義も、悪も、簡単には定義できない

そして何より重要なのは、

スカーレットが「不殺」を選び続ける理由

を、
物語の最後まで問い続けることです。

これは「優しさの物語」ではありません。

不殺の精神により犠牲になった者、選ばなかった罪
生き残ってしまった者の責任を描く物語です。

 

 


正史(原作映画)からの主な変更点

このifストーリーは、
原作と同じ世界観を使いながら、
いくつかの重要な分岐点を設定しています。

1.クローディアスは王を殺していない

原作で悪役として描かれたクローディアスは、
本ifストーリーでは父殺しの実行犯ではありません

そもそも、クローディス事態を登場させません。
 

これにより、

  • 「分かりやすい悪」

  • 「倒せば解決する存在」

を物語から排除しています。
 

犯人探しの物語という意味もありますが、
罪と向き合う物語にするための変更です。


2.聖は登場しない

原作には、
現世からやってきた看護師の聖は魅力的な設定をもちながら、映画を観る上でのノイズを感じました。
 

しかし本ifストーリーでは、
それらを意図的に排除しました。

  • 聖というキャラクターの必要な設定を残す

  • 現役看護師など不要な部分は除外

  • スカーレットの理解者というキャラクターは必要

 


3.父殺しの疑惑を、スカーレット自身が背負う

このifストーリー最大の変更点です。

物語の冒頭、
スカーレットは父王殺しの現行犯として捕らえられます
 

  • 手には血の付いた剣

  • 目の前には、剣で殺された父

  • しかし、本人にはその記憶がない
     

「自分はやっていない」という確信と、
「自分がやったのかもしれない」という疑念。

この二つの間で、
彼女の心は削られていきます。

 

 

 

 

 


ifストーリー序盤の前提状況(ネタバレなし)

物語は、
スカーレットが幽閉されるところから始まります。
 

かつて自分に笑いかけていた兵士たちは、
今や冷たい視線を向け、
彼女を“王殺し”として扱います。
 

否定しても、誰も信じない。
説明しても、耳を貸さない。
 

その極限の孤独と絶望の中で、
スカーレットは意識を失い――
気がつくと、死者の国にいます。
 

死者の国は、
単なる異世界ではありません。

  • 時間の流れが歪んでいる

  • 生きているのか、死んでいるのかも曖昧

  • 生き続けること自体が罰になりうる世界

そこでスカーレットは、
人の温かさと、理不尽な暴力、

そして――
自分と同じ顔をした剣士に出会います。
 

この剣士の存在が、
物語全体を通して、
スカーレットの選択を揺さぶり続けることになります。

 

 


このifストーリーの読み方・注意点

本作は、以下のような特徴を持っています。

  • 全体的に重く、鬱屈した展開が多い

  • 暴力描写、精神的に追い込まれる描写がある

  • 明確な勧善懲悪ではない

  • 読後に「答え」を提示しない
     

その代わり、

「あなたならどう選ぶか」

を、
読者自身に問いかける構成になっています。
 

感情移入しすぎると辛くなる場面もありますが、
無理のないペースで読んでいただければ幸いです。
 


章構成(ifストーリー目次)

本ifストーリーは、
全●章構成を予定しています。

※ 各章は単体でも読めますが、
 すべて読むことで一つの問いに収束します。

 
 

各章が公開され次第、
本記事にリンクを追加していきます。
 


おわりに:このifストーリーが向かう場所

このifストーリーは、

  • 爽快な復讐劇でもなく

  • 勝者がすべてを得る物語でもありません

最後に残るのは、
「それでも生きていくしかない」という感覚です。

そして、

「生き残ってしまった者は、
何を背負い、何を選ぶべきなのか」

という問いだけが残ります。
 

もし、
原作『果てしなきスカーレット』に
少しでも引っかかりを感じたなら――
 

このifストーリーは、
その違和感と向き合うための
一つの答えになるかもしれません。

TSUTAYA蓮田店の閉店を知って

2026年3月15日をもって、TSUTAYA蓮田店が閉店する。
チラシでその事実を知ったとき、驚きというよりも、静かな納得と寂しさが同時に訪れた。

 

レンタルビデオ屋の衰退は、もはや誰の目にも明らかだ。
配信サービスが主流となり、物理メディアを借りる行為自体が過去のものになりつつある。


それでも、学生時代に何度も通ったTSUTAYA蓮田店がなくなるという現実は、
「時代の流れ」という一言では片付けられない感情を呼び起こす。

TSUTAYA蓮田店 閉店セールチラシ


2000年代初頭、TSUTAYAは「高級」だった

TSUTAYA蓮田店は、少なくとも2000年代の初頭、もしくは半ばにはすでに営業していた記憶がある。
当時のTSUTAYAは、今振り返ると明確に「高級なレンタル店」という位置づけだった。
 

  • 店内は明るく清潔

  • ジャケットがきれいに並び

  • 新作・準新作が充実している
     

一方で料金は決して安くなかった。
無名のレンタルビデオ屋が旧作1本100円前後だった時代、

TSUTAYAの新作や準新作は300〜500円ほど。
だからこそ、

TSUTAYAは新作・準新作
無名店は懐かし作品・旧作

という使い分けが自然に成立していた。

 

 

 

 

 


DVDへの転換期を支えた存在

2000年代前半は、VHSからDVDへの大きな転換期でもあった。
無名のレンタル店ではいまだVHSが主流だった一方で、
TSUTAYAは積極的にDVDを扱っていた。
 

  • 巻き戻し不要

  • 画質の向上

  • チャプター機能
     

買ったばかりのDVDレコーダーにディスクを入れ、
メニュー画面を操作するだけで、
「少し未来に触れた気分」になれたことを覚えている。
 

TSUTAYAは単なるレンタル店ではなく、
新しい映像体験への入口だった。

 


「選ぶ時間」も娯楽だった時代

2000年から2010年頃までは、
レンタルビデオ屋そのものに十分な需要があった。
 

  • 配信サービスは一般的ではない

  • 映画やドラマは「借りて観る」もの

  • 店に行き、棚を眺め、迷う時間がある
     

特にTSUTAYAでは、
5本〜10本まとめて借りることが多かった。

物理的に持ち帰れる限界でもあり、
それだけに1本1本を真剣に選んでいた。
 

多少つまらなくても、
「お金を払って借りたのだから」と最後まで観る。

その体験が、作品を記憶に残す。

今の定額配信とは、
作品との向き合い方そのものが違っていた。
TSUTAYA蓮田店 DVD/CD/コミック販売


貸し漫画というTSUTAYA蓮田店の強み

TSUTAYA蓮田店の大きな特徴のひとつが「貸し漫画」だった。
 

  • ワンピースのような長期連載

  • 全巻購入は現実的でない

  • 大人になると漫画の貸し借り環境もない
     

「読みたいが、所有するほどではない」
この微妙で現実的な需要に、
貸し漫画は完璧に応えていた。
 

実際、他のTSUTAYAが貸し漫画を縮小・撤退する中でも、
蓮田店は比較的長くこのサービスを維持していた印象がある。
 


電子書籍の台頭と武器の喪失

しかし、その貸し漫画も、
電子書籍サービスの普及によって陰りを見せ始める。

  • Kindle Unlimited

  • 各出版社の読み放題サービス
     

一定期間であれば、
返却も不要、重さもゼロで漫画が読める。
 

TSUTAYA蓮田店の最大の武器が、
静かに代替されてしまった瞬間だった。
TSUTAYA蓮田店 閉店セール 値引きスケジュール


ゲーム販売・買取への挑戦と違和感

TSUTAYA蓮田店は、それでも手をこまねいてはいなかった。
ゲーム販売や買取サービスにも着手した。

だが、ゲオのように早期から中古ゲームに特化していたわけではなく、
 

  • 新品は価格競争で不利

  • 中古は在庫リスクが大きい

  • 売り場スペースも限られる
     

結果として、
その場しのぎの施策に見えてしまった部分は否めない。
 

さらに、

  • レンタルDVD

  • 貸し漫画

  • ゲーム商品

が混在することで、
2000年代初頭に感じていた

おしゃれで統一感のあるTSUTAYA像は失われていった。

ファンだからこそ、その変化が残念だった。
TSUTAYA蓮田店の外観と看板


それでも、奮闘していた店舗だった

全国的にTSUTAYAが閉店する中、
蓮田関山店が先に閉店し、
それでも蓮田店は残った。

これは偶然ではなく、
 

  • 固定客の存在

  • 地域に根付いた需要

  • 現場の努力
     

があったからだと思う。

TSUTAYA蓮田店は、
最後まで「やれること」を模索し続けた店舗だった。

 

 

 

 

 


レンタルビデオ屋は「古き良き平成」そのもの

レンタルビデオ屋の衰退は止められない。
それは誰もが理解している。
 

それでも、TSUTAYA蓮田店の閉店は、
一つの時代が完全に終わったことを実感させる。
 

  • 選ぶ時間を楽しめた時代

  • 不便さの中に余白があった時代

  • 週末が少し特別だった時代

TSUTAYA蓮田店は、
そんな「古き良き平成」を象徴する場所だった。
 

残念だが、
同時に「よくここまで頑張ってくれた」とも思う。

『シャーロットのおくりもの』(E.B.ホワイト)は、
「子ブタとクモの友情を描いた児童文学」として紹介されることが多い。


しかし実際に読んでみると、この物語は友情だけでなく、
死・言葉・社会・成長・喪失といった極めて重たいテーマを、
驚くほど静かに、しかし鋭く描いていることに気づかされる。

 

本作の最大の特徴は、動物たちが話すファンタジーでありながら、
彼らがまるで人間の年齢や人生段階を背負っているように感じられる点だ。

 

 

■ シャーロットとウィルバーの「年齢差」が生む関係性

子ブタのウィルバーは、生まれたばかりで世界の仕組みを何も知らない。
死を恐れ、孤独に怯え、誰かに守られることを求める姿は、
人間で言えば幼稚園児から小学校低学年くらいの子供に重なる。

 

一方、蜘蛛のシャーロットは違う。
彼女は感情に流されず、状況を冷静に見つめ、
必要なことを黙ってやり遂げる。
その姿はまさに人生経験を積んだ大人の女性だ。

 

この二人(?)の会話は、
「教える大人」と「学ぶ子供」という関係でありながら、
決して説教臭くならない。


シャーロットはウィルバーを支配しないし、
ウィルバーも依存しきらない。

 

だからこそ、この関係は「友情」でありながら、
どこか親子関係や師弟関係にも似た深みを持っている。

 

■ シャーロットはどうやってウィルバーを救ったのか

物語中盤、最大の疑問は
「蜘蛛がどうやって豚を食用から救うのか?」
という点だ。

 

その答えは意外なほどシンプルで、そして恐ろしい。

シャーロットは、自分の蜘蛛の巣に言葉を書き、
ウィルバーを**『奇跡の豚』という物語の主人公**に仕立て上げる。

 

人間はそれを見て、勝手に驚き、信じ、意味づけし、祭り上げる。
ここで重要なのは、人間が騙された自覚すら持っていないことだ。

 

シャーロットの視点に立てば、
人間はハエと大差ない。
ハエは巣に引っかかり、
人間は言葉と物語に引っかかる。

 

むしろ
・権威に弱い
・奇跡が好き
・「特別」という言葉に弱い
 

という点では、
人間の方がハエよりも簡単に操れる生き物とすら言える。

 

しかもシャーロットは、人間を憎んでもいなければ、
悪意を持って騙しているわけでもない。


彼女はただ、目的のために最も合理的な手段を選んだだけだ。

この冷静さこそが、
シャーロットというキャラクターの恐ろしくも美しい知性である。

 

 

 

 

 

■ フェーンという「境界に立つ存在」

物語には、人間の少女フェーンが登場する。
彼女は動物たちの言葉を理解しているように描かれるが、

シャーロットやウィルバーと明確な会話を交わすことはない。

ここが非常に重要だ。
 

フェーンの能力は、
・幼い子供だからこそ持てる感受性なのか
・想像力や妄想の産物なのか
・子供から思春期へ移行する一時的な力なのか

 

最後まで明示されない。

そして物語が進むにつれ、
フェーンは動物たちから少しずつ距離を取り、
祭りではボーイフレンドとのデートを楽しむようになる。

 

彼女は裏切らないし、拒絶もしない。
ただ自然に成長していく

世界が変わったのではなく、
彼女の側が変わったのだ。

 

この描写によって、
『シャーロットのおくりもの』は
ファンタジーでありながら、
「子供時代の終わり」を描いた物語にもなっている。

 

 

 

 

■ 死と継承、そして本当の救い

物語の終盤、シャーロットは寿命を迎える。
彼女は救われない。
死は回避されず、奇跡も起きない。

 

しかし、ウィルバーは
彼女の卵を守ることで、
「守られる存在」から
「守る存在」へと成長する。

 

卵から生まれた子グモたちは、
糸を凧のようにして空へ旅立つ。


それは、かつてシャーロットが
昔話として語っていた若い頃の自分の姿そのものだ。

 

つまり、
シャーロットは死んだが、
彼女の物語と生き方は受け継がれている。

 

そして全ての子グモが去るわけではなく、
何匹かは納屋に残る。

 

この「少しだけ残る」という選択が、
物語に決定的な救いを与えている。

 

ウィルバーは孤独にならない。
しかし、過去に縛られることもない。

 

救いとは、元に戻ることではなく、
続いていくことなのだ。

 

 

 

 

 

 

■ 『ベイブ』との比較で見える違い

同じ「豚」を描いた作品として、
映画『ベイブ』と比較されることが多い。

 

ベイブは
努力・成長・自己実現という
分かりやすい成功物語だ。

 

一方、シャーロットは違う。
勝者にならない。
世界を変えきらない。
死をなかったことにしない。

 

だからこそ、
公開当時はベイブの方が評価されたのも理解できる。

 

しかし時間が経つほど、
この静かな物語は、
読む人の人生経験に応じて
違う顔を見せてくる。

 

『シャーロットのおくりもの』は、
児童文学の形を借りた
人生についての物語なのだ。

 

 

NHK「ダークサイドミステリー」で放送された
**『謎の未解決殺人 ブラック・ダリア事件』**は、


単なる猟奇殺人事件の再現ではなく、
**“なぜこの事件が伝説になってしまったのか”**を問う、非常に重い内容だった。

 

 

 

 

 

ブラック・ダリア事件と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは
路上に放置された美女の遺体、
血を抜かれ、真っ白になった身体、
完全に二分された遺体、
そして耳まで裂かれた口元という、強烈な猟奇性だろう。

 

確かに今回の番組でも、
この事件の異様さと残酷さは強く印象づけられていた。


しかし本当に恐ろしかったのは、
**犯行そのものではなく、その後に作られた“物語”**だった。

 

被害者エリザベス・ショートは、
黒いドレスをまとい、多くの男性と関係を持つ
「謎めいた妖艶な女性」として語られてきた。

 

 


だが番組が明らかにした実像は、まったく違う。

彼女は定職も住居も持てず、


食事や寝る場所を確保するために人に頼らざるを得なかった、
戦後ロサンゼルスの社会構造に押し出された若い女性だった。

 

黒いドレスも、魅力を誇示するためではなく、
毎日洗濯できなくても汚れが目立たない服という
あまりにも現実的で切実な選択だった。

 

1940年代のアメリカでは、
帰還兵は英雄として扱われ、
女性の「成功」は結婚によって測られる時代だった。


初婚年齢は10代後半から20歳前後。
22歳のエリザベス・ショートは、
すでに“遅れ始めた存在”として不安を抱えていた。

 

 

彼女が求めていたのは、
刺激的な恋愛でも、破滅的な人生でもない。
ごく普通の結婚と、安心して暮らせる場所だった。

 

しかし事件は迷宮入りし、
遺棄現場は犯行現場ではなく、物証は残されず、
彼女の流動的な生活は人間関係の特定を困難にした。


警察は迷走し、模倣犯や自称犯人が現れ、
ブラック・ダリア事件は次第に
「解くべき事件」ではなく
「消費される猟奇伝説」へと変わっていく。

 

 

 

 

 

 

その後、数多くの小説や映画が制作され、
エリザベス・ショートは
男性を魅了し、人生を崩壊させる
“危険な黒衣の女”として描かれ続けた。

 

これはヒトラーの神話化とも似ている。
決定的に違うのは、
ヒトラーは自らの思想と行動によって
「悪の象徴」になったのに対し、


エリザベス・ショートは
何もしていないのに、物語の都合で作り替えられた点だ。

 

しかもブラック・ダリア事件は、
学校教育で体系的に学ぶ歴史ではなく、


多くの人が映画や小説といった
フィクションを通して知る事件であるため、
史実よりも虚像の方が強く記憶されてしまった。

 

今回のダークサイドミステリーが突きつけたのは、
「未解決事件の謎」ではなく、

被害者は、死後にもう一度殺されることがある

という現実だった。

 

ブラック・ダリア事件の本当の闇は、
猟奇殺人そのものよりも、
救われなかった一人の女性が、
今なお誤解された姿で消費され続けていることなのかもしれない。

約束が物語を分ける「雪女」の再解釈

『雪女とヒミツのやくそく』(西村さとみ/作、ao/絵)は、日本の雪女伝承を下敷きにした児童書でありながら、非常に丁寧な再解釈が施された一冊。

物語のキーワードは、はっきりしている。


それは 「誰にも言ってはいけない」という約束

この点で本作は、小泉八雲の名作「雪女」を強く想起させる。
しかし決定的に異なるのは、その約束が破られるか、守られるかによって物語の行き先が真逆になる点である。

 

 

 

 

 


雪女の正体――時間を超えて存在する者

本作で特に印象的なのは、雪女の正体の描かれ方だ。
 

主人公・圭太が吹雪の中で出会う「雪ん子」。
任期付きで町に赴任してきた若い教師。
そして、主人公の祖父がかつて命を救った雪女。
 

これらがすべて同一人物であることが、物語の中で静かに明かされていく。

つまり彼女は、

  • 不老不死

  • 年齢や姿を自在に変えられる

  • 人間の世代を超えて生き続ける存在
     

という、非常に明確な「妖怪」として設定されている。

この仕掛けにより、物語は単なる不思議体験ではなく、
人間の時間と妖怪の時間のズレを描く物語へと昇華されている。
 


怒り狂う雪女と、人間の身勝手さ

物語後半、雪女は激しく怒り、主人公の住む町を雪で覆い尽くそうとする。

その理由は明確だ。


命を助けた人間――主人公のクラスメイトの父親が、
雪女の存在や行為を商売に利用しようとしたからである。

 

雪女の怒りは理不尽ではない。
むしろ、人間の側の身勝手さが招いた当然の結果とも言える。

このままなら町は壊滅してもおかしくない。
大人向け作品であれば、十分バッドエンドになりうる展開だ。

 

 

 

 


怒りを止めた「過去の善意」

それでも雪女は、最後の一線で思いとどまる。

理由は、主人公の祖父が昔、
見返りを求めず自分を助けてくれたという記憶だった。

 

説教でも、正義の力でもない。
たった一つの、過去の善意。

ここで本作は、はっきりと性善説に賭ける。

 

確かに状況次第では、
「人間は信用できない」と町を雪に沈めていてもおかしくなかった。
その意味で、このラストはかなり紙一重だ。

 

しかし児童書として、

  • 怒りは理解される

  • それでも破壊に進まない選択がある

  • 善意は、時間を越えて人を救う

     

という結末を選んだことは、とても誠実だと感じる。

 


語られないことで成立するハッピーエンド

そして何より重要なのが、主人公が
雪女の正体を最後まで誰にも語らないことだ。

 

小泉八雲の「雪女」では、
約束を破った瞬間に物語は破滅へ向かう。

 

だが本作では、
語らないことそのものが救いとなり、
雪女は「恐ろしい存在」ではなく「守られる存在」として物語を閉じる。

 

語られないからこそ、救われる。
この静かなハッピーエンドは、大人が読んでも深く心に残る。

 

 

 

 

 


児童書でありながら、大人にも刺さる一冊

『雪女とヒミツのやくそく』は、
 

  • 伝承の再解釈

  • 約束というテーマ

  • 人間の善と身勝手さ

  • 怒りをどう扱うか
     

といった要素を、児童書として非常にバランスよく描いている。

「今回は運がよかっただけかもしれない」

そんな余白を残している点も含めて、
考え続ける価値のある一冊だ。

第32話|白の向こう側

それが、眠りの果てだったのか。
 あるいは、また一つの死を越えた後だったのか。

 

 正確な瞬間は、覚えていない。

 気が付いた時、私は――立っていた。

 

 そこは、真っ白な空間だった。

 空も、地面も、境界もない。
 影すら生まれない白。

 

 何も存在しないはずなのに、
 一歩でも踏み込めば、取り返しのつかない何かを失う。
 そんな畏怖だけが、確かにそこにあった。

 

 ――ああ。

 私は、悟った。

 

 ここが。
 探し続けてきた場所。

 『見果てぬ先の場所』

 

 剣も、血も、痛みもない。
 死者の国のざわめきも、生者の世界の光も届かない。

 ただ、自分の心だけが、剥き出しになる場所。

 

 私は、膝をつくこともなく、祈ることもなく、
 ただ、胸の奥に沈み続けていた想いを言葉にした。

 

 「夢の中の、もう一人の私……」

 

 声は、白に吸い込まれていく。

 

 「誰なのかは、知らない」

 「名前も、立場も、奪われたものも……」

 

 それでも。

 

 「同じ顔をした相手と――入れ替わりたい」

 

 願いは、それだけだった。

 生きたい、とは言わなかった。
 救われたい、とも願わなかった。

 

 ただ。

 あの場所に立ちたい。
 誰かとして、生きてみたかった。

 

 白は、何も答えない。

 けれど――拒まれた気は、しなかった。

 

 次に意識を取り戻した時、
 私は、剣を手にして立っていた。

 血の匂いも、死者の呻きも、いつも通りそこにあった。

 

 それでも、どこかが――違っていた。

 

 ◆

 

 「……私の願いは、叶えられた」

 

 目の前で、スカーレットが息を呑む。

 その表情を見て、私は初めて、微笑った。

 

 「お前は、覚えがあるだろう?」

 

 声は、静かだった。

 

 「――父上が、殺されたあの日を」

 

 スカーレットの瞳が、大きく揺れる。

 その反応を見て、確信する。

 

 ああ。
 もう、始まっている。

 

 入れ替わりは、終わった。
 そして、取り返しのつかない“続き”が、ここから始まる。

 

 白い場所は、もう戻れない。

 

 それでも私は――
 あの日、確かに、願いを告げたのだから。

 

 

 

 

 

『第32話|白の向こう側』 終了
 第33話へ続く

 

◆ 本文(ネタバレありレビュー)

2014年、239人を乗せた大型旅客機が、現代の空から忽然と姿を消した。
マレーシア航空370便失踪事件――それは事故というより、**現代文明そのものに空いた「穴」**だった。
 

NHK BS「ダークサイドミステリー
マレーシア航空370便失踪事件〜上空1万m 謎の死角〜」は、この事件を陰謀論的に消費するのではなく、なぜ“分からないままなのか”を科学と人間の両面から描いた稀有なドキュメンタリーである。


 

 

 

 

 

 

■ 不自然すぎる「通信の断絶」

番組でまず強調されるのが、通信の問題だ。

MH370には
 

  • 機体情報を自動送信する「ACARS」

  • 管制と機体をつなぐ「トランスポンダー」
     

という2系統の通信・監視手段が存在していた。

それが、事故や爆発を示す信号もなく、段階的に、静かに途絶えた

 

これにより地上は「異常」を即座に認識できず、
捜索開始までに致命的な時間を失う。

 

番組が示すのは、
高度1万mの上空に、現代科学が想定していなかった“死角”があったという事実だ。




■ 機内では国際電話が使えた、それでも誰も動かなかった
 

さらに不可解なのは、
機内から外部と連絡を取る手段が存在していた点である。
 

  • 深夜便で乗客の多くは就寝していた

  • 巡航中で機体は安定

  • 大きな衝撃や警報はなかった可能性が高い
     

この条件が重なると、
飛行ルートが大きく変わっても、乗客は気づかない

 

しかし、それでも疑問は残る。

なぜ乗務員は何も行動を起こさなかったのか?



ハイジャックでも、急激なトラブルでもあれば、
何らかの連絡や混乱が記録に残るはずだ。

 

それが一切ない。

番組はここから、
「機内は最後まで通常運航だと思われていた可能性」
という、静かで恐ろしい仮説を提示する。

 

 


■ 機長自殺説は「説明力が高いが、納得できない」

有力説として扱われるのが、
**機長による意図的行為(巻き込み自殺)**だ。
 

  • 本格的なフライトシミュレーター環境

  • 実際の不可解な飛行ルートに近い航跡データ

  • 削除されたデータの存在
     

技術的には、多くの謎を説明できてしまう。

しかし、この説には決定的な違和感がある。
 

  • 副機長はどうしていたのか

  • 乗務員はなぜ止められなかったのか

  • 239人が、何時間も「何もできなかった」のはなぜか
     

人間の行動として、説明しきれない空白があまりにも多い。

番組が断定を避けたのは、ここだろう。
 


■ 2014年という時代が、この事件を怪物にした

もしこれが、
1945年前後の航空事故だったなら――

通信技術の未熟さ、記録の不足、探索能力の限界。


「分からないのも仕方ない」と納得できたかもしれない。

だが、これは2014年だ。
 

  • GPS

  • 衛星通信

  • デジタル管理

  • グローバル航空網
     

すべてが“見えるはず”の時代に、巨大旅客機が沈黙した。

この時代性こそが、
MH370を単なる事故ではなく、
現代文明への問いに変えてしまった。

 

 

 

 


■ 真相不明、それでも残った“後味の悪い教訓”

事件はいまだ未解決だ。
原因も、真相も、誰にも分からない。

 

だからこそ、この事件には
明確な「再発防止策」が存在しない。

ただ一つ分かったのは、

 

人間が関与する高度なシステムは、
意図的に沈黙されると、世界はそれを止められない

という事実だ。

 

NHK「ダークサイドミステリー」は、
答えを与えない代わりに、
考え続けるしかない問いを視聴者に残す。

 

それが、この番組の一番“ダーク”なところであり、
同時に最も誠実な点でもある。

本文(ネタバレありレビュー)

『復活!まぼろしの小瀬菜だいこん』は、伝統野菜をテーマにした児童文学でありながら、大人にも強く刺さる一冊だった。

正直に言うと、この本を読むまで**「伝統野菜」という言葉をほとんど意識したことがなかった**。


野菜はスーパーに行けば当たり前に並んでいて、なくなってもまた作られるものだと思っていたからだ。

物語の中で描かれる現実は違う。
種が失われれば、その野菜はこの世から完全に消える。

 

 

 

 

 

生産数が減り、食べる人が減り、気づかれないまま絶滅した野菜が数多く存在するという事実に、強い衝撃を受けた。

主人公の鈴は、野菜作りが好きなわけでも、行動力があるわけでもない。


人付き合いが苦手でインドアな、小学6年生の女の子だ。
そんな彼女が、伝統野菜に強い情熱を持つ中学生の牧人、亡くなった妻のために小瀬菜だいこんを作り続けてきた老人、自然食品店を営む女性経営者と出会い、少しずつ関わっていく。

 

この物語の印象的な点は、誰か一人が欠けても小瀬菜だいこんは復活しなかったということだ。
情熱だけでも、技術だけでも、売る場所だけでも足りない。
それぞれが自分の立場で役割を果たし、つながった結果として、最終的に小瀬菜だいこんは地元の給食にまで取り上げられる。

 

 

だが、最も考えさせられたのは別の部分だった。
小瀬菜だいこんは、主人公たちが気づくまで地元の人にすらほとんど知られていなかった
老人と出会うタイミングが少しでもずれていたら、他の多くの伝統野菜と同じように、誰にも気づかれないまま絶滅していた可能性が高い。

 

ネットが発達した現代でも、近くで作られている伝統野菜の存在が見えなくなる。
人とのつながりが希薄になり、「誰かが把握しているはず」「行政が管理しているはず」と思い込むことで、大切なものが静かに放置されていく。


これは決して行政だけの責任ではなく、地域や消費者を含めた社会全体の問題だと感じた。

この物語が印象深い理由の一つは、小瀬菜だいこんに関して実話をもとにした部分がある点だ。


完全なフィクションではないと知ることで、物語は「きれいな話」では終わらず、現実の延長として迫ってくる。

『復活!まぼろしの小瀬菜だいこん』は、伝統野菜の物語であると同時に、


現代社会が見落としているものへの警告であり、
人と人がつながることでしか守れない文化があることを静かに伝えてくれる一冊だった。