じゃあオマエはいつも80点取ってるっていうのかよ!尊敬されてないけど愛されている | 365日希望をもたらす天使の教え

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スピリチュアルガイド(ティーチャーガイド)から自動手記で受けとった愛と希望のメッセージをお届けしています。

あなたはあなた

私は私

それぞれの色に輝いて

 

泣いて

笑って

痛みを分かち合う

寄り添う

 

あなたがおかした失敗を

私は受け入れよう

私もまた過つのだから

 

そんなこともあるね

またやり直せばいいさと

あなたの中の強さを信じる

私の中の弱さを笑う

 

空を見上げれば

広がる空間

深呼吸をする

大きく息を吸い込み

この世界とつながる

 

マリアandとしえ

 

 

 

 

 

「私は基準が高かった!」

 

そう気づいたのは数年前のこと

 

夫にそれを伝えると

「やっと気づいたの〜!やっと気づいたの〜!」

とても嬉しそうだったのをよく覚えています。

 

 

夫は、会社で営業開発の部長をしていたのですが

「オレ、尊敬されていないけど、愛されてる」って言ってるような人でした。

 

私は夫のその言葉を聞いた時に

「そんなこと言えてえらいなぁ」と感じました。

偉そうじゃないというか、いい感じに肩の力が抜けているというか。

 

夫は会社の売り上げの半分ほどを売り上げるほどでしたが、販売している製品のことも良く知らないようでした。

 

それでも、たくさんの人に愛され、信頼され

「あなたが言うのなら」と大きな契約を結んでもらえるような人でした。

 

 

最初の会社の社長にもすごくかわいがられていたのですが

「大きく欠けたところのある大きな器」と言われたそうです。

 

社長の言葉はすごく彼を表しているなぁと感心します。

大きな器で大きなことを成し遂げる反面、ものすごく欠落しているところがある人でした。

 

結婚相手としてはとても大変でした。

「坂本龍馬の奥さんてこんな感じなのかなぁ」とぼんやり思ったものです。

 

そんな夫が

「俺はおやじから、60点を取り続けろ」と言われて来た」と言うので

 

「私は80点が良い点だと思う」と伝えると

 

「じゃあお前はいつも80点取ってるって言うのかよ!」とちょっと腹立たしげな口調で言われました。

 

私は何も言い返せませんでした。

いつも80点取ってるかって言われたら、取ってはいないよね。

 

 

そんなことで

 

自分の「基準の高さ」に気づいてからというもの、

それによるいろいろな弊害も自分に起きていることが見え始めたのです。

 

私のクライエントさん達も高学歴の方が多く、「基準の高い」人たちでした。

 

いくらその人が

仕事ができる、

高収入、

生活レベルが高い

などであっても、

目指すところが高ければ、自分はそれより低いということになってしまいます。

 

上には上がいますし、

更に上を目指す姿勢でいれば、

いつまでもその「差」としての「マイナス」ばかりが目に入ります。

 

 

私が人事コンサルで入っていた不動産会社の社長は、400の物件を持ち、数十億の資産を持っている方でしたが、

「森ビルなんてどれだけ持っているんだ」と言うので、

「きりがないなぁ」と思いました。

 

そんな例はいくつも目にしてきました。

上と比べるので、自分は大したことないって思っている人たちです。

 

慣れちゃうんでしょうね、多いこと、優れていることに。

そこが基準になってしまう。

 

そんな人たちを見て

 

全く何もないゼロベースから自分を見てみると、たくさんのことを成し遂げ、やり遂げていると認めることができると気づきました。

 

それをお伝えして、そんな自分の認め方もあると気づいてくれたクライエントさんもいました。

 

 

で、私はと言えば

 

思い返せば若い頃から、自分に学びがあるような人としか付き合いたくない、頭悪い人、ダメだなこの人という感じの人とは親しくつきあいたくないと思っていたのです。

 

でも、年齢を重ね、経験を重ね、学びを重ねるうちにだんだんわかってきました。

 

そして、人には「レベル」と「カラー」があると思うようになりました。レベルとはある意味での「優秀さ」そしてカラーは「個性」人はそのバラエティーだと。

 

でも、だんだんに

????

 

「違いしかないんじゃないかなぁ」と思うようになりました。

 

バカに見える人は、学校での勉強的な左脳的なことが苦手なだけで、行動力があったり、人に好かれたり、友達と楽しそうにしていたりというすばらしさが見えました。

 

一方、成績優秀で自分にも他の人にも厳しいような人は、「正しさ」や「こうあるべき」に縛られていて、あまり楽しそうではなかったり、ある意味で世界を狭くしていたり。

概して、ですが。

 

 

そのうち、

いろんなバラエティーがあるだけで、

レベルというものは、物差しのあて方だけの問題と思うようになりました。

 

歌のうまさという物差しならこの人が上

書類をささっと作れるようなロジカルな思考力はこの人が上とか。

 

能力ってまばらですよね。

マーブル模様

これはできるけど、これはできないとか。

 

そして、

人って多面性があって

変化もするし

簡単に定義できないものです。

 

いろんな人がいて

協力しあって

反発しあって

 

誰とでも仲良くする必要もなくて

この人とは友達としてはいいけど、

仕事を一緒にはできないとか。

関係のとり方を臨機応変にすればいいのですよね。

 

私は、若いころ

誰もが認める美人で

スタイルがよく

聡明で

人格者

そんな人でありたいと思っていました。

 

どこでそんなのが入っちゃったんだかわからないのですが、親が完璧主義だったんだと思います。

 

「人間って汚いものだ」とよく父は言っていました。

父は真面目な人なので、いろんなものが汚く見えたのだと思います。

 

真面目って「こうでなければ」が強い人なので、それから外れている人がたくさんいたのでしょうね。

 

 

「完璧主義は非現実的」ということも最近学びました。

 

「世の中と折り合いをつけて生きていく」という考え方も、知ったのは最近です。

 

理想主義だったのかもしれません、私。

 

 

私に怒られるんじゃないかと思ったと言う人がいたり、実際私に怒られた人もいるのですが、それは私の「こうあらねば」という基準を満たしていなかったからなのだとやっとわかりました。

 

ごめんね、と謝りたいです。汗汗

 

なんでできないの??って呆れたり、腹がたったりしていました。

 

できる人はそういうストレスよく感じていると思いますよ。

 

でも、できない人は、できないことも含めてその人の精一杯なんですよね。

 

本当にそのことがわかったら腹も立たないものです。

そんな経験をしたことがあります。

 

私も保育園の仕事では劣等保育士でした。

肉体的な仕事が苦手なのがわかりました。滝汗

 

 

ということで

 

人間ってだめなところがみんなあるもの

そういうものだと認めて受け入れる

自分のことも

 

そうすると

 

もっと人にも自分にも寛容になれるし

失敗しても、あるあるだよと立ち直りも早い。

人の失敗にも、「私もあったよ似たようなこと」と共感できる。

 

 

誰とでも仲良くする必要はないけど

関係の取り方をうまくやれば付き合える。

親密な深い関係を誰にでも求めない

 

完璧主義は非現実的

現実と折り合いをつけて生きていく

 

みたいなことを考えましたというお話でした。

 

 

まあ、これもまた「正解」ってわけではなくて

「今」の「私」には役に立つ考え方かなぁということで受け取ってください。

 

考え方は、

取り入れたり、手放したりして

自分を幸せにしてあげられたらと思います。

 

最後まで読んでくださった方

感謝です。

ありがとうございます。照れラブラブ

 

では、また〜照れドキドキドキドキドキドキ

 

 

写真は私のパワスポ千鳥ヶ淵

昨日はあじさいがきれいに咲いていました。

うぐいすなど鳥のさえずりも聞こえて癒されました。