早いもので、母は49日を迎えました
父、私と旦那、親戚夫婦、そして生前、母と特に親しくしていただいた方々に案内を出し
法要を営みました。
皆さん、母との色々な思い出があります。
1番最初に来た方は「温泉に行くとお互いの背中を流し合いをするけれど、私の背中は広すぎるから、母さんはふっふって汗流して擦ってくれたんだよね」
次々集まってくれる方々から、母の思いで話を聞けて楽しい時間でした。
読経が始まると父はずっと泣きっぱなしでした。
私が10年前、兄の49日法要の時と全く同じです・・・
兄の49日法要の時は私が泣きっぱなしでした・・・
今思うと、父は母の最期を看取れず、私は10年前兄の最期を看取れず・・・
きっと看取れなかった事の悔しさというのか、悲しさというのか、どう表現したらいいのか
わからない感情が込み上げてきていたんだと思います。
今日の法要はお寺の若坊さんが来てくれました。
跡継ぎとして、数年前から我が家にも月参りに来てくれることもあります。
若坊さんは小さい頃、住職に連れられてお参り来たことがあると話していました。
住職同様、小さい頃から母にお世話になりっぱなしだったので、亡くなったと聞いて
本当にビックリしたそうです。
亡くなった母が家に居た時、若坊さんもお参りに来てくれて、お参りをする前と後と
「お顔を見せてほしい」と言って母の顔を見てくれました。
住職も若坊さんも昔から知っていて、住職はお通夜の席の説教で、母が学生の頃
同級生だった伯母の所によく遊びに来ていて、自分の事をあだ名で呼んで弟のように
可愛がってくれたこと参列者の前で話してました。
若坊さんも今日の法要のあと、住職と同じく小さい頃から母に可愛がってもらい
「お寺でお参りがある時、みんな若って呼ぶけど、お母さんと娘さんはあだ名で呼んでくれて
僕はそれが何だかホッとして、月参りでうちに行ってと言われると、ちょっと嬉しくなる」と
話してました。
私は「ずーっと○○ちゃんと呼ぶよ」というと「お願いします」と言って笑っていました。
会食中も、みんな母との思いで話を話し、笑いながら楽しい時間を過ごしました。
母もきっとみんなで楽しい時間を過ごす事が好きだったので、あの時間もきっと側にいて
「その話は教えないでー」と思っていたかもしれませんね。
49日で一区切りになります。
納骨はお盆に行うので、もう少しだけ側にいてくれます。
一区切りと言うけれど、なんだか寂しい気持ちがいっぱいで…という方もいました。
こればかりは月日が経たなければ・・・そんな気持ちでいます。
49日法要を無事に終え、これからはいつもの生活に戻るかな?と思いつつ
まだまだやることもあったりして、バタバタするかもと不安なったり・・・
体調に気をつけながら、頑張っていきます。
あっ、そういえば、土曜日は昼からお休みをもらって札幌に前のりしました。
前日は長男と食事、次男はバイトの終わる時間が遅く、翌日のランチを一緒にしました。
久しぶりにゆっくりできたので、また頑張れます。
皆さんも、抗がん剤治療が効きますように。